ひろさちやの意見には共感できない(続き)




先日

ひろさちやの意見には共感できない

という記事を書いたところコメント欄に
賛否両論いただいたのでもう一本補足記事を書くことにしました。

上記の記事で書いたように私は終活推進派。
終活反対派の方の意見は
終活のせいで迷惑する遺族もいるので、余計なことはしない方が
という主旨でした。

おそらくこの意見の違いは
終活の定義の違いからきているのではないかと。

地図2

おそらく反対派の方のイメージする終活というのは
私が「三国モデル」と呼んでいる終活のことではないでしょうか。

三国モデルとは・・・
2年前に亡くなった俳優三国連太郎氏がやってしまった?終活。
亡くなってみたら
・人に知らせるな
・散骨してくれ
との遺言が。
立場的に知らせないということは不可能なので、
結局プレスリリースを行わざるを得なかった。
散骨の話も遺族には寝耳に水だったようで、
遺骨が無いのは寂しいとのことで現時点では散骨は行われていない模様。

一方私がイメージする終活は
金子モデル。

金子モデルとは

流通ジャーナリスト金子哲雄さんの葬儀について思う

↑この記事を参照。

亡くなった方に申し上げるのは気が引けますが
三国さんは
目的地の設定を間違えた上に
地図を残さなかったのだと思います。

おそらく地図(≒手段)をちゃんと真剣に考えていたなら
目的地の設定が間違っていたということに気づいたと思うのです。

だから中途半端な終活でそんなことになるくらいなら
「好きなところへ行け」って行ってくれた方が,まだまし
という意見は分らなくもないです。

地図

しかし故人の遺志を満たすことが自分の満足と考える遺族もたくさんいて
残されたそういう人達はどこへ行ったらいいか分らなくて途方に暮れるでしょう。

現実は、道に迷うか、迷うくらいならどこも目指さないかの二者択一ではなく
旅慣れた人(ここでは葬儀屋さん)に相談するという選択肢もあるはず。

ご本人にはお葬式に対して何のこだわりもないが
ご本人と家族をまじえて万一の時どうするか話し合う、
という事前相談をするケースを数回経験しました。
どのケースも良いお葬式であり
御遺族も事前に相談して良かったとおっしゃっていました。

家族が迷った上で自己責任で決断するのが
グリーフワークにつながるという考え方もあるとは思いますが
リハーサルなくもやり直しもきかないお葬式にそれを強いるのはちょっと厳しい。
終活をすることによって迷わせないようにしてあげるのも、
一つの家族愛だと思う。

参考記事:
映画「エンディングノート」の衝撃




22 件のコメント

  • 私はキリスト教徒ですが、キリスト教と仏教の違いを知るため、ひろさちやさんの本はずいぶん読みました。
    ただ、紹介されている本は読んでいないので、貴ブログが引用された箇所だけで私の感想を語るのは控えます。
    しかし、信仰を持つ者と持たない者では、死生観はもちろん、生前の心構えや準備が違ってくるのではないかと思っています。

    以下、記事と関係ないコメントなのですが、記事のリクエストをよろしいでしょうか?
    葬儀と花屋さんの関係について、業界の裏事情みたいな記事があれば大変興味深いです。
    というのも、私は今回父親の葬儀準備を進めていく上で、自分でお花を用意するのが思ったより大変だということを知りました。
    7軒も問い合わせて、ようやく引き受けてくださる花屋さんを見つけることができました。
    残りの6軒は皆さん口をそろえて「我々一般の花屋は葬儀には関われないんです。葬儀屋からものすごい嫌がらせをされるんです」と言いました。嫌がらせの内容も具体的に聞きました。

    「嫌がらせ」という表現は、出入りの花屋になれない恨みごとかもしれません。
    しかし、私は大手の葬儀屋さんと打ち合わせた際に、花に関してこちらの要望に聞く耳持ってもらえなかったので、嫌がらせをされるというのはあながちオーバーな表現ではないのでは?と思っています。
    その辺の事情、もし可能なら、記事にしてくだされば嬉しいです。

  • 依頼予定者 様、
    おそらく単純に売上げが減るから
    というのがまず理由としてあると思います。
    次に葬儀屋さんの言い分としては
    「明日までに供花100基を用意しないといけない」という状況がありえますので
    普通の町の花屋さんと付き合っても供給が保証されないのでつきあえない、
    そして付き合いのある花屋にはいつも一定の花を確保させている
    (≒花材が高い破棄率になるリスクを抱えさせている)のでその代わり絶対に仕事を回す
    というのもあるかも知れません。

  • そういえば心当たりが有りますね。無理だろっていう遺志・・・。
    故人の意志、家族の希望、親族の慣習。この三つを軸に譲歩点を探すように
    しております。まったく故人の意志を「あ~やっぱりね地元がね~~」と反映しない
    確固たる信念のご子息もいらっしゃいますね。

  • 連投すいません。上記の花屋さんへの嫌がらせという言葉に衝撃(そんなところあるのか!!けしからん)とウンザリ感(まーた葬儀社のイメージが・・・)を感じるのですが~
    持込不可と持ち込み可能でかなり違うと思うのです。
    また、うちでは取引業者はありますけど、特に持ち込み不可も持ち込み料も発生しません。その中で、ご家族が知り合いの花屋に頼みますとおっしゃられ 知り合いの花屋さんに注文した際、対応できない(生花カップなどがない、葬儀の花を想定して仕入れていない)からとやっぱり葬儀社で対応というケースはございます。
     ネット上で飛び交う言葉は沢山の人の目にとまり「葬儀屋の嫌がらせ」(あるところは有ると思いますが)というキーワードが刷り込まれていってるような気がします。
    非常に残念です。

  • そしてまた連投・・・(笑
    終活なんて言葉ははっきりいって嫌いです。理由は入棺体験などによる奇手をはらっただけのイベントが大きな顔をしているのにうんざりします。またこのような奇手はメディアの栄養になっており葬儀社の栄養になっているのか疑問です。

    でもこの言葉が一部で光を浴びていることにより事前相談が身近になったことは、いい葬儀社が生き残るという法則の第一歩のように感じております。
     家族が迷惑とも思える遺志もありますし、遺族が描いている葬儀のイメージもかなりズレが施行前にはあるかと思います。しかし普通の社会生活の中で葬儀の知識なんて備わっておりません。その中で葬祭ディレクターは経験をいかし、できるだけわかりやすく納得できるようにいっしょにディレクトしていくのが仕事ではないのかなと思います。
    最終決定はもちろん遺族です。しかし、私は部下が遺族が言ったからという言い訳を絶対許しません。「それはオマエの職務怠慢だ!」(例えば、家族葬で親類にも知らせないといったものをそのまま放置してリスクの説明などをしない。)

    葬儀社スタッフって祭壇作ったり司会したりはオマケのお仕事で今は特に多様化した葬儀事情ですから、その葬儀が上手くいくように現場監督のような人材が必要なんじゃないでしょうか?そのため終活も上手くいくようにすることが本筋であってやっぱりディレクトの最終ゴールのイメージの持ちようによって終活が悪になり正義になるんではないかと思います。宗教だって同じことがいえますよね。

  • 依頼者(多くが喪主)、葬儀社、生花業者のトラブルは以前からあり、2000年前後には数件の裁判がありました。
    持ち込み禁止は互助会で見られることが多く、それら以外では「持ち込み料や清掃料名目」で徴収をするケースが見られました。(当時はBで30%位だったかと)
    依頼者対葬儀社の裁判では、依頼者側が「敗訴」です。(抱き合わせ販売にはならないとの判断、選択権が行使できたはず)
    葬儀社対生花業者の裁判もあったと記憶していますが、資料が何処に行ったのか解りません。

    因みに、アメリカではネットで棺が買えるために、「棺の持ち込み料金徴収は禁止(違法)」となりました。(家族や本人がウォールマート通販等で購入)
    私の父の時に「棺は持ち込み」と言ったところ、「安くしますので、勘弁して下さい」と言われました。(大手互助会でしたがカトリック教会の関係もあり、驚くほど廉価)

  • >普通の町の花屋さんと付き合っても供給が保証されないのでつきあえない、
    >そして付き合いのある花屋にはいつも一定の花を確保させている

    これは素人にも容易に想像がつくことですよね。
    町のお花屋さんに、例えば葬儀社の見積もりにあるのと同じ額(私の場合は5万円分)の花を、今日の明日に用意しろなんて到底無理でしょう。
    町の花屋さんなら、突然の注文に対応できるのは、5,000円のアレンジ3個か4個というところだろうと思います。

    出入りの花屋さんに頼むのは別にかまわないのですが、原価150円の菊を300円で出しますとハッキリ言われた後なんです。
    普通に頼めば5,000円のアレンジが、出入りの花屋さんだと1万円になるわけですから・・・。

    他の記事へのコメントでは詳細を省きましたが、私は、基本は直葬なのですが、キリスト教会の会堂をお借りして、申し訳程度に前夜式とお別れ会をします(地元での骨葬とは別に)。
    そこでは、祭壇を作りません。花器なども必要としません。アレンジを数点置かせていただくだけです。
    アレンジなら、運び込みは自分でできますし、枯れるまでそのまま教会に飾ってもらえますから、片付けも必要になりません。
    なので、葬儀社さんにご迷惑はかかるまいとお願いしてみたのですが、大手の葬儀社さんは、花は出入りの業者でなければ受けられませんとのことでした。
    でも、小さな葬儀屋さんから紹介された葬儀屋さんはご自由にと言ってくださったので花屋に問い合わせたのですが、まさか、その花屋が葬儀社の影におびえるとは考えもおよびませんでした。

  • かかし 様、
    ちょっと違うケースですけど
    故人の遺志を反映した凝った洋風の花の祭壇を作ったのに
    菊の供花を持ち込まれて、
    さてどうしたものか、って昔は良くありましたよね。

  • prof様
    >「持ち込み料や清掃料名目」で徴収をするケースが見られました。
    これは結構あくどいですね。
    >依頼者側が「敗訴」です。
    この判決は意外。

  • 依頼予定者 様、
    私ひとつ思い違いをしておりました。
    葬儀社の施設ではなく
    教会へのお花の持ち込みだったんですね。
    その禁止は葬儀社の越権行為だと思います。
    教会側から葬儀社側へ
    「葬儀社が持込禁止を判断するのは認めない」
    と言ってもらう、という方法もあるかと思います。

  • 教会は、、、飛び込みで葬儀をお願いしたのですよ。

    葬儀社さんと相談した帰り、母が切なそうに言いました。
    結局、地獄の沙汰は金次第ね。お父さん成仏できないね、と。
    キリスト教で送るのに成仏できるわけないないやんと冗談を言いながら、母が望んでいるのは直葬ではないことに気がつきました。
    いくら私の地元で骨葬をするにしても、やっぱり最後は誰かに拝んでほしいんですね。
    母は無宗教ですから、それが坊主でも、牧師でも、何でもいいわけです。

    ものは試しで、一面識もない教会の扉を叩き、相談をしてみました。
    結果はふたつ返事でオーケー。
    母にその報告をしたら泣いて喜びました。

    ですから、そんな教会にご迷惑をかけるわけにはいきません。
    ただ、場所を提供してくれて、祈ってくれればそれで十分です。
    無宗教の父も成仏できるでしょう(笑)

  • 依頼予定者 様
    >教会は、、、飛び込みで葬儀をお願いしたのですよ。
    ああ、失礼いたしました。
    でも教会の敷地内でのお葬儀で
    教会が制限加えるのならともかく
    葬儀社が制限を加えるのは確かに納得いかないですよね。

  • や、いちゃもんのつもりじゃ無いのですが、三國連太郎さんがリスペクトされている親鸞上人自身、「某閉眼せば、賀茂河にいれて、魚にあたうべし」と、希望されてましたが、鳥辺野で荼毘にふされましたので、佐藤浩市氏らご遺族が、どう対処されるのかは、興味の湧く処です。

    で、金子哲雄氏に関しても、喪主の稚子さんが、「死後のプロデュース」内で、故人が希望する遺影を使うかで悩まれ、結局は、葬儀屋さんに押し切られたような書き方で、後悔しておられたような記憶がありますので、悩みは尽きんと思います。
    や、ワシ的には、我高野山真言宗の3名が関わったという逆修戒名こそ、彼に無駄な時間を使わせたようで、心が痛いです。
    幸いなのか、葬儀を執行した浄土宗寺院が、その逆修戒名をそのまま使って下さり、トラブルが聴こえてこなかったのですが、当然のように、祭壇に鎮座していた白木の位牌には、真言宗の種字「ア」ではなく、浄土宗の「キリク」が墨書されていました。

    故人となった流通ジャーナリストが、最後にプロデュースされた、感動のセレモニーでしたが、それでも悔いが残るのは、人間の欲の為せる業だと思えます。

  • 依頼者には葬儀社の選択権と決定権があり(強制使用でない限り)、「意に反する葬儀社は選択せず、使用を回避できたはず」との判断です。
    成年後見人制度にも関連しますが、「心身喪失状態等で正確な判断が出来ない状態」でない以上は、結果として問題であっても「自己責任」です。
    紹介サイトで高評価の店に飛び込みで入ったが、料理が不味く接客態度が最低であっても、「その店を選択してその店に入って料理を注文したのは自己責任」であり、不味いから、店員の態度が悪いから料金は払わないとなると「客が全面的に悪い」とされます。

    ただし、本年3月の判決(霊柩車グレード・アップ事件)では葬儀社敗訴であり、全体としては「悪い葬儀社を選んだ自己責任」、細部では「依頼者の承諾を得なかった葬儀社の責任」と判断されています。
    しかし、依頼者が「お任せします(破滅のキーワード)」を言っていれば、葬儀社完全勝訴です。

  • prof様
    >「お任せします(破滅のキーワード)」
    最近これを言わない消費者が増えてきたことも
    終活の成果だと思うわけです。
    入棺体験ってビミョーとは思いますが
    それが入口になるんなら・・・という気持ちです。

  • 本年3月の「グレードアップ訴訟」(ランクアップ訴訟)は下記。
    http://gojokai-ombudsman.net/140327cerema-sogi.pdf

    専門業者でも「危ない方法」をしているので、訴訟になると敗け。
    昔は町内や知り合いの葬儀屋さんに頼んだので「お任せします」が通りましたが、
    「一見の葬儀社」なので、任せると危ない場合も出ました。

  • 泣き寝入りと訴訟繋がりで

    昨日(11月19日)、福岡地裁で日本セレモニー裁判の判決が出たはずです。
    http://www.cso-fukuoka.net/news/moushiire/413

    一連の互助会裁判にリンクした「消費者庁の特攻隊による切り崩し策」での、認定団体による訴訟であり判決文は見ていませんが、セレマ訴訟と同様の判決ではと考えています。
    判決文が公表されればUPしておきます。

  • 上記、消費者団体訴訟の判決日に合わせて下記の相談を受け付けます。
    http://www.cso-fukuoka.net/news/seminar/426

    日本セレモニー訴訟では「勝訴する」と確信をして、11月19日判決、11月22日相談受付としたと思われ、非常にインパクトがある3T(テーマ、タイトル、タイミング)作戦としては素晴らしいものです。(業界から見ても、敵ながら天晴)
    今後の、「集団訴訟後のカンフル剤作戦」として使われそうです。
    「錦の御旗」を持っているので、互助会は逆賊扱いです。
    鳥羽伏見、田原坂と来ると次は?

  • prof様
    >日本セレモニー訴訟では「勝訴する」と確信をして
    セレマ裁判の流れからすると
    そういう判断になりますよね。

  • ヒロサチヤサン少々極端な言い方をしたかもしれません。が、本質はそこにはないと思います。

    死に当たって、無様な姿を見せず、いい思い出を残し、迷惑をかけないように事前に準備しておくのは、人間として当然。死するものを美しくおくってあげるのもそうです。誰だってどこだってそうです。お釈迦様もそうやって送られました。

    が、仏教徒としてのヒロさんはそこにとどまってはいられなかったのでしょう。仏教は本来、死後の世界、神や霊魂の存在、人生の究極の意味、究極の真理などという人間が絶対にわからないことについて、不記(否定も肯定もしない)という態度です。それらが重要でないというわけではありませんが、もっと重要なものがあるというわけですね。後のことを考えるのはほどほどにして、今を精一杯最上に生きろ、それが仏法の基本態度なのです。

    が、例えば死後の世界の非存在にたえられない人も多くいるのです。そういう人は不安にさいなまれ、死後の世界のことばかり考えるようになる。そこで、そういう問いから離脱するために「ある」と断言して頭から信じろとしたのが大乗仏教なわけです。親鸞さんは「弥陀や浄土はヨリシロ」と自覚しておられました。(日蓮さんはそうじゃないみたいですが。)

    本来の仏教の立場でいえば、終活をするのも、今を安心して生きるために役立てば大いに結構です。が、時々ひっくり返ってしまう人がいる。今を生きるのをおろそかにして、死後のことで頭がいっぱいになる方ですね。日本独自の葬式仏教もそれに拍車をかける。仏教者としてそれではマズイ。それがヒロさんの意見だと思います。

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