おひとりさまが自宅で死ぬ方法




全て本人の意志で、

  1. ひとり自宅で終末治療を行い
  2. ひとり自宅で亡くなり
  3. 誰も立ち会わず火葬をした

方の葬儀を担当しました。

2と3の最期をはからずも迎えたおひとり様の葬儀は、もはや珍しくなくなっています。
しかし本人の意志で、なおかつ1も行うというケースは大変珍しいです。
くわしく知りたいと思う方も一定数いるにもかかわらず、体験情報が少ないと思われるので記事にしました。

(以下個人情報の細部は変えていますが、エッセンスはそのままです。)

上野千鶴子氏の本は役に立ちませんでした

この分野で有名な著作と言えばこれでしょう。

在宅ひとり死のススメ (文春新書) 上野千鶴子

私も数年前に読んだことがありますが、当時、実際に行動に起こそうとする人にはあまり役に立たないのではないか、と思いました。

実のところ、それを読んで心底ほっとしたことを覚えています。というのも、孤独死するひとびとは圧倒的に男性、しかも年齢は 50 代後半から 60 代。高齢者ですらない。つまりこれは中高年男性問題であって、高齢女性問題ではないことがわかったから

不本意に一人でなくなるのは、男女問わず問題です。
このようにフェミニストの皮を被ったミサンドリスト(男性憎悪)の顔を時々のぞかせるため、この本のノイズになっています。

看取りのコストは、病院>施設>在宅の順で高くなります

自宅だと入院費がかからないから、というロジックなのですが、これは自己中心的な視点です。
実際は、往診が必要になるので、従事する医療関係者の手間は増え、医療リソースの生産性は落ちます。

終末期の利用者がいることで、負担が増えるのは施設側

という発言からも分かるとおり、どこまでいっても自分のことしか考えていないのです。

このように根底にある彼女の考え方に私は同意できませんし、なにより実行に移すための情報が薄いのが問題です。

例えば、実際、末期癌の患者が「ひとり」自宅で終末医療を受けたいと希望しても、多くの医者は同意しません。
自分たちの管理の元で、長く生きてもらうという考え方が主流だからです。

まだ数少ない在宅医療の訪問医の著作を紹介されていますが、そのサービスを実行に移そうとした段階で困難は多いでしょう。

実際の流れ

では、実際にどういう手順を踏んだのか、私が葬儀を担当した方のお話しをします。

プロフィール

今回亡くなった方をAさんとします。
70代、生涯独身女性のおひとりさまです。
お話ししてみて、株式にくわしい聡明な方という印象を持ちました。
郊外に一軒家をお持ちでしたので、それなりに資産はお持ちだったはずです。

最終的にAさんは無縁仏(遺骨の引取手がいない状態)にはなりませんでした。遠方に住む甥のBさんが遺骨の引き取り手になったからです。
Bさんは遠方に住んでいたので、私と電話でやりとりはしましたが、お目にかかったことはありません。

その意味では、Aさんは完全なおひとりさまとはいえないのかもしれません。
最期を自分の計画通りに迎えたい本当のおひとりさまは、今回Bさんの役割(死後事務委任)を担ってくれる士業の方を立てる必要があるでしょう。
今回の死後事務委任の範囲は、医療関係者への支払い・葬儀社とのやりとりです。

自宅で最期を迎える準備

末期癌であることが分かったAさんは、自宅でひとりで最期を迎えることを決意します。
最初役所に相談したところ、地域包括センター(※)を紹介され、ひとりでの自宅療養を認めてくれる医者を捜し当てたとのことです。
しかしひとりでの自宅療養を認める医者というのは少なく、自宅に往診してくれるエリアに存在するかどうかは、運が良ければ・・・というレベルのようです。

もしこのかかりつけ医が見つからず、ただ自宅で死亡してしまうと、いつ発見されるか分からないという問題が生じます。
仮にすぐ発見されても警察扱いとなり、葬儀屋さんが預かるまでに検査や解剖で早くて1日かかります。身寄りが確認できなければ数十日かかる場合もあります。

Aさんの自宅には、定期的に医者と看護士が往診に来ていました。
勝手口にナンバーロックの錠をかけており、医者と看護士と葬儀屋さんがその番号を知っており、自由に入れる状態でした。

(※)地域包括センターとは(厚生労働省HPより)

 地域包括支援センターは、地域の高齢者の総合相談、権利擁護や地域の支援体制づくり、介護予防の必要な援助などを行い、高齢者の保健医療の向上及び福祉の増進を包括的に支援することを目的とし、地域包括ケア実現に向けた中核的な機関として市町村が設置しています。

葬儀社との打合せ

私がAさんの自宅に呼ばれたのは、医療体制が整ってからです。

以下の流れを希望されました。

亡くなっているのを医者か看護士が発見する。
その時点で葬儀社にすぐ一報を入れる。
遺体をあらためた医者が死亡診断書を書いて、故人の枕元に置いて、勝手口のロックをかけて帰る。
(医者の書いた死亡診断書がないと火葬ができない。また勝手に故人の処置もできない。)

直後に到着した葬儀社がドライアイスを当てる。最短の日にちで火葬炉を予約する。
(24時間以内は火葬できないので、時間帯によっては翌々日の火葬になる場合も。火葬場が混んでいるとさらに伸びる)

枕元に置いてある死亡診断書を役所に届けて火葬許可書が発行してもらう。
以前は遺族のハンコが必要だったが、去年法律が改正されて不要になった。

法務省通達で死亡診断書に遺族の印鑑が不要になった件

日中自宅で納棺したら、火葬場の安置室に移動。火葬の日時まで安置室に安置。

当日葬儀社だけが立ち会って火葬する。
(遺族の立会無しが常にOKかどうかは分からない。Aさんが利用した火葬場は事前に確認してOKをもらえた。また万一のトラブル防止にそなえて、委任状を作成し、甥のBさんにサインをもらっていた。委任状の内容は「遺体引取り・役所手続き・火葬業務の一切を葬儀社に委任する」というもの。もし役所や火葬場がゴネた場合に見せる予定だったが、結局使うことはなかった。)

火葬が終わると、遺骨と埋葬許可書を受取り、その足で郵便局に向かう。骨箱にテーピングをし、エアパッキン(通称プチプチ)で巻いて、ゆうパックで遠方のBさんに送る。
ゆうパックのみ遺骨を送ることが認められている。

Bさんは後日、事前に申し込んでいた無縁仏の墓にAさんの遺骨を納める。

訃報をうけて

ここまでが、手順の説明です。
結論から言うと上記の打ち合わせ通り完璧に、ことは進みました。

ここからは、葬儀屋さんとして、実際に私が経験して考えたことを追記として書き記します。

***********

夕方夜勤で出社した直後、Aさんの訃報が医者から入った。

数日前に「医者からそろそろ危ないと言われた」と甥のBさんから報告を受けてたので、ついにきたか、という心境だった。

自宅到着までに約1時間。

明かりのついていない真っ暗な勝手口から入り、スマホを懐中電灯代わりにして電気のスイッチを探し、寝室にたどり着くと
亡くなったAさんの枕元に、封筒に入った死亡診断書が置かれていた。

最期手を握る人もなく、薄れゆく意識の中でAさんは、何を思ったのだろう。
強い意志で最期を迎えることができたことに満足しつつ、亡くなったと信じたい。

自分にはきっとムリ。
能面のような表情の看護士でもいいから、そばにいてほしいと思うだろう。

ドライアイスを当て終わり、真っ暗な自宅をながめながら車を出すとき、またAさんを一人にするのがすごく申し訳ない気がした。
ただこれは、一瞬ふれあっただけに過ぎない他人の一方的な感傷だろう。
私に申し訳ないと思われることを、Aさんはこころよく思わないに違いない。

翌日からの流れは、全てAさんの計画通り。

葬儀屋の自分だけが一人、火葬に立ち会うというのは生活保護者で何度か経験している。
それはいつもさびしいものだった。
しかし今回印象が全く異なるのは、全て自分で決めたという彼女の強さのせいだろう。
葬儀で感動と言いたがる葬儀屋は大嫌いなのだが、その強さは、感動的だった。

Aさんはこの世にいなくなったが、私は時折彼女のことを思い出すだろう。











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