ジャニー喜多川氏の「家族葬」によって家族葬の再定義が行われることを期待します




ジャニー喜多川さんの逝去に関連して、メディアは一斉に「家族葬」が行われたという報道をしています。
ジャニーさん「家族葬」 司会は国分さんと井ノ原さん:朝日新聞デジタル

ジャニーズのメンバーが150人参列したとのこと。
本来血縁関係のない参列者が100人超えたら、それは家族葬ではなくほぼ一般葬と呼ばれるところです。


<日経新聞2019年7月13日朝刊>
しかしジャニーズのメンバーは喜多川さんにとって家族のように大切にしていた存在だったので、あえて家族葬と強調されて報道が行われているようです。

いたるところで使われるようになった家族葬という言葉ですが、実はこの言葉には明確な定義(どんなお葬式のことを家族葬と呼ぶか)がないのです。
強いて定義付けるとするなら「家族を中心とした小規模なお葬式」ということになるのでしょう。
家族葬など存在しない | 考える葬儀屋さんのブログ

定説はありませんが1990年代にある葬儀屋さんがなんとなく使い出した言葉が広まって、葬儀の小規模化現象に乗っかかる形で、定義が検証されることなく定着してしまったようです。

そのため葬儀屋さんや消費者など使う人によって家族葬の意味がバラバラなのです。
極端な場合、血縁関係がない人を一人でも呼んだら家族葬ではなくなるだとか、家族が葬儀費用を負担するなら何人来ても家族葬だとか、人によって定義がバラバラです。
(そのため「家族葬」をしたいという事前相談の電話を受けた時は「お客様はどういったお葬式をイメージしていますか」と定義をある程度はっきりさせるようにしています。そうしないと話が噛み合わないからです。)

この家族葬の定義がはっきりしないことによって生じた一番厄介な問題は
『「家族」という言葉が付いているために、家族でしかお葬式をやっちゃいけないと思い込んで、本当は呼びたい仲のいい友達やお世話になったご近所の方がいるにも関わらず、我慢して家族でしかお葬式をしない』
というケースです。

亡くなった親友のお葬式に参列しようとしたのに、家族葬だからという理由で断られて、悲しい思いをしたという人は多いでしょう。

人をたくさん呼べばいいお葬式になるとは必ずしも思いません。
しかし外部に呼びたい人がいるにもかかわらず、「家族」葬という字面に引っ張られて、血縁で参列するしないを区別するのは不幸なことです。

今回のジャニー喜多川さんの家族葬報道によって、
家族のように生前親しい付き合いのあった方をよんでも、家族葬として成立するという認識が広まってくれれば
参列したいのに参列できない不幸や、呼びたいのに呼ばない不幸が減るのではないでしょうか。

家族葬の再定義に期待します。











2 件のコメント

  • まったく同じ感想です。”家族”の範囲は人それぞれですから。社長経験者の密葬は「近親者のみ」と報道されても100人以上で行うことが多いですね。特異な例では、両日計2000人の家族葬を経験したことがあります。

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