政治と宗教が同じだと思う理由

選挙が終わりましたね。

葬儀屋さんという仕事柄いろんな宗教団体と付き合いがあるため
選挙前には必ず
「ウチの候補におねがいします」
という連絡が複数の宗教団体から入ります。
「はい、承知いたしました!」
と良い返事をしておいて
実は投票しない(^^;)

そりゃ、仕方ないですよね。
大切な自分の一票ですから
情にながされてはいけません。

さて宗教団体系政党について思ったことをまとまりなくつらつらと。

宗教団体系政党のことを
政教分離の原則から「あれはおかしい」と悪くいう人もいます。

そこらへんの専門的な憲法論議は他の方に任せます。

ただいろんな宗教団体の方とつきあってきた自分には、
政治思想(イデオロギ-)というのも
団結と、排他と、物事の単純化と、思考停止の道具として見ると
宗教そのものに見えます。

人は違えど同じ構造の脳が同じ働きをしているだけで
それに「宗教」というラベルを貼るか貼らないかだけの違いだけです。

仮に政治思想が宗教と同じとするなら、純粋な政教分離って存在するのかなと。

私の知人に
「安倍反対、安倍反対って言っている人って、実際安倍が辞めたら誰を立てて外交や財政どうするかプランあるのかよ」
って怒っている人がいます。
政治思想は当人の立場とロジカルな思考によって導かれるものであると考えるから
アイツら訳が分からない、
ということになるのです。
政治思想を「宗教」と見なしてしまえば、安部反対教の信者に過ぎないということになります。

そんな人達を説得しようとして、憤るのは無駄です。
だってキリスト教徒に蛇がしゃべるのはおかしいって、議論を挑む人はいないでしょ。
日本人は歴史的に、儒教と神道と仏教という異なる宗教を重ねた状態で放置できた民族ですから
(参考記事:日本の仏教は正しいのか 2/2
異なる宗教でも、まぁよく分からないけど尊重して共存しようとしますからね。

というわけで政教分離があいまいでも、厳密に分離させても
政治思想自体が宗教なのであれば、ラベルの貼り方の違いの問題だけで
大した違いはないのかな、と思うわけです。

ちなみに
イスラム社会は政治と経済と文化をイスラム教を基盤に統合化している政教一致の世界です。

そのためイスラム教を知れば知るほど、政教一体化している方が洗練されているように個人的には思えるのです。

ただそう申し上げると

「宗教弾圧の歴史が~」という反論も当然出てくるでしょう。
その先の議論は読んでもらう芸として面白くする能力が私にはないので

基本的にこのブログでは深い政治談義をめったにやらないことにしているわけです。