最近の心境

葬儀の担当が累計1,000件近くなってきた頃から
御遺族に褒めてもらおう、という自分の気持ちが邪魔になってきた。

こないだ日経新聞の記事で
ある互助会経営者が
「(葬儀の)司会者が、さあ泣いていいですよ、とサインを送った方がいい」
と言っていた。
まぁ、悪い人じゃないんだろうけど、
きっと私とは話しが合わないだろうな、
と思う。

遺族のために何か特別なことをする、そうして
遺族から発せられるであろう感謝の言葉を期待する自分の気持ちが
なんかイヤになってきたんだよね。
もちろん、そういう気持ちがあって
それがハードな現場を続ける原動力にもなってきたわけだけど。
でも同時にそれを望む作為というか自己顕示欲が不純だと思う自分もいて。
スポットライト
以前
故人は分かってくれている
という記事を書いた。
遺族に向けて、ではなくいっそ
故人に向けて、の行為の方が自分の場合しっくりくる。
最初から見返りを期待しないからね。

できることなら葬儀において
自分の存在を消したい、と思う。
どんどん自分の存在を薄めていって
その結果遺族の満足だけが残る、という状態が一番幸せ。
スポットライト2
ただこの心境って私の筆力もあって
うまく伝えられないなー
と思ってたんだけど
この間日経新聞の柄本明氏のインタビューを読んで
あーこれこれ、この感じ
と思ったので引用させていただきます。

「演じない」境地目指す
舞台では自然体が喜劇に 俳優 柄本明さん

(サイト会員にならないと全文見られないようなので
一部を抜粋)

人前で演じることは恥ずかしいし、不自然。
そう語る俳優の柄本明さんは日々、自問する。
演じていないように、演じることはできないか。

やりたい、やりたいと手をあげる人の芝居を見たいですか。
僕なら、イヤだ、イヤだという人にムリヤリやらせる芝居が見たい。
俳優が何かを創造できるとは思わない。

自然にしゃべれ、と言うけれど、台本のセリフは人の書いた言葉。
それを話すのはそもそも自然ではない。
だから舞台に出てきた俳優は、
いわば檻(おり)の中に入れられるようなものだ。
人目にさらされ、何かしようとする。
下手な俳優ほど、じたばたする。

時間がきた。舞台へ出ていく。ただ書いてあることを言う。そうありたい。

ところが僕も含め大概の俳優は何かしよう、表現しようと欲望を抱いてしまう。

(中略)

別役実さんの喜劇はさりげない。
くすくす笑いで、人にさわってこない。
熱いものが流れていない。
お客さんとの間で一定の距離感を保っている。
そこがたまらない魅力だが、とても難しい。
演じようとすると、手から水がこぼれるように逃げていってしまう。

とくに声。俳優は耳で声を選ぶ。
いい芝居をしなくちゃいけないという意識があると俳優は声をはる。
お客さんは「一生懸命やってるな」となって、取引が成立する。
人間が人間を見る、これはおそろしいことだと思う。
何かをやる羽目になっちゃう。

僕は殿山泰司さんという俳優が大好きだった。
こう言っていた。「向上心を持っちゃいかん」。
突きささる言葉だったなあ。
僕は劇団の若い俳優にこう言う。
今、あなたは、そこに立って人に見られている。
そこで、あなたが感じていることがあなたの演劇で、
それ以上でもそれ以下でもない。
存在感のない人間なんていないのだから。

大俳優の発言を例に出して大変おこがましいんだけど
この記事と併せて載せれば、何かしら伝わるかな、と思って
引用してみました。

それでも今日の私の記事って
一般の読者の方にはうまく伝わっているんでしょうか。
同業の方にすらうまく伝わっていないかもしれませんが・・・
すいません。




7件のコメント

レベル高いな~と反省しつつ見ていますよいつも。
私は物理教師さんの反対側の感と経験による現場対応型(よく言えば(笑))なので、記事を見ていて恥ずかしくなることが多いです。深い物事の見方などを教えてもらっています。一見堅物!?に見えますがその卓越した言葉の引き出しによってウィットに飛んだ表現は面白いです。って生意気言ってますね。

最近は荒れてるこの業界の動き、礼儀など高くなる一方の傍らで歴史が積み上げてきた腐った業界。モラルの低い人が何故か多い業界。レベルを下げたから安価といわんばかりの商品達…。
業績が厳しくなってきている中で何が大切なのかが分からなくなってきました。他社のするダサい動きに昔はヨシヨシと思っていましたが最近はコレだからこの業界はこんななんだ!と思うようになりつつ、じゃあお前はどうなんだ?自問する次第です(笑

かかし様、
>って生意気言ってますね。
いえいえ、お褒めの言葉ありがとうございます(^^;)

物理教師さん、こんばんは。
なんだか、おこがましいですが、でも、すごく共感しました。
私も同じように感じる今日この頃。自分の気持ちや、一生懸命ガンバってる感、そんなのホントに邪魔だなー、と。。思うのです。
昔は全くそんなことなくて、こんだけガンバったよ自分~、みたいな記事ばかり書いてるなぁ、としみじみ振り返ったりして。これが年数が経って、みる視点が変わってきたという証拠なんでしょうか。

さくら さん
>でも、すごく共感しました。
良かった。
さくらさんなら分ってもらえるかも、と思ってました。
>みる視点が変わってきたという証拠なんでしょうか。
そうなのかもしれません。
とはいっても今の考えが、一生懸命がんばるぜっ、
っていう考えより高尚だとか高次だとか
そんなことは全然思ってなくて。
将来またもう半周回って、
一生懸命なオレ、サイコーって言ってるかも知れません(^^;)

私の場合は小説なのですが、数年前からこれが目標です。
自分を消すというか、透明にして、ヘンな色のついてない文章で世界を記述したいなーと思っています。
でも、せっかくのフィクションだから、最後にナニカをそっと置いておく、くらいのつもりで。現実だけでいいなら人は小説読まないでしょうからw

空気のように、しかし必要なときには体温と質感を伴いつつ、人のやわらかい部分に寄り添えたら理想でございます。

もにー 様
>空気のように、しかし必要なときには体温と質感を伴いつつ、人のやわらかい部分に寄り添えたら理想でございます。
おっしゃるとおりだと思います。
さすが小説をお書きになるだけの表現力ですね。

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