葬儀担当者が担当した葬儀で「酔う」ことの危険性についてです。
先日長い間お世話になった同僚が退職するということで
彼へのプレゼントを買いに出かけました。
同僚は65歳の男性です。
付き合いはもうかれこれ20年くらいでしょうか。
どれにしようかとずいぶん悩みつつ結論が出ないままにまず行動を起こすことにしました。
最初に訪れたのは銀座の並木通りにあるブリオーニ。
超高級紳士服の店です。
一番「安い」スーツで60万円以上します。
消費税分で量販店のスーツ1着が買えてしまうという・・・
ドナルドトランプもブリオーニ愛好者とのこと。
もちろんスーツを買うのではなくネクタイなどいい小物があればと思い、背伸びして訪問しました。
ちょっと緊張します。
いろいろ物色してみたのですがどれもちょっとフォーマルすぎて
同僚のイメージには合わないと思いました。
しかしその中に私好み(超フォーマル)のネイビーの小紋のネクタイが。
衝動買いというわけではありませんが、つい自分用に買ってしまいました。
それから自分はまだブリオーニのスーツが買える身分ではないが
いずれぜひ買いたいと思っているので試着をしてもいいか?
とお願いしたところ快くOKしてもらいました。
ブリオーニのスーツはマジックショルダーと言われる肩の作りが有名です。
エグゼクティブ向けなのでもしかしたらブカブカかもと思いましたが意外とぴったり合ってくれました。
ただしベルベストクラスのスーツ(20万円)を大事にしすぎて、着る機会が無い自分は
万一大金持ちになったとしてもこのスーツは買わなさそうです。
お金って稼ぐのも大変だけど使うのも能力が必要なんですよね。
(参考記事:お金について)
さて話が池上遼一の漫画並に横滑りしてしまいましたが
プレゼントを買うという話にもどします。
ブリオーニのネクタイを小脇に抱え、さてどうしようかと思いながら次は神保町を訪れました。
三省堂の本店の1階には文房具をはじめとした小物のスペースがあり
そこに何かいいものがないか?と思ったのです。
結局迷った末に、高級万年筆と高級ノートを購入しました。
後日送別会で出会った時に渡すとすごく喜んでくれました。
しかしその後、人づてで聞いたのですが
彼は普段ものを書いたりする知的作業の類は一切しないようです。
おそらく気を遣ってくれたか、
もしくはプレゼントそのものではなく気持ちを喜んでくれたのか。
実際長い付き合いであっても
本当にその人に喜んでもらえる的を射たプレゼントというのは非常に難しい
ということを痛感しました。
さて以上の話からどう葬儀の話につながるかと言いますと
過去にもちょっと触れましたけれども
お葬式の時に故人ゆかりのものを用意するサプライズとやらについて、です。
15年間付き合ってきた同僚に対して喜んでもらえるプレゼントを探すのさえ大変難しいのに、
会ったこともない故人の喜びそうな物ってそんなに簡単に探せるものでしょうか。
おそらく遺族は私の同僚のようにそれを見て喜んだふりをしてくれるでしょう。
しかし遺族が喜んでいるのは葬儀担当者の気遣いに対してであって
そのプレゼントが的を射ているわけではないでしょう。
遺族に気を遣わせているかもしれない可能性について
その葬儀担当者どこまで理解しているんでしょうか。
理解できていれば良いのですが
遺族の喜びようを額面通り受け取るのは、
表面に現れない遺族の感情や要望を読み取らなければいけない葬儀屋さんとしては、
あまりにも幼い気がします。
例えば故人が好きだったものをペーパークラフトで作る(火葬できるので棺にいれることができる)ことに情熱を傾けている若いスタッフもいます。
もちろん本人は素直ですごくいい子だし
それがこのキツい仕事を続けるモチベーションにもなっているので
一概に否定できないところが難しいのですが。
(この間は故人の趣味はガーデニングだからといってスコップのペーパークラフトを作っていた。
どうなのか・・・)
そして困ったことにそれって小学生が聞いても分かるくらい、分かりやすい話しなので
まわりが無条件に褒めそやすというところも危ういのです。
お別れの前に司会者として代読した弔電の読み方が下手くそだったりすると
ドリブルもちゃんとできないのにオーバーヘッドキックに挑戦して、あさっての方向にボールを飛ばして歓声受けるというのはいかがなものか
とふと思ってしまって、
またそんなことを考える自分のひねくれぶりもちょっと嫌だなと思うわけです。
自分も結構複雑なモノやコトを用意することがありますし、
(参考記事:故人は分かってくれている)
遺族からもほめられるうれしさも十分理解できますが
本当はちょっと外しちゃってんだろうな、という冷めた視点を失うことができません。
(参考記事:この葬儀にはやられた!)
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