実家に帰った話

先日実家に帰った。
実家といってももう誰も住んでいない。
母は私が中学の時、父は大学生の時に亡くなっており、去年まで住んでいた弟が家を出たので現在は空き家になっている。
それでも帰ってみたのは他界した両親の遺品が残っていないか確認するためだ。
私の実家は親族の話を総合すると築100年を越えているらしく、開けたことのない箪笥や荷物箱がたくさんある。

7年ぶりに帰った実家は庭の草木が伸びている以外は目立った変化が無い。
正確に言うと私が生まれた頃には築60年を越えていたはずで元々古びた日本家屋だったせいもあり昔からずっと古いまま変わらないのだ。
それでも家に入って土間から薄暗い居間を眺めるととても悲しい気持ちになって数分間立ち尽くした。
田舎3
それから恐る恐る家捜しを始めた。
しばらくして古ぼけた紙の箱の中に両親の結婚式の写真を見つけた。
母は当時としては長身の美人で、伯母(母の姉)の話によると市議会議員と都銀の支店長の求婚を断って父を選んだらしい。

母よ、ありがとう。

父は長身でハンサムだったので、そこも結構影響していたのかもしれないが。
その二人が写ったモノクロの写真には、タキシード姿でこれ以上無いという笑顔の父と、その横でウェディングドレスを着てはにかんだ微笑みを浮かべた母が写っていた。
父が結婚した年齢で私も結婚した。
妻との年の差まで全くいっしょだ。だから今の自分には当時の父の心境がよく分かる。

その写真を見て私はほほえんだつもりだったのだが
我に返ったときは号泣していた。
赤ん坊のように泣きじゃくるという状態で、なかなか泣き止むことができず
またそんな泣き方はおそらく30年以上していなかったため、自分は大丈夫だろうか不安を感じ始めたときにやっと泣き止むことができた。

なぜ自分は泣いたのだろう。
ノスタルジーではない。
ただひたすら悲しかった。
両親が亡くなってかなりの年月が経っていて自分の中ではある程度決着をつけられていたはずなのに。
おそらく両親が亡くなっていままでなんとか頑張ってきて、人生は順調なのに
それを一番見せたい人がもういないという現実に気づいてしまったからだと思う。
多分今、自分がボロボロだったら見せなくて良かったとほっとしていたはずだ。
そしてそんな順調な人生もある日突然終わるということを知ってしまっているから、今、見て欲しかったのに。
田舎
一通り捜索が終わると、墓参りに向かった。

墓は実家から歩いて5分ほどの山の中腹の菩提寺の中にある。
帰郷する度、自分の住んでいた集落が小さくなっていっているような気がする。

弟の手入れが行われなくなった墓は荒れていた。
この墓をどうするか、というのは悩ましい問題だ。
広さは全部で12畳ほどもあり、もはや文字が読み取れなくなったものを含めて20本ほどの墓石が建っている。
また私の地元の習慣では葬儀の日に遺骨をそのまま墓地の敷地内に埋めてしまう。
だからもう両親の遺骨が残っていない。
これでまだ骨壺と遺骨が残ってさえいれば、改葬を考えられるのだが
残っていないがゆえにこの場所自体が重要になり
先祖代々の歴史の重みと併せて
この墓を捨てることができない。
田舎2
墓参りの帰り道、伯母に電話を入れる。

もう80歳を越えているはずなのに相変わらずの早口で甲高い声だ。
妹、つまり私の母の方が、美人でスタイルも頭も性格も良かったのに
妬むことなくその母の素晴らしさを今でも自慢げに話すこの伯母が私は好きだ。
写真を何枚か見つけたのでフォトブックを作って送ること、
桐箪笥に納められていた着物の状態が良かったので妻にあげたいこと
墓の掃除をしてきたこと、などを伝えた。
高齢のためにお墓の掃除にいけないことを詫びられ、お墓の掃除をしたことに対して何度も何度も礼を言われた。

少なくとも伯母が存命の間は墓をあのままにしておこう。
問題の先送りには違いないが、生きている人間のためには必要なことなのだから。