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葬儀屋さんがやるべきことは葬儀を行なうことではない




先日書いた記事
葬儀屋さんのヒューマンエラーを防止する 3/3
の中で
礼状なんてやめちゃえば、と発言しました。

礼状をなくすというのは葬送文化の軽視であると
思われた葬儀屋さんもいたでしょう。
仏

以前書いた
葬儀業界のブルーオーシャン 3/3
という記事の中でも述べていますが、
顧客が求めているのは
弔いたいという本能の処理であって
葬儀というのはその手段に過ぎません。
葬儀自体を求めているわけではないのです。
ましてや礼状を求めているわけではありません。

とはいえ
現在のところ、弔いたいという本能の処理に最も適しているのが葬儀である、
というふうにも私は考えています。
たとえばカウンセリングという手段で
葬儀以上にたくさんの人を巻き込んで、短期的な効果を上げられるのなら
私はその方法を取るでしょう。
しかし実際は
局地的な効果しかあげられないと思うのです。

というわけで日々お葬式の施行に追われる日々ですが
葬儀は目的ではなく手段である、
ということは常に忘れないようにしたいと思っています。











16 件のコメント

  • 礼状については思うところがあります。(いつもの癖で令状と書きそうになった)

    私の母の死亡時は私が海外におり、帰国できませんでした。
    父が喪主を務めて、家族や親戚だけで葬儀を行う予定でしたが、「母の友人4名」が
    どうしても葬儀に参列したいと申し出てきて、葬儀社の社員に話をしたところ
    「礼状が必要です、最低印刷は100枚です」との話しで100枚の礼状を注文。
    そして、「96枚の礼状は廃棄」しました。
    この話を知り合いの葬儀社社員にすると、「私ならお父さんに手書きで、4枚のメッセージ
    を書いてもらった。そちらの方が心がこもっている」と言われました。

    確かに、葬儀対応で忙しい喪主に「手書きメッセージ」は負担と言えば正論ですが、
    葬儀と礼状が「ルーティン」と考えるのは無理があります。
    因みに、この葬儀社は見積額の1.8倍の請求書を持って来ました。

    私の父の死亡時は妻が海外におり、帰国できませんでした。
    父の葬儀はカトリック教会で行い、礼状はありませんでした。(参列者は30名程度)
    こちらの請求書は見積額と同じでした。

  • 先日曹洞宗に依る、さる方の式典に出席したのですが、僧侶がしたことと言えば

    ①釈迦牟尼さま、故人を宜しくお願いします
    ②自分たちは正しく生きていようと思います(般若心経、修証義第四章)

    に尽きているなと観察していました。

    ②は明らかに現世に生きている人、つまり出席している人々自身に対する事柄であり、①は故人に対してではあるもののそれと同時に「故人が極楽に行けなかったのではないか、荒魂になって災いをもたらすのではないか」という不安を取り敢えず決着させる手段として、やはり生人に対する事柄でもあったわけです。

    日常生活のなかで善悪の判断や正常異常などの現象が、いつか自然現象の中の物事として溶け込み消えていくという感慨は、日本人にとって親しいと思います。そして先祖は(当人がどういう人生を歩んだかはともかく)〔ホトケ〕となり、生人の必要行為は葬式と年回法要を営むこととされています。仏教式の式典を行うことで死後の安楽は保証されたと思うことにして、生きている間は特定の宗教に属さない=無宗教でいることに安心して居られるので、これはもはや本来の仏教でない、生人のための「葬式仏教」なのです。

    故人を大切にすることとか生活の鎮守に対する敬虔さという、突き詰めれば教祖も経典という宗教的なモノを殊更必要としない心が日本人に根付いていると私は考えていますし、それでも死を巡る不安には仏教がもたらした呪術祭祀と慈悲行の実践で補われるとして、儀礼としての仏教が受容されてきた経緯があります。

    つまり、葬式と年回法要自体、現世利益的なものであるというのは(良いか悪いか措いても)日本に仏教が伝来した最初からといえますし、それゆえに「礼状がなくなる」というのは他記事にてコメントしたこともありますが、「伝統として変化してゆく中での一事象」として語られる事柄なので、葬送文化の軽視にならないと私も思います。

  • (承前)

    しかし
    >葬儀は目的ではなく手段である
    というのはある意味では違うと思います。

    というのも、先にも書いてきたように祭祀が「仏教式の」葬式であるということが、故人を敬い生活を鎮守する願いだけではカバーしきれない呪術的要素を補うモノとして受け容れられたために、故人が荒魂となって現世利益を脅かしてこないよう葬式等を経て平穏が達成されるということになっています。ならば、葬式は手段でありながら、同時にそれ以外の方法では故人を奉っても効果があるか不安になるとして、葬式行為の一部が目的にもかかってくるからです。何かを達成するというのは手段でなく目的のほうですが、現世の平穏という最大目的を達成するにあたっては「仏教式の」葬式と年回法要の達成があって実現される…と皆が何とはなしに受け取っているのではないか?と考えられることがあります。

    確かに祈願が伴わず葬式儀礼だけやることの何が達成だというのは尤もです。祈願があって初めて儀礼が生まれるからです。ところが「葬式仏教」の性格上、故人を弔うにあたっての慈悲行の貫徹以外に死を巡る不安を安心させられないのではないか?というところから、仏教の儀礼を行うこと自体に意味がありました。ということは(無宗教を基本とすると)葬式儀礼は故人を弔う手段で勿論ありつつ、「弔いとして葬式を挙行すること」自体が目的化されるわけです。かつ、それは礼状がどうのこうのといった時代が近い話題ではなく、結構古くからあったことだろうと思っています。

    なお、物理教師様はあくまで葬儀社という視点から全くもって葬式を手段の側で話展開していると思いますから、上記の内容は場違いかもですがご許容下さい。時間があったら私のブログで改めて、今一つ表現しきれない考えを整理しようと思います。

    Blog:『SOFIAの見つめる世界』

  • prof様
    >最低印刷は100枚です」
    たしかに版下作ったり配達業務があったりするので
    このロット自体は間違っていないのですが
    そもそも作る必要があったのかどうか。
    私の場合一桁なら手渡しで御礼を言うことを勧めています。

  • SOFIA 様
    丁重なコメントありがとうございます。
    >なお、物理教師様はあくまで葬儀社という視点から
    ご配慮ありがとうございます。
    まったくもっておっしゃる通りでございます。
    宗教ゆえに普遍化できる部分の限界というのもございまして
    日頃宗教論争には踏み込まない(踏み込めない)のもそもためです。

  • 千葉市役所からのアクセス数。
    6日 56ページ、7日 116ページ、8日 68ページ。
    予兆現象としてはステージⅣで、確定的です。

    昨年末より4度ほど全葬連に連絡をしました。
    「このままでは、全国都市で葬儀関連規制や指導要綱が創られてしまう」と。
    結果は予想はしたが「無のつぶてで、動きは見えず」。
    千葉市以外でも「複数の自治体が規制要綱と創っています」。

    さいたま市での「エンバーミング施設の規制対象外し」に成功したのは、互助会の力。
    現時点で、「宗教法人であっても規制対象は新宿区だけ」です。

    葬儀屋さんがやることは、「葬儀を行いカネを稼ぐだけではなく、社会的必要性と
    公益性を認識させること」があり、これらを怠ると全国各地での規制が強化されます。
    FB誌の編集長にも2度ほど電話で話しましたが、「興味なし」。
    葬儀社が喜ぶネタや儲かるネタでなければ、「葬儀業界に有益な情報」では
    無い様です。

    新しい船は「新しい知識や考えができて、最新機器の操作できる船頭」でなければ
    操船はできず迷走をします。
    その意味では全葬連は「船頭多すぎて船動かず、その船頭は古老であり旧型の
    船しか操船できない」との状態ではないでしょうか。(青年部の力が活かせない?)
    一方で互助会は2代目である30~40歳代に主導権が移行されており、明らかに「差」が
    出てきています。
    業界団体である以上は「創業者や世襲者が主導」であることは仕方がありませんが、
    非血縁者でも「優秀な社員や現場の意見」も取り入れなければ牙城は崩れます。

  • prof様
    たしかに今が一番「老害」の影響が強い頃かもしれません。
    居なくなったときは手遅れですね。

  • 古老が全て悪ではなく、デューク大の福島先生の様な突出した方もいますが、
    日本ではこのタイプは受け入れられないので、悪い部分が拠出します。

    今の逆境に立ち向かうためには過去の経験や武勇伝ではなく、「目の前と
    これから派生する問題への対応」が重用であり、40~50歳代が中心でなければ
    厳しいです。
    日本各地へ広がる「葬儀関連規制」は止められませんが、緩和や回避はまだ
    可能であり、早急に手を打たなければ「死に体」になりかねません。

    9日の千葉市役所からのアクセスは0ページでしたので、「草案(前回市議会提出分)
    +細則造り」が終了した可能性が有ります。
    鈴鹿市役所と山梨県庁もキナ臭い動きが。

  • prof様
    >早急に手を打たなければ「死に体」になりかねません。
    多分日々の自分とこの会社経営で必至なんですよ。
    船底に穴空いているのに、甲板上で食料奪い合っているという・・・

  • なるほど。
    指導者不在や、指導者統率不足状態では「従事者のmotivation、 improve」に関する
    問題も拡大します。

    千葉市は10日が12ページですので、取りあえず「草案完成」でしょう。
    町田市は請願(採択)により規制(条例でなく指導要綱)の作成が始まりましたが、
    3点セット(葬儀場、遺体保管所、エンバーミング施設)ではなく、遺体保管所単独
    規制を進めています。
    しかし、他の自治体同様に「3点セット」が主流(さいたま市を除く)の流れであり、
    遺体保管所単独の指導要綱を施行しても、5年以内に葬儀場とエンバーミング施設の
    追加指定を行うのであれば、最初から標準である「3点セット指導要綱」が行政的には
    スマートな公務執行(先を見越した施策)であり、単独指定は確定ではありません。
    町田市内の施設開設は「年内」がお奨めです。

    今回のトリガーは町田市成瀬でしたが、この業者は「遺体保管所が3か所目」です。
    法令がない以上は「違法ではありません」。
    公的機関、公務員は「法や条例で書かれたこと以外は、出来ません」。
    民間人は「法や条例で規制されたこと以外は、何でも出来ます」。
    個人的には、「3か所とも問題が発生しやすい場所」であるとは思います。

  • prof様
    しかし規制を強めるんなら
    いっそフランスみたいに葬儀屋としての在り方に
    ハードルを課す感じにしてもらいたいですよね。

  • 残念ながら、国内で葬儀に関する法令や公的資格化の可能性は「ほぼゼロ」です。
    そのために、ハードルはおろかグラウンドにすら入ることは出来ませんので競技と
    しても成立せず、記録すら残りません。(正確な葬儀社数、施行数すら把握出来ない)
    「業に対する法令と条例、施行規則」は国が創りますが、地方分権化を進めており、
    「業の運営施行や施設等の条例や要綱」は各自治体が担当をします。
    そのために、「自治体による判断にバラツキ」が生じて、さいたま市の様な特例的な
    判断も出てきます。

    例えば、町田市は本年3月27日に請願を採択しました。
    その請願書には、「当該施設に搬入された遺体から漏れる細菌等によつて
    地域住民に感染症等の恐れがあることが医療関係者より指摘され」と記されています。
    これを読んだ市議会議員達が「大変だ」となり、市議会採択から指導要綱へとの
    流れです。

    上記の事項を用いれば「全ての葬儀関連施設はアウト」となります。
    「遺体から漏れる細菌等によって地域住民に感染症等の恐れがある」との根拠が
    限りなくない話し(葬儀業界自体も遺体は汚くて危険との自爆をしているが)、
    「医療関係者から指摘」とあるが、その人は「遺体や細菌等」に関してどれ程の
    知識があるのかも大いに疑問な事案ですが、これが「採択の最大の理由」でしょう。
    その意味では町田市も「3点セット指導要綱」の可能性が高い自治体です。

    営業を優位に運ぶため、専門性を誇示するために「遺体は危険」と言うことは、
    必ず「自らの頸を締めます」。(反対住民は、遺体、危険、感染で検索して収集)

  • 全葬連絡みで、6月30日に「パクられた葬儀社社長は全葬連未加入組」の様です。

    罪状は「清め塩」の使用です。
    清め塩は身を滅ぼします。
    清め塩や焼香を使用している葬儀社さんがたまにいます。
    因みに、愛車は「ベンツ」でした。

  • prof様
    一応確認なのですが
    清め塩は覚○剤、焼香はマリ○ァナ
    という理解でよろしいでしょうか?

  • 銀座でパクられたヤツがパケに入った白い粉を所持、「何だ、これは」との問いに
    「私は葬儀社社員だ(真実)、それは清め塩だ」(実はシャブ)と言って以来、
    葬儀関係者のシャブは「清め塩」です。
    焼香は「脱法ハーブ」です。

    今回の社長は「アブリではなくポンプ」で、清め塩とポンプを所持し、「尿検査で
    陽性」ですので申し開きは出来ません。
    よれよりも、この社長は「肩書が多い人」でありそちらも大変ですが、交友関係も
    広く「芋弦」も。

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