愛犬のKが亡くなってから2ヶ月が経った。
この記事をアップした際には同じ経験をした方からありがたいメッセージをいただいた。
心からお礼を申し上げたい。
一番心配していたのが妻のペットロスだったが、結局ならずに済んだ。本当に良かったと思う。
ああ、もう大丈夫だ、って安心したとたん自分のメンタルのコントロールが効かなくなった。
仏教で納骨を行うまでの四十九日という日数は、死を受け入れるための猶予期間としてちょうどいい。
だから自分も2ヶ月経てば何とかなるだろうと考えていた。
それなのに、つらい。
つらいって言いながら泣きたいのにそれができないのがつらい。
妻に対してならそんな醜態も見せられるはずなのだが、せっかく妻が元気でいるのに、不安を与えたくない。
Kに対しお前は最善を尽くしたと、誰かに慰めてほしい。こんな茶番を求めている。
老衰で亡くなったのなら、まだ状況も違ったのだろう。
もしあのときこうしてたら助かったのでは、と考え出すとつらくてたまらない。
完全に発症したあの夜、普段とは違う首の振り方をしていたKのまなざしが「違う、違う、分かって」と訴え続けていたようで。
「Kにはできる限りのことをした。Kは幸せだった」と妻には言うくせに、自分の言っていることを自分自身で信じきることができない。
肉親の死を早くに経験して、それでずっと葬儀屋をやってきて人の死にいやというほど触れてきたのに、そして亡くなったのは人ではなくて犬だって言いきかせているのに。
この弱さが自分で許せない。
今の自分の状態を認めたくない。
そんなことを考えているうちに私の父が妻(つまり私の母)を失くした時の年齢と、今の自分の年齢が同じことに気がついた。
父は10歳年下の妻を亡くし、当時長男の私は14歳で、下に11歳の妹と7歳の弟がいた。
私の母は体調を崩し入院した2週間後に亡くなった。
親戚は、母が亡くなったのは病院の医療ミスだと言っていた。
父は我々子供達につらいと言ったことは一度もなかった。
父は一体誰につらいと言っていたのだろう。
母が亡くなってから数日後、母が生前に注文していた料理の本を近所の本屋さんが届けに来た。
「ほんまに申し訳ないんやけど・・・」と玄関ですまなさそうに詫びる父の姿をここ数日また思い出すようになった。
父は母が亡くなった10年後に亡くなった。
彼の当時の気持ちをもう確認することはできない。
幸せになったつもりだったのに、まだ呪いはついて回る。
生き続ける側の宿命なのだろう。
2000年に母を亡くしました。
敗血漿でした。
父は、私に「LAWごめんね、お母さんを長生きさせてあげられなくて。」と言いました。
その父は、2011年に腎不全で亡くなりました。
赤城さんは、早すぎたから、さぞや辛かったでしょ。
この世に生きる人々は、然るべき修業が終わると天に召されます。わたしなどは、そらそろ長生きの部類です。
心の中の両親は、若い姿で生きていて、稀に私を慰めてくれます。
お経をあげたり、墓参りしたり、たまに親を偲ぶ時間は大切にします。
しかし、今夏も暑い日が続きますな
お身体ご自愛ください。
LAW 様
ありがとうございます。