なぜ地方から出てきた親戚は葬儀のやり方に口出しするのか?




都市部の葬儀社に勤務の方なら少なくとも一度は経験していると思うのですが、
なぜ地方から出てきたご年配の親戚は葬儀のやり方に過剰な口出しをするのか?
というお話です。

同じ宗教宗派でも、その地域によって独自の葬儀の習慣があります。
えっ!そんなやり方をするんだ、っていうことも珍しくありません。

普通の考え方なら、別の土地の葬儀のやり方を見て、あれっ、違うな、
と思ってもここではそういう葬儀のやり方なんだ、と納得するはずなんですが・・・
彼ら(彼女ら)は、郷に入りても、郷に従いません(T_T)
自分の地元では代々こうやっているからと譲りません。

困惑した葬儀屋さんも多いのではないでしょうか?

地方から出てきたお寺さんが宗教儀式において自分のしきたりを通すのは良く分かります。
その宗教の教義の根幹に関わる部分ですからね。

でもなんで親戚の人が???
別に彼ら(彼女ら)が特別聞き分けのない人間というわけではありません。
むしろ裏表のない、いい人たちです。

彼ら(彼女ら)がこのように地元の葬儀のやり方を主張するのはなぜでしょうか?

葬儀の情報は、自分たちより若い世代に対しての優位性を保つ唯一のアイデンティティ(存在理由)になりうるからではないでしょうか。
口出しするのはそのアイデンティティを失わないようにするための必死の抵抗なのです。

もう世の中のほとんどの情報はインターネットで出回っています。
インターネットを使いこなす若者と
年配の方とのデジタルデバイド(情報格差)は開く一方です。

そんな状況の中、その土地に代々伝わる葬儀のしきたりというのは
インターネットにのっていない体験情報であり、
最後にして唯一の情報の聖域なのです。

無理を承知で地元のローカルなしきたりを主張するのは
若者の知らない情報を知っている自分をアピールするための
涙ぐましい最後の抵抗なのです。

そう思えば、少しやさしくなれる葬儀屋さんもいるのではないでしょうか。
ま、確かに開式10分前に、日本酒の一升瓶を飾らないなんてあり得ない!
と言われた日にはため息の一つくらいは出てしまいますけども(^^;)











コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください