葬儀を形容する際、
「すばらしい感動的な葬儀」という言われ方をすることがあります。
でも
最初から遺族は「素晴らしい感動的な葬儀」を
必要としているわけじゃないです。
逃げ場のない絶望的な現実の中では、
「素晴らしい感動的な葬儀」という想いにすがるしか
心のよりどころがないのです。
葬儀の後も、遺族にはシビアな現実の中での生活が待っています。
葬儀のエピソードについて語る際には
「第三者が葬儀の瞬間だけを切り取って、
葬儀に感動したり、すばらしいっていったりするのは、
傍観者の娯楽でしかない」
と自覚するたしなみが必要ではないでしょうか。
心ある「現場」の葬儀屋さんにはそのたしなみと、
葬儀の間は絶望的な現実をわずかながらも分かち合う覚悟が、
あります。
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