なぜお葬式をするのか




「なぜお葬式を行うのですか?」

私は勤め先の葬儀社で、お葬式の担当以外に採用の担当もしています。
そして採用面接の時、応募者に必ず投げかけるのがこの質問です。

応募者は葬儀屋さん経験者が多いのですが、「えっ」という驚いた顔をしてしどろもどろの返答をする人が結構いるのです。なんとなくお葬式の依頼が入ってくるので、深く考えることもなく日々の仕事をこなしてきたのでしょう。そういう人はもちろん採用しません。

「高いお金を払ってまでお葬式を行う意味が分からない」という意見を最近よく耳にします。なぜお葬式を行うのかという質問に答えられない葬儀屋さんもいる以上、一般の消費者にとってお葬式をする意味がわからないのも当然です。

もちろん万人が納得する正解はないのかもしれません。
しかし葬儀業界に身を置く者として私なりの回答をしたいと思います。

葬儀業界には葬祭ディレクターという資格試験があります。その公式テキストである「葬儀概論」に書かれているお葬式を行う目的は以下の6つです。

1.社会的な処理
亡くなったということを関係者に知らせるという役割です。
2.遺体の処理
火葬までの保冷処置を行い、最終的に遺骨にするということです。
3.霊の処理
宗教的に霊を見送ります。
4.悲嘆の処理
悲しみを和らげます。
5.様々な感情の処理
霊が災いをもたらすという土俗的な恐怖心を和らげる効果が昔のお葬式にはありました。
6.教育的役割
大切な人の死から学ぶことで人生観さえ変わることもあります。

以上がお葬式を行う理由についての、葬儀業界の公式見解です。

しかし私はもう少しシンプルに考えています。


あらゆる人種・民族はお葬式を行います。
それは亡くなった人を弔いたいという本能が人間には備わっているからです。
前述した「葬儀概論」の中にもネアンデルタール人が、亡くなった人に花を供えていたという話が書かれています。

しかし弔いたいという気持ちが元々人類にあったとして、なぜ「お葬式」という方法を採る必要があったのでしょうか。

それは「見えないものを見えるようにする」ためだと私は考えます。

見えないものとは、亡くなった人に対する愛情、愛する人を失った悲しみ、安らかに旅立って欲しいという願いなどです。これらは目に見えません。
これらの目に見えないものを、花を手向ける、頭を下げる、手を合わせる、という目に見えるお葬式という形にすることで、自分の気持ちを亡くなった人や周りの人に伝えることができるのです。
社会生活を営む人間には、相手を理解し自分を理解してもらうために、伝えたいという欲求があります。
だからお葬式を行うのだと思います。

中には、別にお葬式という方法を取らなくても個々人のやり方で「見えるようにする」方法があるのではないか、と思われる方もいるでしょう。

確かにその人なりの故人とのお別れの仕方というのはあるでしょう。
故人との思い出の場所を旅したり、写真に話しかけたり。

しかし、最愛の人を亡くしたことがある方ならお分かりになると思いますが、ほとんどの方はその時を迎えたときに「どうしていいのかわからない」のです。
とはいえ、遺体をほったらかして全く何もしないですますということはできません。
さらに故人の知り合いが他にもいるのであれば、その人達のことも気遣わなければならないのです。

そんなとき、お葬式という型が存在することによって救われるのです。お葬式という形をとることによって、何をしていいか分からなくても、故人を見送りたいという関係者全員の想いをかなえることができるのです。

どうしても行なわざるをえないものであるなら、お葬式の良いところをどうやって最大限活かすかを事前に考えておく必要があります。
大切な人を失うその時が来たとき、またはあなた自身がこの世を去るとき、あなたはどういうお別れをしますか?











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