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それでも香典と香典返しが生き残った理由




今回は、それでも香典と香典返しが生き残った理由という話です。

皆さんは「新生活運動」というものをごぞんじでしょうか。

(1) 1955年鳩山首相が提唱した,みずからの創意と良識による日常生活向上運動。 56年には財団法人新生活運動協会が設立され,各都道府県に支部をおき,より民主的,合理的,文化的な生活を実現することを目的としている。 1960年代以降,コミュニティーづくりや生活学校などの地域住民の主体的運動形式の方向に重点がおかれている。

コトバンク>から

簡単に言うと、無駄な習慣はやめてもっと合理的なつきあいをやっていこうぜ、という戦後起こった習慣です。
その中で香典返しが槍玉に挙げられたと。
5,000円渡して2,500円の品物返してもらうなんて無駄だから、最初から香典を2,500円にすればいいじゃん、ということですね。
しかしこの運動は結局全国規模で広がることはなく、
今は栃木県の一部に残るのみらしいです。

さて突然ですがここで構造主義の入門書を2冊ご紹介。

実際に読んでみると哲学系の本にしては確かに分かりやすく、評判が良いのもうなずけます。
(こんな本を書ける内田 樹氏が、イデオロギーがからむとツッコミどころのある発言をやらかしてしまうのが個人的には不思議なのですが・・・)

これらの本の中ではレヴィ=ストロースの思想が解説されています。
レヴィ=ストロースは
人間を贈与する生き物と定義しています。
人類が近親相姦を避けるのは女性が贈り物であるから、という一聴するとフェミニストが怒り出しそうな説を唱えています。
女性が家族以外の共同体に対して贈るものだから自分のものにしないという考え方のため、近親相姦がタブー視されている、というわけですね。

人間の本性は「贈与」にある。

キーワードは「反対給付」です。これは要するに、何か「贈り物」を受け取った者は、心理的な負債感を持ち、「お返し」をしないと気が済まない、という人間に固有の「気分」に動機づけられた行為を指しています
社会関係(支配者と被支配者の関係、与えるものと受け取るものの関係、威圧するものと負い目を感じるものの関係)は振り子が振れるように、絶えず往還しており、
人間は三つの水準でコミュニケーションを展開します。財貨サーヴィスの交換(経済活動)、メッセージの交換(言語活動)、そして女の交換(親族制度)です

香典と香典返しはまさしく贈与と反対給付ではないでしょうか。
人々がなぜ贈るのかというのはそもそも複雑な理由なんか無くて
弔意を表すためにただ贈る、贈られるというシンプルな関係性に意味があるのではないか。
人間だから贈るのだ、ということですね。
こう考えると人の死という原始的な状況で贈与が行われるのはむしろ当然のような気がします。
そして財貨サービスの交換とメッセージ(弔意)の交換という機能を持っています。
香典と香典返しが人間の根源的行為と共通するものであるなら
反対給付が発生しない新生活運動が定着しなかったのは必然ではないでしょうか。
香典返し
とはいえ
関西では香典辞退が進んでいるらしいです。
以前私が施行したお客様が「関西の友人が亡くなって参列できないから、香典送ろうとしたら辞退だって。供花も辞退って言われたから、もうなんか、気持ちのもっていきどころがなくて」とおっしゃっていました。
どうも受付と香典返しが面倒という理由で社葬で香典辞退をやり続けたら
一般にも波及したという説を聞いたことがあるのですが、
真偽のほどは不明です。

世界規模で類似の行為があるのか
香典返しの起源と近年の香典辞退の背景と、代替品はあるのか
ということに対する回答は
また次の機会に。

(追記)
レヴィ=ストロースに興味を持たれた方は

こちらもどうぞ。
分かりやすい入門書です。











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