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葬儀の過剰演出の原因




島田裕巳氏のツィートを皮切りに葬儀演出に関する批判記事をみかけたので
今回はこの件をとりあげてみたい。

まぁ島田先生の日頃の発言も宗教学者としては常軌を逸してると思うんですけど。
もちろん、島田先生は要らない、とは思いませんが(^^;)

さてまずはこの記事
 

葬儀社のスタッフから「(遺体に)声をかけてあげてください」と言われたのだ。

これは同感。「感謝の言葉をかけてあげてください」と葬儀屋が言っているのを聞くと内心
うるせぇ、自分の勝手だろ、と思う。
(参考記事:棺のふたを閉めるとき

 その気がなくても、故人と「最後の対面」をしてしまうこともある。

ちゃんとした葬儀屋さんは、遺族に一般参列者が面会していいかどうかの確認をする。
一般参列者に声をかける際も「ご希望の方は~」と一言添える。
hato

次はこの記事

最近鵜飼氏と島田氏が登場するだけで眉唾感が増すのだけれど(^^;)

「家族や親戚以外の人もいる葬儀で、『最後のお別れです。ご遺体に触れてください』と演出されると驚いてしまいますよね」

そもそも一般参列者の前で湯灌なんかやるのだろうか。
悪魔の証明になるので絶対ないとは言えないが、かなりのレアケースだと思う。

その結果、葬祭業者は、直葬を選ばなかった遺族の葬式で利益を確保しようと、様々な演出を積み上げるようになったという。「オプションを積む方向へ舵を切ったのです。こうして妙な演出を切り売りするようになったことが、参列者にとって違和感を覚える葬式になった原因でしょう」

これは違う。

葬儀のサービスで追加のお金をもらうのは、実は難しい。
日本人はモノにならお金を出すが、サービス、特に演出という余計なサービスにはお金を出さない。
だから葬儀屋は水車を置くとか、わけの分からんモノを投入していた。
妙な演出と言えば、以前やっていた(らしい)鳩を飛ばすというのは一見演出っぽいが、鳩という(生き)モノを使っているというロジックで半ば強引に追加費用を発生させていた。
このように現実には、妙な演出は作業量を増やすだけで売上げには結びつかない。
だから経営者はいやがって推奨はしない。

目に付くようになってきたのはおそらく
葬儀屋労働人口の増加に伴い、
リアルな身内の葬式を経験した事はないくせに他人の葬式で感動したがる薄っぺらい勘違い感動葬儀屋が少し増えたせいではないかと思う。キツい言い方だけど。
そんな葬儀屋のマスタベーションにみんなつきあわされている状態。
(参考記事:「感動葬儀」はいらない

ただしそんな妙な演出をやっている葬儀屋は本当に一部。
そんな特殊な葬儀屋を捕まえて、さも全体がそうであるかのように島田氏が的外れな文句を言っている
というのがこの騒動の構造。











11 件のコメント

  • 10年前くらいに鳩飛ばしてました(–;)
    過剰な演出が増えたのはペット葬も起因してると思います。遺骨をアクセサリーにしましょう、というカタログとか
    まぁ”宇宙葬”言ってる社長もいますからね…

  • 通りすがり 様
    >まぁ”宇宙葬”言ってる社長もいますからね…
    定着しないですねぇ。

  • ほとんどの担当者が演出目的で、無理に「故人の体に触れてください」と言っているわけではないと思います。最後のお別れの場で、故人に触れたくても一歩踏み出せない方へのいい後押しとなりますので・・触れたくない人は、それなりの理由があるからではないでしょうか?

  • 島田先生の論にも「一理」はあります。

    今の日本国内の葬儀は「パフォーマンスへの傾向が強い」のは事実です。
    特に、「ショー・パフォーマンス化」が進みすぎて、本来の葬儀の意義や意味とは
    逸脱した部分があります。
    私自身も聞いた事がありませんが、「一般参列者の前で湯かんをする」との行為は、
    あり得ない行為でありサービス、ビジネスです。

    本来、人とは「生きている時が大事」であり死ぬ前にどの様に対応してきたかが
    問題です。
    色々な事情から疎遠になる場合もありますが、遺体の顔に触れる行為や遺体に声を
    掛ける行為の多くは「参列者側の自己満足、逃避」である場合が多いのも事実です。
    身近にいて充分な世話をしたのちに看取りに立ち会った家族でも、最後の別れとして
    「顔に触れる、声を掛ける」との行為と一般参列者、特に「義理参列者」が遺体の顔に
    触れる、遺体に声を掛ける行為とは、「別の意義と意味」があり一概には否定は
    出来ないでしょう。

    UKの様な「しっかりした意義と意味」を考えれば葬儀の方向性は見えてきますが、
    ビジネス的には「派手や大きい方が儲かる」ので、難しい問題です。
    ただし、「原点回帰」を考える時期でもあります
    島田先生に関しては、「坊主憎けりゃ袈裟まで」ですので。

  • prof様
    >坊主憎けりゃ袈裟まで
    島田先生は例の一件以来、世間が憎い、状態ですから。

  • 例の件でも、「思い入れ、思い込み」が強いので。

    作家(著者)としては大成功ですが。

  • 司会者のなんとなくで言い放つどっかで聞いたことある言葉(笑

    触れたい人は勝手に触れるだろうし

    島田先生がご健在でなによりですw

  • かかし様
    >島田先生がご健在でなによりですw
    このブログのネタとして(^^;)

  • 互助会の鳩飛ばし。無くなりました。
    鳩を飼う人がいなくなったことと、戻って来ない鳩も多かったのでしょう。
    地域の風習でもないことを、定着させようとして、失敗しました。

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