葬儀屋最後の日

退職の一日を描きました。
退職の経緯はこちらの記事をお読みください。
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2025年3月31日21時、自分の送別会がお開きになった。

新卒で葬儀屋になってから約30年間、飲み会に参加したのは合計30回くらいだろうか。
辞めるスタッフの送別会のみ参加してきた。

酒が飲めないわけではなかったが、人間関係の構築は勤務時間内でアルコール抜きでもできるだろうと思っていた。

どれだけ徹底してたかというと、私が30才くらいのときの話だ。
上司と札幌に出張に行って、業務が終わるとそのまま別行動で、1人で石狩鍋を食べた。上司には好感を持っていたが、一緒に飲むという発想自体が無かった。

ちなみにその時の上司が、今の社長だ。
Z世代も真っ青の武勇伝だ。

ただこんな生き方でも、人の好き嫌いがあまり無い性格だったので、敵は多くなかった(と思う)。
いや、正確に言うと、ああいう奴だからしょうがない、という感じか。

毎日仕事、帰宅、筋トレ、読書、睡眠の繰り返しで、キャリア後半はこれに執筆が加わった。
得意分野の選択と集中、また好きだったという理由で、学ぶことと言語化することで差別化をはかった葬儀屋人生だった。

社内政治をたくらんだり、同僚のとりとめのない愚痴を聞いたりしておけば良かったか?
いや、そんな能力が自分にあったとは1㎜も思わない。

もちろんアレをやっておけば良かった、コレをやりたかったというやり残しが無かったとは言わないが、誰だってそういうもんだろう。
そう思えば、特に悔いはない。

悔いはないどころか、とても幸せな会社人生だったと思う。
約30年務めたのだから、葬儀屋は天職だったと、そろそろ胸を張って言ってもいい頃だろう。

送別会解散後、また会社に向かう。

あと3時間足らずで、社員ではなくなってしまう。
それなのに、時間が足りず、データ消去などやり残した仕事が残っている。

時間が足りなくなったのは、最後のわがままで、同期の担当の式につかせてもらったせいもある。
管理職に縁がなく、ずっと担当をやりつづけている同期だ。
想像以上に疲労困憊の様子だったが、私がかつてあこがれていた世界線を生きている。

会社に戻ると、厚さトータル1メートルの紙の資料をシュレッダーした。
まだデジタルデバイスが無かった20年前は、パンパンにふくれあがった黒いナイロンカバンを3つ車に積み込んで、打ち合わせに向かっていた。
都内の打ち合わせが終わった直後に、埼玉北部で仕事が発生して直接向かう、ということがたまにあったものだから、持ち歩くローカルな式場情報はどんどん増えていった。

ロードサイドでライトアップされた山田うどんの看板を見るたびに、「遠くに来たなぁ」とどんどん表情を失っていった。
結局、一度も山田うどんには入らなかったな。

そうだ、やり残したのは、山田うどんに入らなかったことだな。

葬儀の施行記録が目に入る度に、思い出に浸って作業が進まない。
担当した喪家は「全て」覚えている。
記憶の引き金になるエピソードを書き留めてきたから。
喪主にこんなこと言われたとか、こんな親戚がいた、とか。
不思議なことに、昔の葬儀ほど鮮明に覚えている。
多分、未熟だった頃ほど、カイゼンの為にずっと集中していたからだろう。

20年前「会社を辞めるときは、教えて」と言ってくれた喪主さんは、どうしているだろう。
次のお葬式は会社じゃなくてあなたに頼みたい、ということだ。
もういないと知ったら、きっとがっかりするだろう。
顧客データベースの備考欄に、「申し訳ないと伝えて」と加筆した。

これは、作業ズボンと一緒に使っていた無段階調整ベルト。
ウェイトリフティングのベルトと同じ原理で、ギュウギュウに締めて腹圧を高めて、腰を痛めないようにした。
いつからだろう、作業ズボン姿で外現場に入ると「気合い入ってますね」と若手に失笑されるようになったのは。
自社会館も無く、エレベーター無しの公営式場の2階に、7尺3段の白木祭壇を1人で設営撤去するという労働環境で、キャリアをスタートさせたからね。
君達には分からんだろう。
時代は変わった。それでいい。

これも入社当時から使っていた、ナレッジをまとめた手帳。デジタル化でここ10年以上使っていなかったが、お守りとしてずっと持っていた。

どちらも使うことはもう無いだろうけど、ずっと一緒だった戦友なので、持って帰ることにした。


5年前位だろうか、現場サポートに入った時、若い担当者は恐縮して私に何度も御礼を言った。
「ああ、もう自分は現場の人間だと思われていないのだな」と気づかされた。

昨日の夕方、買い物の帰り、狭い十字路を右折しようとして立ち往生している車を見かけた。
「現役」の頃なら、両手に買い物袋を持ったまま走り寄って、切り返しの誘導をしただろう。
でもとっさに体が動かなかった。車は無理に突っ込んで少し擦りながら走り去った。
完全に「終わってた」んだなと思ったら、寂しかったが、ホッとした。

日付が変わる直前に、メール、PCのアカウント全て消去して、業務完了。
警備員さんにいつものように挨拶をして、玄関を出て振り向いて一礼した。

ちょうどそのとき若手の後輩から、プライベート携帯にメッセージが届いた。
とてもいい内容だった。
フードで防ぎきれない雨が顔に降り注いでいたが、ニコニコしながら自転車を漕ぎ続けられるくらいに。




8件のコメント

30年の葬儀社勤務、おつかれさまでした。

私は15年の経験ですが、かなりの影響を受けて仕事をしているように思います。
考える葬儀屋さんのようにはなれませんが、私なりの葬儀屋人生を歩んでいこうと思ってます。
これからも葬儀関連の発信を楽しみに待っています。
本当におつかれさまでした!

「ひとつひとつの葬儀に、別離に、エピソードがある」ということが忘れ去られようとしているいま。
ひとつひとつのエピソードを「全て」記憶していられる時間のすごしかたをいまひきとめておかなければ、あらゆる事務作業をAIやロボットがひきうける時代を君たちはどう生きるんだ?

後進たちへそう問いかける事業のために、その筆力を活用なさるのでしょうね。
つぎになすべきことがあるからの縁起、のように思えてなりません
30年間、まことにお疲れさまでした。

勝桂子 様
コメントありがとうございます。
>つぎになすべきことがあるからの縁起、のように思えてなりません
はい、後年振り返ってそう思えるようになりたいです。

「考える葬儀屋さん仕事辞めたってよ」と葬儀屋の先輩から連絡があり、ご退職を知りました。やるせない気持ちです。この機会に感謝とエールを送らせてください。

2012年葬儀屋に転職し、先輩からこのブログを教えられました。葬儀業界で働く女性のデメリットとメリットがわかりやすく書かれて腑に落ちたし、日々の業務に役立つことばかりでした。コンプラに最大限配慮し少しだけ明かされるお客様とのやりとりが私的には好きでしたね。諸事情で業界から離れましたが、先輩との交流は続き、彼は今もすてきな葬儀屋さんです。

なので、まずはしっかりと休養され今後もご発信を続けてくださいますよう、お願いします。お疲れさまでございました。

いち 様
コメントありがとうございます。

>「考える葬儀屋さん仕事辞めたってよ」
桐島みたいって思いました(笑)

>今後もご発信を続けてくださいますよう、お願いします。
愛読いただいてとてもうれしいです。
はい、がんばります。

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