このお葬式ブログは
基本的にネガティブなことは書かないようにしている(つもり)なんです。
本当は。
ただ筋違いの葬儀業界批判が巷に多数出回っているので
なんか好戦的な状態になってしまってますけども(^^;)
それから政治思想ネタも極力排除してます。
初対面の会話のマナー(政治、宗教、スポーツの話題は避ける)と同じ考えですね。
今日はその二つの禁を同時に破ります。
それはこの記事を読んだから。
「今日は民主主義の葬式です」
朝日新聞、「葬式」という言葉をこんなふうに使わないでくれ。
少なくとも言葉を武器に食べているという自覚があるのならば。
これはおそらく「絶望的な終焉」という意味で使っているよね。
我々葬儀屋さんは葬式をそういうものだとは思っていない。
残された人々の魂の再生の場だと思っている。
遺族の中にもそう感じられている方は多いのではないだろうか。
揚げ足取りと言われればその通りなのですが
自分自身過剰にこの「葬式」という表現に引っかかってしまったのには訳があります。
それは、この表現と秘密保護法反対運動の間には
よく調べないで気分でものを言っているという雰囲気が
共通していると感じたからです。
秘密保護法に反対するのは全然構わないし気持ちは分かるのだけれど
反対してる人は秘密保護法の条文を全部ちゃんと読んでいるんだろうか?
(なんでこんなことを思ったかというと
西部邁(すすむ)が「安保闘争やってたけど実は安保条約を一度も読んだことが無かった」
と言っていたから。)
と言っていたから。)
この条文全部を読む限り「国家安全保障に関する」内容を保護する法律にしか、
私には読めないのですが。
私には読めないのですが。
反対する人はこれがなぜ表現の自由の侵害につながるのか
ちゃんと説明しないと、
きっと政府は恣意的に拡大解釈するに決まっている、
ではちょっと弱いと思うのです。
それから
秘密保護法反対活動って反原発活動とリンクしていることが多いけど
たまに反原発活動の主張も弱いと思うことがあります。
別に私は原発作ろうぜ、と言っているのではなくて
原発反対派の一部の人って自分の言いたいことだけを言うだけで
ちゃんと他者を説得する気が乏しいというか、
他者のことを考えていない感じがするのです。
私は、部下のプレゼンが独りよがりの論理だったとき
「それって、信者の主張(笑)」
って指摘するときがあります。
自分自身が正しいと信じていればいい、
というだけなら極端な話、客観性や論理はまったくいらないけど、
外部に語るのだとしたら、
相手を説得できる論理がなければいけない
という意味です。
宗教の布教活動がうまくいかないとき、ってこれですよね。
自分自身が信仰するのに理屈は入らないけど
他人に伝えるときは論理が必要ですよね。
たまに論理より熱意っていう意見を聞くこともありますが
本当に熱意があるなら論理を生み出す努力もできるはずですよね。
だからもし本当に熱意があるんなら構築された論理見せてよ、
っていうふうに私は考えるのですね。
たとえばこんなサイト
いやいや
火葬場が混雑しているんならともかく
火葬場併設の式場が混雑してたらなんで、死亡者数が激増ってことになるんだよ。
あそこは何十年も前から混んでんの!
人気があるだけ。
もちろんこんな主張が反原発派の主流だとは思いませんが
こんなトンデモレベルの発言ができてしまう人の含有率が
反原発派の方において高いのは否めないでしょう。
「悪い意味での」宗教です。
ちゃんと他者を「説得」してほしい、と思うのです。
追記:毎日新聞記事
参加者は喪服姿で「お葬式」デモを行い、同法の廃止を訴えた。
↑悪趣味だと思います。
特定秘密保護法のお葬式 – Togetterまとめ http://t.co/FJ28G765YO←葬式舐めんな!
朝日新聞を長いこと見ていなかったのですが、そんな見出しですか。物理教師さんのおっしゃることすべてもっともなことと思います。
ある種の宗教と本当に同じで、よく理解して信者になってくれる人を増やすということでなく、キャンペーン活動をしていること自体に大きな意味があり、その根拠、成果などは二の次であるかのように感じます。
民主主義の終焉と思うのでしょうか。マスコミの大部分が神聖視している憲法がそのままあるのに民主主義が終わってしまうのなら、全く役に立たない憲法ということになります。憲法が根拠になりえないということですね。
民主主義はその時のムードで法律ができたりしやすいでしょう。しかし、悪いことに気づいたら変えることも可能で、試行錯誤を繰り返してよい方へ進むのが正しいやり方だと思うのですが、今のキャンペーンを見ていると、法律ができたら神聖視しなければならないから、その責任は取りたくない、と言っているようです。民主主義というものの力を本当は全く信じていないのかもしれませんね。
シギー様、
>キャンペーン活動をしていること自体に大きな意味があり、その根拠、成果などは二の次であるかのように感じます。
激しく同意いたします。
>法律ができたら神聖視しなければならないから、その責任は取りたくない、と言っているようです。民主主義というものの力を本当は全く信じていないのかもしれませんね
シギー様、鋭いです。
私が付け加えることは全くございません。
時事ネタが出たので
国内の死亡者の約90%が医療機関で発生します。
すなわち、「遺体の始まり」が病院です。
JA系の厚生連を除くと国内の1or2の医療グループは徳洲会と中央医科グループです。(共に国内に100施設を保有、公立病院のM&Aを行い増加中)
当然ながら、葬儀社や互助会(葬儀部門)としては最優先営業先であり、「色々な事」が起こります。
徳洲会問題が騒がれていますが、当事者の「政治資金規正法に基づく報告」では、色々な葬儀社や互助会の名前が出てきます。(徳洲会病院のある地域)
http://kanpou.npb.go.jp/20131129/20131129g00259/20131129g002590160f.html
東京都庁からも年間10億円弱の補助金が徳洲会に出ており(西東京に病院があるため)、深い関係。
出す方のトップが貰う方のトップから「金を借りる」(貰ったのか借りたのかは本人しか分からない)。
国会議員に限らず全国各地の議員の報告書を見ると、「その地区の公立病院指定業者」が分かります。
ちなみに、都内の民間火葬場からは「太陽の党」(石原知事が党首だった)にも出ています。
prof様、
>都内の民間火葬場からは「太陽の党」(石原知事が党首だった)にも出ています。
あー、何となく分かる気がします。
遅コメントで恐縮です。物理教師さんの政治の視野が説得力がありますねー。不愉快にもならないですし。あちこちトンデモすぎます。
この記事を呼んで思うことは、物理教師さんは布教活動のセンスがあるということです(笑)
悪徳葬儀社様、
>物理教師さんは布教活動のセンスがあるということです(笑)
いや、書くのは得意なんですが、口ベタなもので(笑)