先日、
私の伯父(父の兄)と伯母(伯父の妻)が眠っている
天王寺にある一心寺の墓参りに行ってきました。
先日ちょこっと紹介した
お墓は、要らない (学研新書)
でも詳しく紹介されていますが、この一心寺は
お骨佛
で有名。
お骨佛とは、納骨希望者のお骨を粉末にして、
布海苔と混ぜ合わせて作った仏像のこと。
10年に一体のペースで作られています。
私の叔父と叔母は3年ほど前に亡くなったので
次に作られる仏像に入ることになります。
伯父は若い頃事故で片足を失い、ずっと義足で生活していた苦労人。
父が亡くなるまでは数年に一度会うくらいでしたが、
父が亡くなったとき伯父から30万円ほどのお金を渡されました。
年金生活者が捻出するには大金です。
それ以来私が尊敬する人・・・
というとなんか拝金主義的にとらえる方もいると思います。
しかし自分に一番必要な愛情は兄弟や友人が与えてくれる。
次に必要なモノは、学生であった私にとっては、お金。
それを分かっていて、与えてくれる人は大切な人。
当時どん底にいる時のリアリズムってそういうことでした。
とはいえ
結局そのお金には手をつけられなかったのですけど。
その伯父が入院してもう助からないと聞いたとき
妻を紹介するために病院を訪れました。
「奥さんいくつ?」と聞かれたので「俺の11歳下」と答えたら
「そら、ええなあ」と言ったのが、可笑しくて、それが最期の記憶。
伯父のお葬式の挨拶は私が行い、
30万円のエピソードを話しました。
その半年後に伯母も亡くなりました。
後を追うように、っていう表現がありますが、
本当に後を追ったのだと思います。
どこも悪くないのに、
生命力だけがどんどん弱っていって
最期は老衰のような状態で亡くなりました。
二人には子供がいなかったので、
一心寺に納骨することに。
今は二人の住んでいた家もなく、仏壇も位牌もありません。
その日は休日ということもあったとは思いますが、
一心寺の境内はかなり混雑しており、お線香を上げる人が絶えませんでした。
一心寺の帰り、お墓のこういう形もありかなぁ
とお好み焼きを食べながら思った次第。