同僚の墓参りに行ってきた話

納骨堂

以前退職したSさんの訃報を聞いたのは、実際に亡くなってから約1ヶ月後のことだった。

Sさんと出会ったのは私がまだ20代のころで、彼はすでに40代だった。
中途で入社して、ロジスティクス(倉庫管理や運搬業務)をずっと担当していた。
65才まで働いて、その後は実家のある北海道に帰った。

故人の喜びそうな物ってそんなに簡単に探せるの?


退職する同僚にプレゼントを送る記事を書いたことがあるが、これはSさんのことだ。

年に一度は正月に電話をくれて、アルバイトをしつつ悠々自適の老後を送っているとのことだった。
電話の最後には
「奥さん連れて、一度北海道に遊びに来なよ」
「ええ、いつか必ず」
というやりとりがあった。

今年はその電話が無かったことが、ちょっと引っかかってはいた。

訃報は同僚からの又聞きだったので、確かめるため少し緊張しながらSさんの携帯を鳴らした。
コール音が5回くらい鳴って女性が出た。
奥さんと話すのは初めてだ。

私が11歳年下の同僚と社内結婚した時、Sさんが、
「俺の奥さんも15才年下なんだけど、奥さんは若い方いいよね」
と言っていたのを思い出した。もちろん周りに女性社員がいない状況で。

奥さんは私が名前を名乗ると「あぁ、あぁ、はい」と言った後、
死因はがんで享年74才だったこと、病状は家族以外には誰にも知らせないよう言われていたこと
などを説明してくれた。

Sさんが、連絡を寄こさなかったのは生前のイメージをとどめたかったのだろう。

私は、誰かが嫌いという感情が薄いかわりに、誰かが好きという感情も薄い。
しかし、こういう状況になってみて、Sさんのことは好きだったのだと思う。

先程述べたようにSさんは父親くらい年が離れていたのだが、偉そうなことは一切言わなかった。
言わないどころか、
休みの日に電話をかけてきて「インターネットでエロ画像を見てたら金を払えという表示が出てきた、どうしよう」だとか
「昨日パチンコで熱くなっちゃって。昼ご飯代貸してもらえない?」
とか言うような人だった。

彼から教わった教訓じみた話は
「ニューハーフを見分ける時は、手を見ると骨格が男だから分かるよ」
くらいだと思う。

この話だけ聞くとどうしょうもないエロオヤジを連想するかもしれないが、
内面も外見も老いの醜さがない人だった。彼の才能と言ってもいい。
年上だからといって自分を大きく見せることがなく、見た目がスマートだった。
昔の話はあまりしない人だったが、前職は婦人服の販売をやっていたとか、若い頃は歌舞伎町の近くに住んでいてゲイバーの人たちと海水浴に行ったりしてたとか、悪さはないが遊んできた男の肩の力の抜け方が私には全くないもので、それに少し憧れていたのかもしれない。

だから時折SOSがあった時も、イヤな気はせず、むしろしょうがないなぁと笑いながら、高校時代の同級のように手を差し伸べることができた。
お返しだったのか、私の現場のときは、いつも消耗品を気持ち多めにトラックに積んでくれていたように思う。

会社を辞めるとき、そういうのは苦手だからとSさんはみんなの送迎会の申し出を断った。

社内の退職報告のメールは、私が代筆した。
メールの内容に対して
「ちょっとこれは、カッコ良すぎない?」
と言われたので
「カッコ良すぎるくらいがちょうどいいんですよ」
と返した。

帰郷の直前に、私達夫婦に食事を奢ってくれた。
Sさんは私の妻に向かって、私のことを「僕にとって神様みたいな人なんだよ」と言った。

7月の墓参りの日、成田に向かう特急列車の中でスマホを漁って、自分が唯一持っているSさんの写真を見つけた。
テレビドラマの撮影現場で、スタッフと出演者全員で撮った写真だ。
自分もSさんも若い。

北海道は、東京と1℃しか変わらない33℃の暑い日だった。
奥さんに教えてもらったSさんのお墓は、お寺の中にあるロッカー式の納骨堂だった。
50cm四方の空間に、仏具一式が詰め込まれ、Sさんの死を感じ取れるものは、位牌に書かれた戒名の一文字が彼の名前から取られていることしかない。

線香は、かつてSさんがずっと居た会社倉庫の備品ケースから持ち出した。旅行中折れてしまわないように入れていた、歯ブラシ用のハードケースからそっと取り出して、香炉の灰に埋めた。

墓参りの帰りに立ち寄った居酒屋で、Sさんの奥さんに対し墓参り報告のメッセージをスマホに打ち込んでいたら、初めて涙があふれてきた。
妻は感情をこめない声で
「ティッシュいる?」
とだけ聞いて、私は
「いらない」とだけ答えて、
それから5分間、店員さんが料理を持ってきたときも無言だった。

大切な人を亡くしたばかりの人のほとんどがやるように、亡くなる前にもし会いに行っていれば、などと考えてみる。

でも、会わなくて良かったと思う。

会ったら、自分は「もっと生きてください」みたいな感傷的なことを言わねばならなかったろうし、Sさんは年長者の人生訓みたいなことを言わなければならなくなったろう。
お互いどちらも、らしくない。

数時間後、奥さんからのお礼のメッセージを受け取った。

来年の命日には花を送ろうと思う。




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