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「感動葬儀」はいらない




今回ご紹介するのはこの本。
感動葬儀。心得箇条: いま、なぜ「終活」か。その答えがここにあります
愛知県にある株式会社FUNE(フューネ)という葬儀社の社長さんが書いた本です。

 

ところで以前私はこういう記事を書いたことがあります。
これらの記事の内容をふまえて
この本に掲載されている「感動葬儀」のエピソードを
一つ紹介します。

 

21年間音信不通で親の死に目にも会えなかった長男が参列した
葬儀の話です。
(文中の「私」とはフューネさんの葬儀担当者のことです)

(P94から引用開始)
儀礼式も終わり、いよいよ、出棺前。
遺族との、最期の別れの時となりました。
妻、長男、次男の3人には、
「どうぞ、お手を触れて、感謝の言葉を…」
と促します。
妻は、優しく夫の顔を撫でながら、
長く連れ添い傍に居てくれたことへの感謝の言葉を述べました。
長男はやはり、懺悔の言葉「親父、ゴメン。俺が悪かった」と発しました。
この時です。
私は間髪を容れず、彼の背中を、ど―んと勢いよくたたきながら、
思わず叫んでしまったのです。
「どんなに遠く離れていても、どんなに長く逢わなくても、
親が子を忘れること、思わない日など、一日たりとも、絶対にないはず。
貴方のことを、心配で、心配でならなかったはずだ。
この親不孝者め! 今日を境に、生まれ変わるんだよ」
一般的には、葬儀社の職務の枠を超えての言動、
越権行為と言われてしかるべきです。
しかし、私は後悔しませんでした。

むしろ、すがすがしく感じたほどです。
(引用終わり)

 

本の中で取り上げるくらいですから
これがフューネさんの考える正しい「感動葬儀」ということなのでしょう。

 

そうであるなら、もう一度言わせてください。

 

葬儀屋はお葬式で感動するな!

 

私には、遺族のためと言いながら
葬儀屋が上から目線で
「感動したがっている」ようにしか見えないのです。

葬儀屋を感動させるために
故人は亡くなったわけではありません。

ただの「勘違い野郎」と申し上げたら言い過ぎでしょうか。

この問題が深刻なのは
フューネの社長のブログを読んだりインタビューを聞いたりする限り、
彼の人柄は私の何倍も良さそうだということです。
きっとフューネさんのスタッフも純粋でまっすぐでいらっしゃるのでしょう。
だからこそ
「葬儀屋が感動したがる症候群」
はやっかいだと思うのです。











10 件のコメント

  • こんにちわ(^^)
    いつも沢山の本を読んでいらっしゃいますね!
    私は中々読み進める事ができず、一冊にかなりの時間がかかってしまいます(^_^.)
    なので、こちらの本はまだ読んでいないのですが記載文そのままを転載されているのなら、内容にびっくりです。
    葬儀社が感情移入してしまう事はあるかもしれません。
    でもおっしゃる通り、これは感動したがっているとしか思えません。
    葬儀社は2~3日傍でお手伝いをしているだけであって、何年間といった家族の想いに割り込むなんて恐れ多い。勝手に自分で盛り上がっているだけにしか思えません。
    感動葬儀=葬儀社が感動する葬儀。ならいらないと思います。
    ご遺族の方は不安で、葬儀社の担当に頼られる方は多いと思います。が
    それとこれとは話が違いますよね。
    すみません。長々と・・
    読んでびっくりしたので思わず・・(^_^.)
    失礼しました。

  • たかだかおり様、
    コメントありがとうございます。
    >いつも沢山の本を読んでいらっしゃいますね!
    いやー、それほどでもないですが(*^_^*)
    葬儀屋さんは本を読まないので、差別化のために意識的に読むようにしています。

    >記載文そのままを転載されているのなら
    はい、そのままです。富士通のスキャナーとOCRソフトが文字変換してくれました。

    >何年間といった家族の想いに割り込むなんて恐れ多い。
    そうなんですよ。まさにこれ!
    葬儀社側の浅はかな理解よりもっと深いものがあるかもしれないのに・・・

  • >葬儀屋さんは本を読まないので、、、
    偏見です、漫画とスポーツ新聞は誰よりも見ています。
    特に「壇蜜の袋とじ週刊誌」は必ず見ています。

    >葬儀社の浅はかな理解より、、、
    ディレクターですので「企画、立案、進行、演出」をするのは当たり前です。
    地味な葬儀では評価はされず、「派手な演出」が評価対象です。
    世界で見ても日本の葬儀演出は「世界1」であり、ROCの葬儀社の一部には「金儲けのために日本を見習え」との考えもありますが、「誰のための葬儀」なのかを考えると本末転倒の部分があります。

    アメリカでも葬儀の演出はありますが、「目立たず、金も儲からない演出」であり好感が持てます。
    個人的には「何でも英語(カタカナ)にすれば良い」との考え方がコンプレックスの表れであり、directorとの名称も「葬儀をやってやっている」との勘違いを
    招くのではないでしょうか?
    葬儀の良し悪しの評価基準には「感動」もありますが、これはtotal評価の極一部に過ぎません。

    家族や参列者に「気が付かれない心配り」が素敵です。

  • prof先生の

    >家族や参列者に「気が付かれない心配り」が素敵です。

    まさに、この一言に集約される一連の心配り、がとても大事なことだと想う今日この頃です。

  •  はじめまして。中途採用で来月より葬儀業界に飛び込む者です。ブログを拝見しまして、学ぶことが多々ございます。私自身、社会人2年目の未熟者でありますが、こちらのブログを拝見させていただき、故人・ご遺族様・葬儀業界に貢献できる人材になって参りたいと考えております。
     まだまだ暑い日が続きますがお体にご自愛くださいませ。

  • 中途社員様、
    拙文がお役に立てたならとてもうれしいです。
    最初のうちはいろいろ大変なこともあるかと思いますが
    がんばってくださいね。
    応援してます!

  • 気持ち悪いです。家庭の事情はそれぞれ、どんな背景があって何年も音信不通になっていたかも知らないくせに、背中までぶっ叩かれてこんな事言われたら激怒しますね。

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