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葬式の意味すら分からない人達




こんな連中がデモをするのはむしろ逆効果でしょう。

横浜で喪服姿の大学生がデモ 国立大文系学部見直しに反対

以前  「悪い意味での」宗教という記事の中で葬儀に参列する姿でデモを行う人を批判しました。

今回は子供だから、ということで大目に見ましょう。(背後で左巻きの大人が仕掛けているっぽいですが)

恐らく喪服にはどういう意味があって(参考記事:日本人の葬儀の服装は間違っている?)葬式にどんな意味があるのかってことを考えたこともないのでしょう。

誰かが殺されたことに抗議して行うデモなら、喪服姿でもいいでしょう。
しかし誰も亡くなっていないのに葬儀のまねごとをするというのは、「弔うという行為」と「本当に弔っている人々に対する冒涜」です。ふざけているようにしか見えません。

もし私の言っていることが分からないのなら
そんな学生のいる学部は廃止してもらって葬儀学部作った方がよっぽど世の中のためになると思いますよ。(参考記事:葬儀学部誕生?











6 件のコメント

  • 日本では、葬儀学部や葬儀学科は造らない方が「国民のため」です。
    日本1、アジア1、東洋1を名乗る人達を「10人ほど知りますが、学術的には素人」
    ですので、これらの人達が教育(指導は良いが)をすること自体が間違い。

    国内の学校教育法では「6年規定」が存在しますが、これを無視した教育が
    葬儀分野では行われており、これ自体が「教育としては成立しません」。
    文科省の高等教育担当でも「葬儀ですよね」との対応であり、国内で葬儀が
    教育や科学として成立するかは「限りなく疑問です」。
    単なる、「就職対策としての教育」であれば成立はしていますが、国内に4校ある
    葬儀分野専門学校の教育内容や指導者を考えると、「学問としてはムリ」です。

    本来、教育とは「学校ごとに答えが違う」(東大は1+1=2、京大が1+1=3は
    あり得ない)自体が間違いであり、考えられない状態です。(統一性がない)
    国内の葬儀専門学校4校と話しましたが、「独自の考えや判断に基づき教育」との
    話しであり、「正しいか、真実かは問題でない様でした」。
    その意味では、日本に「葬儀学部や葬儀学科を創るのは公敵です」。

    専門学校であっても「教員資格要件」がありますが、これすら守られていない
    のが現状ですので、大学教育は不可能でしょう。(不認証卒業生を増やすだけ)
    A校では「マニュアルは必要」、B校では「マニュアルは不要」等と教育を
    されると、混乱を招くだけであり社会的不信を煽るだけです。

  • prof様
    もちろん葬儀学部はネタですが
    例えば経済学部も教授によって言ってることが真逆のことが良くあるので
    葬儀も大目に見てもらえないでしょうかね(^^;)

  • 本来、葬儀とは風習や習慣に基づき執り行われてきた「地域性の高いもの」
    でしたが、商業優先や葬儀社主体への移行から「地域性の消失」が激しく
    なりました。
    例えば「骨葬」は九州や信州、東北で見られた葬儀方法でしたが、
    「骨葬は儲からない」等の部分もあることから、これらを否定して骨葬を
    止めさせる葬儀社も見られます。
    狭い日本ですが、地域ごとの「葬儀」があっても良いはずです。

    教育においても、葬儀を「Science(科学)」と捉えるのであれば、「答えは1です」。
    しかし、業として行う葬儀は商業であり科学とは異なり「答えは断定できません」。
    特に、「サービス業」であることから「何が正しく、何が間違いかが判らない」との
    状態であり、葬儀教育内における科学的な物も「あいまい、適当になってしまい
    ました」。(大手互助会が、マニュアル不要を唱えている様に個々の判断が正解)

    小保方さんは、「根拠に基づく立証や再現」が出来なかったために、科学者の
    道を絶たれました。
    一方で、佐村河内さんも作曲家の道は絶たれましたが、こちらは「立証や再現」も
    求められずに、”一発アウト”でした。
    これも、「科学と非科学による、違い」です。

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