亡くなったあとでも物理的に存在している、ということ




先日葬儀関係の新サービスを取り上げました。
このサービスは
遺骨を粉末にして植物の種と一緒に土に埋め、
遺骨に含まれる栄養素を吸い上げた花を加工して遺族に渡す
というものです。

机

そこで思い出したのはこの本。
 
爆笑問題のニッポンの教養 生物が生物である理由 分子生物学

太田 光,田中 裕二,福岡 伸一 講談社 2008-01-11
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by ヨメレバ

福岡伸一氏は「生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)」がベストセラーになった分子生物学者。
最近は日経新聞でも連載持ってますよね。
この本の中で氏は
「亡くなった人の肉体の構成要素というのは分子レベルではずっと存在し続ける。
たとえば肉体を構成していた分子は循環してイスや机など無機物の中にも存在し続ける。」
というようなことをおっしゃっていました。

自分がこの世から消滅してしまうという
死の恐怖を少し楽にしてくれる話だと私は思ったんですが
みなさんはどう思いますか?




7 件のコメント

  • へぇ、面白い!自分でやってみようかな。ペットにもできるというところがいいですね。食い付くお客さんは必ずいそう。

  • かかし 様、
    そのシーンは気づきませんでした。
    ダークサイドしか記憶に残ってない・・・

  • アタシはずっと永遠にあこがれてきた。

    例えば激しく恋をしたとき、今まさに永遠が実現された、と思ったこともある。
    ファウストの「時よ止まれ、お前はいかにも美しい」だな。そうしてファウストは死ぬことになるのだが。

    が、永遠というのは恋とか、それどころか喜びや悲しみのある生活とか、そういうものでは全然ない。モノを感じたり考えたり、そういう流れ動く意識の働きは、永遠にとかなり縁遠いものだろう。ゲーデルによって永遠確実だと思われていた数学すらその基盤が崩されたくらいだ。そう思って見回すと、アタシの持ち物のなかでは死にいちばんちかいのではないか。いやそこに永遠そのものがあるのではないか。

    そうおもって、ずっと長いあいだ恐れていた死が、少しだけ親しい顔を見せるようになった。人生はひたすら苦しみであるのは一面の事実(いや大半かも)、死ねばもう苦しまなくていい。永遠に。それは何という喜びだろうか。

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