葬儀ブロガー日本代表が葬儀ブロガーアメリカ代表の本を読んでみた。「ある葬儀屋の告白」

おまえが葬儀ブロガー日本代表なのか、というタイトルへのツッコミはさておき
今回紹介するのはこの本。
「ある葬儀屋の告白」

著者はブログで有名になったアメリカの葬儀屋さんで、そのブログを書籍化したもの。

たまたまこの本を読んでいる同じ時期に、アメリカの葬儀屋さんのドラマ「シックスフィートアンダー」もアマゾンプライムビデオで観ていたため
自分の脳内でぴったりリンクしました。
ドラマの方はコメディタッチでかなりデフォルメされていますが。

この著者キャレブ・ワイルド氏の、ブログがきっかけで本を出したという経緯は私と同じ。
アメリカでも葬儀屋さんのブログは一般読者の関心を集めるようです。

アメリカも日本もいっしょだなという葬儀屋さんあるあるネタが結構ありました。

昔はプロの葬儀社ではなく、その地域の誰かが葬儀屋の役割を担ったものだ。

このあたり、かつての日本の慣習と背景が似ています。

悲劇的な死がトラウマになって、それが頭の中で悲鳴を上げ続けているので、正常で安らかな死がなかなか目に入ってこない。

この感覚もよく分かります。自分の場合も、両親が夭逝したことと相まって、自分が長生きしている状態がイメージできません。

葬儀と遺体処理で、三〇時間連続で働いたことが

甘いな。私は36時間連続で働いたことある・・・と無茶な労働環境を自慢するのも日米葬儀屋さんあるある。

彼が私と違うところは以下の点。
A家業がずっと葬儀屋(葬儀屋の跡取り同士が結婚して生まれたのが著者。葬儀社名が「ワイルド葬儀社」ってどうなのか。TATOO入っているイメージなんだが)
Bエンバーマーである
Cまじめ
ここからはこの違いを軸にした感想です。

A家業がずっと葬儀屋

ふつう葬儀屋の息子というのは陰気なものだ

他の家族会社と違って、葬儀屋は何世代にもわたって続く。おそらくその理由は、子どもたちが、不意の悲劇的な恐ろしい死に出会わないように、外の世界に出て行こうとしないからだろう。外の世界に出て行って恐怖に出会うより、ずっと死のそばにいたほうがいい。

こう書かれていますが、本当にそうなんでしょうか?
確かに私の周りの葬儀屋跡取りは、単細胞的楽観主義者や根拠無きポジティブシンキングな人はいません。
でも、ここまで言われてしまうとなぁ。
「家業がずっと葬儀屋」の日本人の方、ご意見募集してます。

Bエンバーマー
エンバーマーとはエンバーミング(遺体の衛生保全技術)を行う人。
エンバーミングが一般的なアメリカでは、葬儀屋さんは大体この資格を持っています。

アメリカでは19世紀後半頃まで出張して遺族の自宅でエンバーミングを行っていたらしく、そのころの描写があるのですが・・・

キッチンの床に死者の血をできるだけこぼさなくて済むかを競ったそうだ

その後、葬儀屋の自宅でエンバーミングをするようになったものの

血はキッチンのシンクに流し

そして、やっとエンバーミング専用の施設を持つようになったという・・・

それにしてもこういう一般読者を引かせる内容をおもしろおかしく語る葬儀屋っているよね。これも悪い意味で日米葬儀屋さんあるある。

Cまじめ
著者は幼いことから人の死を見続けてきて、一度は葬儀屋を継がずに宣教師を学校に行きますが挫折して(それらしい辞めた理由を書いているもののやはり挫折だと思う)、鬱病やら同情疲労(遺族の悲しみに共感しすぎて精神を病む)を発症しています。

この本では故人情報をぼかしたといいつつ、いくつかのエピソードが挿入されています。
個人情報をぼかしたとしても、私は葬儀屋が葬儀エピソードを語るのは好きではありません。
表現や思考が拙くても簡単に、感動エピソードが書けてしまうからです。
とはいえ彼の場合、日常と、その日常に常に存在する死について語る上では、書かないわけにはいかなかったのでしょう。

しかし、この死の考察がわかりづらいのです。

わかりづらい理由は2つあって、1つ目はおそらくキリスト教のある程度の理解を前提としているから。
クリスチャンならスッと入ってくる考え方なのかもしれませんが、私としては分かったような分からないような。

2つ目は1つ目の理由と関連しますが、悪い意味で聖書的。
私の言う悪い意味での聖書的とは表現が韜晦(とうかい)的というか、持ってまわった言い回しというか。
翻訳もののせいもあるかもしれません。
7割くらいしか自分に伝わっていないのだろうなぁ、という感じです。
例えば

勇気の貯蔵庫の扉を開いて、死を否定しようとする言葉をすべて脇へ押しやる。

↑ほら、他にもっと表現のしようがありそうなものでしょ。


あと、訳者の後書きに一言。

原文の「Funeral Director」について

日本とアメリカでは制度が違うため、日本では葬儀監督者という呼称は使われないので、本書では葬儀屋という最も一般的な呼称を用いた。

と言っています。日本にも葬祭ディレクターという資格がありますが、確かにアメリカのとは違うので区別するのは良いとして

葬儀監督者は納棺士でもある。映画「おくりびと」ですっかり有名になった職業だ。

資格が必要なエンバーマーを、自称で通用する納棺士と呼ぶのは間違っています。
介護ボランティアのことを看護士と言ってしまう乱暴さです。
本文ではエンバーミングという言葉を何度も使っているのに。
訳者はもしかすると日本の納棺士はエンバーミングをすると思っているのかな。




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