橘玲(たちばなあきら)氏は私の大好きな作家の一人です。
しかし先日の
というブログ記事の内容には同意できませんでした。
記事の論旨はこんな感じです。
ヨーロッパでは安楽死が認められつつある、という状況の説明の後
日本では自殺の半数は首吊りで、電車に飛び込んだり、練炭自殺するひともあとを絶ちません。ヨーロッパでは、「いつどのように死ぬかは自分で決める」というのが当たり前になってきました。同じ人生を生きてきたのに、なぜ日本ではむごたらしい死に方しかできないのかそれを考えるのがほんとうの“終活”だと思うのですが、残念なことに日本では、「死の自己決定権」というやっかいな問題から目を背け、相続や葬儀、戒名など、死んだあとのどうでもいいことばかりが熱心に議論されているのです。
と結論づけています。
日本国内の2014年の自殺者数は25,374人でした。
これは確かに痛ましい数字ではありますが
全体の死亡者数127万人から見ると2%です。
2%の事例を取り上げて
「なぜ日本ではむごたらしい死に方しかできないのか」
と一般化して結論づけるのは乱暴だと思います。
またヨーロッパで法的に安楽死が認められたとしても
「いつどのように死ぬかは自分で決める」
という考え方は、「人が死ぬ時期は神が決める」(=自殺を禁じる)というカトリックの教義と相反します。
この教義が歯止めになり
安楽死は実際それほど普及しないのではないでしょうか。
それから、一番重要なのがここ。
相続や葬儀、戒名など、死んだあとのどうでもいいことばかりが熱心に議論
とおっしゃっていますが
少なくとも葬儀はどうでもいいことじゃありません。
文中にあるようにヨーロッパの安楽死をする人達が
「家族や友人に囲まれ、人生最後の華やかなパーティを楽しんだあと、医師の処方によってこころ穏やかに最期の時を迎える」
って、これこそまさしく葬儀ですよね?
きっと死にゆく本人は誰を呼ぼうか、どんな挨拶をしようか、
どんな最期を見せようか、いろいろ考えたはずです。
きっと死にゆく本人は誰を呼ぼうか、どんな挨拶をしようか、
どんな最期を見せようか、いろいろ考えたはずです。
どういう死に方を選んだとしても葬儀が必要で大切っていう証明になっていませんか?
こんばんは。
はじめまして。
自殺者の定義は、死後24時間以内に発見され、 遺書があることだそうですね。
それ以外の遺体は自殺ではなく、「その他」としてカウントされるとか。
その他がすべて自殺とは言いませんが、仮に合わせると約25%。
四人に一人。
また、世界保健機関WHOによると、「その他」の中で、「変死」と扱われた人の約半数は「自殺」なんだとか。
それでも
>一般化して結論づけるのは乱暴だと思います
には同意しますが、あまり小さく見積もるのも……。
自分の意見に説得力を持たせる為に都合の良いデータを使う(使い分ける)、一部分をクローズアップするのは、テクニックとしてよくあること(良い悪いは別として)。
特に物書きが食べる為には……。
しかし、この記事は、軽い問題提起ぐらいの感覚で書かれ、あまり深く考えていないような印象を受けますね。
それは「あり得ない」。
国内の自殺者で遺書を書いてから自殺するヒトは「50%以下」と思われます。
また、発見が遅れても「自殺」として分類をして、検案書も作成しています。
WHOの文章は下記で、「変死」の意味が日本とは全く異なっています。(暴力事案)
The panorama of global violence presented in the report is at odds with some commonly held assumptions. Of all violent deaths in 2000, nearly half were suicides, just under a third were homicides and only a fifth were directly
related to war
あくまでも「all violent deaths in 2000,」での話しです。
自殺者の定義って本当ですか?
24時間後の自死された方もノーカウントですか?
24時間以内っ発見てルールが厳しすぎます。樹海での方はほぼ無理。
あ、prof様が書かれてた・・・。ですよね・・・。
現場でもそれは感じます。
根無し草 様、prof様、かかし様
24時間うんぬんというのは交通事故死のカウントかと。
交通事故の24時間は日本の死亡者分類です。
WHOの基準のその他は「violent deaths」であり日本語に直すと、
事故、災害を除く「暴力死(暴行死)」と解釈される部分が多々あります。
そのために自殺は「自らを殺した殺人」、他殺は「他人が殺した殺人」、
戦争は「敵国および関連する兵士、関係者、市民を殺した殺人」と捉えると
理解しやすいかも知れません。
これは「カトリック思想が前提」であり、自殺に対する考え方が「日本とは
全く異なります」。
そのために、自殺は「violent deaths」(暴力死?)に分類されており、日本の
自殺の分類や仕分けとは全く異なります。
アメリカで親子心中は「第一級殺人」であり極刑が請求されますが、日本では
「温情判決」が出されており、カトリック教思想(自殺は認めない)と仏教思想
(自殺を容認して、推奨している訳ではないが)の違いを、無理に当てはめる
ことは出来ません。
戦時下の神風特攻隊もアメリカ軍は「suicides attack」と表記(国文書館)して
おり、イスラム圏で行われている自爆テロも同じ分類です。
非キリスト教圏(日本や朝鮮半島、イスラム圏等)での自殺の取り扱いは、
WHO基準(キリスト教基準)を当てはめることは、社会的に困難かと。
やはり驚き、危機かんじるのは
自殺の定義と検索したら あたかもそれらしく警察庁での定義として流布してるのが怖い。調べごとはもうできないインターネットなのか?!と(^_^;)
prof様
>自殺は「violent deaths」(暴力死?)に分類されており
勉強になります。
かかし様、
この業界って
結構な間違いが大手振ってまかり通ってるんですよね。
なるほど。
24時間というのは、交通死亡事故として計上する基準なんですか!
私はずっと勘違いしていたのですね。
申し訳ありませんでした。
なぜ、こんな誤情報が一人歩きしているのか……。
警察庁では、死体発見時以後の調査等によって自殺と判明
したときは、その時点で自殺と計上する。厚生労働省は、
自殺、他殺、事故の不明のときは「自殺以外」で処理して
おり、死亡診断書の作成者等から訂正のない場合は自殺に
計上していない。
なんて一文を「国立精神・神経センター精神保健研究所。自殺予防総合対策センター」
で見つけたんですが、これと交通死亡者のカウント基準がごっちゃになったとかでしょうか。
根無し草 様
検索すると確かに間違った情報流れてますねぇ。
>自殺、他殺、事故の不明のときは「自殺以外」で処理しており、
死亡診断書の作成者等から訂正
これ自体が、「医師法第20条」に違反をしています。
正しくは、死亡診断書ではなく「死体検案書」です。
また、警察的統計では「事故から24時間以内の死亡が、死亡事故」(派出所や
交番に掲げてある数字)ですが、24時間以降に死亡した場合でも厚労省及び
総務省統計では「災害(交通事故死)」としています。
ただし、入院加療中に疾病を引き起こし死亡した場合は「病死」です。
むごたらしい死に方 とは、日本での死者全体では無く、自殺者の中だけの話では?
死んだあとのどうでもいいこと と発言している様に、最期の時の迎え方 をこの人は葬儀とは認識していませんよね?
個人的にも同意見ですが、『葬儀』は死んだ後の問題で、死の迎え方は葬儀では無いのでは?
そもそも人間(生物)は死を自分で選択する事は出来ませんよ。
その状況下に追い込まれて、仕方なく 自殺 を選択させられているだけであって、決して自分から死を選択している訳では無い。
名無し 様、
レアケースである生前葬は置いておくとしても
最近は自分の葬式をこうしたい、といって御本人が葬儀の事前相談にいらっしゃるケースが増えました。