落語で、
双方の会話は問題なく続いているのに、お互いが全く別のものを想像している
っていう構造が笑いを生む咄(はなし)ってありますよね。
葬儀屋さんと御遺族との会話でも同じ状況が起こります。
この場合は笑いではなくトラブルを生んでしまうのですが・・・
打合せの際、自分の頭の中にお葬式の光景を描きながら、説明する葬儀屋さんも
多いと思います。
しかし遺族が同じものを頭の中に思い描いているとは限りません。
すこしずれている場合もあるし、全く違うものを見ている場合もあります。
そうすると、相手に自分の言いたいことが伝わらなかったり、
間違って伝わったり
最悪の場合、クレームにつながったりすることがあります。
例えば
葬儀屋さん側はお葬式が終わってから火葬するのが普通だと思っている場合
喪主さんが、お葬式の前に火葬をする地方の出身の方だったりすると
スケジュールの段階から話が噛み合わなくなる。
または
参列経験がなく、花輪しか見たことがない御遺族の場合、
祭壇の両側に生花ではなく花輪が並んでいる光景をイメージしている場合も
あります。
油断してると、
ああそういうふうに(私の話を)受け取られたんだ、
ってヒヤヒヤする経験が、何度かあります。
葬儀の打合せに限らず、日常生活でも起こりうる
ディスコミュニケーション(コミュニケーション不全)ですが、
お葬式の打合せの場合、売り手と買い手との情報量の差が大きすぎるので
ディスコミュニケーションのずれが激しくなりがちです。
葬儀屋さんには
情報を提供するだけでなく
遺族の誤解や勘違いのサインを察知し、修正する能力
が必要なのだと思います。
はじめまして。葬儀屋さんと年間30回はお会いする機会がある流しの介護士です(流しは嘘です)
ブログ興味深く拝見させていただきました
確かに出身地方や宗派によって葬儀方法が違うのは、年間30回近く葬儀に行かせて貰ってて分かります
遺族にしてみれば、葬儀は高い買い物だという意識はあるでしょうから、葬儀会社とのコミュニケーション不足でのクレームは怖いですね
僕も利用者さんに参考までにどんな葬儀をして欲しいか聴いてみたくなりましたよ
日本国内には骨葬(先に火葬をしてから葬儀を行う)習慣のある地区が何箇所かありましたが、葬儀業界や葬儀社はこれらの撲滅を行って来ました。
骨葬では追加やオプションが行い辛く、葬儀の規模は小さくなり(売上げ)、利益が低くなります。
生仏(火葬前のご遺体)をきれいに長く持たせれば、追加やオプションが取りやすく儲かると言われています。
骨葬をされると、ご遺体関連のオプション(湯灌、メイク、納棺、エンバーミング等)やドライアイス、消臭剤等の商品が売れず、祭壇規模も2ランクは下がってしまいます。
また、生花等も少なくなり総売上げ額や利益率が大きく下がってしまいます。
骨葬が行われる様になった経緯は、その地区特有の風習や思想があったのですが、当地の葬儀社にとっては売上げや利益を出すためには「邪魔」でした。
そのために葬儀社が行った事は、心理作戦です。
「骨葬を行っているのは田舎だけ」、「東京では葬儀をしてから火葬を行う」、「遠方から来た家族や親族が、ご遺体の顔を見る前に火葬をするのは可哀そう」、「骨葬は一般的ではない」等。
「骨葬=おかしい」との洗脳に成功し、骨葬習慣のあった地区での骨葬施行率は激減しました。
長年掛けて成立した骨葬の成り立ちや発生等の民俗学的部分、習慣や風習を10年程度で破壊しました。
昔からの事柄が全て正しいとは思いませんが、各地には各地の習慣や風習があり、守らなければならない部分もあります。
ビジネスとしては儲かる事を行う、儲かる方法を真似る事は重要でしょうが、葬儀そのものが習慣や風習を尊重した部分が多く、儲かる習慣や風習は尊重するが、儲からないものは排除するのは間違いです。
地方都市の東京化は文化や思想の画一化であり、必要のない事です。
葬儀社が葬儀の指導的立場になり、ご家族を誘導すれば習慣や風習は失われて行きます。
profさん、いつも勉強させていただいております。ありがとうございます。
さてお差し支えなければ、コメントにありました「その地区特有の風習や思想」について少し実例を教えていただけませんでしょうか。私などは葬送文化が大きく変化した後の世代ですので、骨葬に限らず葬送文化全般について、地域の伝統性よりも現在において理に適っているかどうかで判断する傾向が強くあります。現時点での私の遺体葬・骨葬の「選択」に対する理解は自身のホームページ(以下のURL)で触れていますが、これまでの学習の中でいまだに骨葬を選択した地域の歴史的背景について納得のいく資料に巡り会えずにいます。
よく知られている骨葬文化地域には津軽などがありますね。ヨーロッパなどのより寒冷地においては土壌凍結のため冬季の埋葬が困難で、洞窟などに遺体を置いて春になったら改めて埋葬するといった文化のある地域もあるようですが、類型として日本における火葬普及以前からの文化背景があるのでしょうか。
日本において人口集中地以外で火葬が普及してからまだ1世紀弱しか経っておりませんが、その間にも地域によってさまざまな文化が生まれたことは非常に興味深いことです。
お忙しいところ恐縮ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
http://www10.ocn.ne.jp/~shalom/note/series1/s1_0004.html
めがね 様、コメントありがとうございます。
>遺族にしてみれば、葬儀は高い買い物だという意識はあるでしょうから、葬儀会社とのコミュニケーション不足でのクレームは怖いですね
そう思います。
そしてコミュニケーション不足は葬儀屋さんの責任だと思っています。
またお時間ございましたら、お立ち寄りいただけますでしょうか。
ありがとうございました。
prof 様、いつもコメントありがとうございます。
>地方都市の東京化は文化や思想の画一化であり、必要のない事です。
同感です。
ちなみに私の実家の方は、告別式の前(通夜の翌朝)に火葬する習慣です。
正直、早朝の火葬だとなんだか少し、気持ちの整理がつかない感じです。
拾骨してからもなんだかあわただしいですし。
私の経験上からは、火葬はお葬式の後の方がいいなぁ、
と思ってます
高見晴彦 様
国内の骨葬に関する研究は、国立民俗学博物館の研究者においてもなされていないと思われ、結論が出ていない状態ですが、その成り立ちには2パターンがあると思慮されます。
骨葬の地域は北海道から九州と広く分布しており、沖縄の洗骨葬(台湾と同じ方法)とは分類上は別と考えられます。
そのために、国内の骨葬は火葬を伴う状態として考える必要があります。
北海道や海辺の集落で行われてきた骨葬は、タイムテーブルに基ずく場合が多いのが特徴です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1338112018
一方、城下町を中心とした武家社会の影響の強い町では、別の意味での骨葬習慣が成立したと考える事が出来ます。
代表的な場所としては山形県米沢市、長野県諏訪地方(長野は全域で骨葬風習がある)、熊本県熊本市、佐賀県佐賀市等。
これら以外でも福島県会津地方等も武家社会であり、東京(江戸)や大阪の様な商業社会とは異なった思想や風習があったと考えています。
これは、参考HPにある様な火葬の事情があるにも関わらず、火葬が急速に発達した明治以降も当該地区では死亡⇒火葬⇒通夜(近親者のみ)⇒骨葬(告別式)もしくは、死亡⇒通夜⇒火葬⇒骨葬との形で今でも一般葬として行われています。
続く
骨葬はご遺体が腐敗するから火葬を先に行うとの考えは、北海道や東北各地、信州の地理的な意味からは然程、有力な因子とは言えません。
むしろ、城下町に多いのに着目をすると、別の考え方が出来ます。
現在行われている葬儀の形態である通夜⇒告別式⇒火葬は近年になり作られたシステムです。
以前はヒトが死亡すると家族や近親者が集まり、故人を偲び土葬をして終わりでした。
確かに、昔の写真には葬列を組んだ豪華な葬儀の資料もありますが、これは稀な事案であり多くの国民は質素な葬送を行っていました。
確かに、山村の集落では土葬地まで葬列を組む事はありましたが、これとて家族や親類縁者、集落の人々であり隣人等でした。(村八分の意味も含め)
実は、骨葬は土葬が火葬に置き換わっただけであり、不思議な習慣ではありません。
江戸時代以降の武士は明治維新と明治初期(西南戦争や五稜郭等)を除くと、戦をしていません。
そのために、武士が死亡するのは寿命や病死等を除くと「詰め腹を切った場合等」の不祥事が考えられます。
当時の平均寿命は40~50歳位と考えられ、30石程度では豊かな暮らしはしていなかったはずです。
また、当時の流行病(コロリや労咳等)の関係もあり、家族だけで弔い埋葬をしていたのではないのでしょうか。(村八部でも葬儀は除外)
今でも会津地方の老人が長州人(下関地区)を嫌う様に、大正以前の習慣が受け継がれて来ていると考えられます。
ちなみに熊本市内では午前中に死亡すると当日に近親者だけで通夜を行い、翌日に火葬を実施しその後に本葬を行う事が当たり前でしたが、東京スタイルの葬儀が多くなって来ました。
今後は、全国各地で骨葬が再び増加すると考えています。
今後、増加が予測されるパターンは近親者だけで通夜を行い翌日に火葬を実施、日を改めてお別れ会や偲ぶ会を行えば2~3日であわただしく葬儀を行うのと異なり、時間を掛けて吟味した自分の望む葬儀が出来ると思います。
最近の著名人の密葬がこのパターンです。
これはキリスト教の考えに通ずる部分もあり、肉体の弔いと精神(心)の弔いと考えれば理解が出来ると思います。
火葬や土葬は肉体の弔いの具体的な手段であり、近親者だけの通夜やその後のお別れ会等は精神的な弔いと言えます。
本来、葬儀には2種類の弔いが存在していますが、これを1種類ずつ分けて弔うのが骨葬であり、ご遺体と祭壇、告別式と2種類同時に行うのがご遺体葬です。
私自身、色々なヒトの葬儀に参列していますが、会った事がないヒトの葬儀が殆どであり(同僚の親や知人の親)、最後にお顔を見てあげて下さいと葬儀社社員に言われても、始めて見る知らないヒトの顔なので、「化粧が上手い、下手」位しか分かりません。
prof様、ありがとうございます。やはり詳しい研究の進んでいない分野なのですね。prof様の「2パターン」「城下町の特有性」というご指摘は興味深いです。
「骨葬は土葬が火葬に置き換わっただけであり」というご指摘については、中世期以降に多かったといわれる「出棺後墓に行くまでの間に寺院に立ち寄って葬儀(式)を行い、僧侶と共に墓に行って埋葬する」というスタイルを考えると、明治期に発生した告別式を一連の葬儀の最後にくっつける(骨葬)か、葬儀式にくっつける(遺体葬)かという理解の違いであるようですね。
葬送ジャーナリストの碑文谷創師は著書の中で、「骨葬と遺体葬との違いは、葬式の最後をどこ(火葬or墓に納める)に見るかで異なってきたのだろう」と推察されていますが、そうだとするならば地域の現実的な事情を背景とした文化というよりもただ解釈の違いであるのかもしれません。
ところで「今後は、全国各地で骨葬が再び増加する」というご推察ですが、私は現場で見る限りそうはならないと考えています。現在の、あえて言えば「家族葬指向」がまだしばらく続くであろう事を考えると、本人を知らない人が参列する告別式はますます減っていくわけですから、問題になっている告別式の配置そのものが問題ですらなくなってきます。近親者が小規模に遺体葬を行うことが通例になり、現在で言う「お別れ会」なども一般の層では根本的に減少していくのではないでしょうか。
葬送文化は常に変化し続けるのですから、私たちも常に学ばなければなりません。どうぞ今後もいろいろと教えてください。
物理教師さん
本題から外れた話に勝手ながらずいぶんと紙面(画面ですが)をお借りしました。申し訳ありません。
実は骨葬の成立ちについては、詳しく分からない(研究されていない)のが現状です。
しかし、下記のHPを見る限りでは全国各地で行われていた様です。(確証は取れていません)
http://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/199205.html
http://www.gishiki.co.jp/new-user/service/kyusyu.html
また、関東近県ではこの様な葬儀風習がある様です。
http://www.musashino.gr.jp/soudan/
この様な地方色のある葬儀は、無くなっていくのかも知れませんが。
高見 晴彦 様、
いえいえ、全然問題ありません。
私のブログ上で良ければ、どんどん使っていただいて
構いませんので(^_^)
prof 様、いつも「圧倒的な」コメントありがとうございます。
勉強になります。
今後とも、よろしくお願いいたします。