ある日のご褒美




以前ご葬儀のご依頼を頂いた方から、再度ご葬儀の御依頼を頂きました。

今回亡くなられたのはおじいちゃん、
前回亡くなられたのはそのお孫さんのA子さん。
当時大学生でした。

お伺いしたときはA子さんのご両親に出迎えられて。

直接お会いするのはほぼ10年ぶり。
数年前A子さんが好きだったミュージシャンがCDを出したとき、
御霊前に、ってお送りして、
丁寧な御礼の手紙をいただいたことはあったけど。

「歓迎」という言葉は、この状況に似つかわしくないけど、そんな感じ。
「ねぇ、○○さんが来てくれたわよー」ってお母さんに呼ばれて、
笑顔で登場したお父さんが、こんなに良くしゃべる人だって事をはじめて知った。
憔悴しきって泣いている姿しか存じ上げなかったので。

必然的にA子さんの話になって。
「A子は多分、このあたりで聞いてると思うよ」
と天井を見上げながらお母さんが笑った。

葬儀屋である自分の存在が夭逝した娘のことを思い出させてしまうかも、
と気を遣う葬儀屋さんもいると思う。
その心遣いはいいことだけど、
遺族にとっては葬儀屋さんを見て思い出すようなレベルの話じゃない。

担当したお葬式が終わって何年経っても、
気持ちのどこかにずっと引っかかっている喪家がいる。
だから久しぶりにお会いして、こんな会話ができると、ほっとする。

でも、その振る舞いが私に対する遺族の気遣いでもあるってことも心得ている。

多分、日常のいろんな瞬間に、
無意識のうちに故人のことを考えはじめて止まらなくなる、
そんなことを数え切れないほど繰り返して今日に至っているはず。
それはこちらも分かっているつもり(あくまでも、つもり)。

そうと分かってはいても、私と遺族は滅多に会わないからこそ、
限りなくウソに近いほんの少しのこんな時間を過ごすことを許されてもいいはず、
と思う。

そんな瞬間がないと遺族の人生も、葬儀屋の仕事もちょっと辛い。

この時間は、がんばってお葬式の担当をした
私へのご褒美だと思うことにした。











7 件のコメント

  • >>「A子は多分、このあたりで聞いてると思うよ」
    と天井を見上げながらお母さんが笑った。

    笑えるようになるまでには、多くの歳月が掛ったのでしょう。
    どの様なプロセスで、笑えるまでなったのかも重要です。

    新規の依頼よりもリピートは非常に重要で、「信頼」がなければ依頼は来ません。
    古い資料では、「再度、同じ葬儀社には依頼しない」との回答が48%であり、(昨年も新しい資料が発売されたが135,000円ですので、国会図書館で見てきます)、リピート率は葬儀社評価においては重要なポイントです。
    「一期一会」の仕事ですが、リピートや指名があるのも事実です。(地方では多い)

    「真実は現場にあり」。
    真実はつまらなく困ると考える人達が多くなり公表されなくなりましたが、今回の様な小さな真実が葬儀業界や葬儀社の社会的地位を上げるのですが。

  • prof様、コメントありがとうございます。

    > 国会図書館で見てきます。
    矢野経済研究所でしたっけ?会社に置いてましたけど、そんなに高かったんですね。

    >今回の様な小さな真実が葬儀業界や葬儀社の社会的地位を上げるのですが。
    確かにそうなんです。でも最近の風潮として「感動葬儀」っていう形で消費されてしまう危険性があって、私としてはちょっと耐えられないんですよね。
    今日のラインがぎりぎりです。この記事も実は半年前に書き上げていて、やっと自分の中でゴーサインがでたところです。

  • たけ さん、コメントありがとうございました。
    > 世知辛い昨今、美しいお話ありがとうございました。なんかいいですね~心温まりましたm(__)m

    うん、それは美しい部分、希望のある部分だけを描写したからに過ぎません。
    実際は絶望とささやかな希望の繰り返しです。葬儀屋は、(その気になればいつでも逃げ出せるけど)その絶望に付き合う覚悟が必要です。

  • 物理教師さん

    こちらこそありがとうございます。物事には必ず対極がありそれが葬儀社に勤める方はまさに『生と死』そのものだと考えています。絶望と付き合っていく覚悟はあるのですが・・・

    中々チャンスに恵まれずに焦りばかり貯金してしまう今日この頃です。

    多分、この話を美しいと感じたのは先月の買い占め騒動を毎日見てきたからだと思います。

    被災地でもないのに開店前から数百人位並び続けまるで芥川龍之介の蜘蛛の糸を思い出し・・・ 入店規制をしていました。

    僕の仕事は地獄で人を規制してるみたいでした。以前profさんの教わった事ちゃんと覚えてますよ
    『一の美談に九の醜話』
    と!

    それでも葬儀屋さんに惹かれるのは宗教や慣習云々より『命の儚さしる一人間としての美しさ』が宿るからかな?なんて思います。

    いつか葬儀屋さんになれた時、ご遺族には申し訳ないですが御遺体からも沢山教えて頂く日が来るんだって思います。

    御遺体をお清めするのはやはりキリスト教やイスラム教もやるんですか?拭いてあげるんでしょうか?

  • たけさん、物理教師さんはお忙しいみたいですから、キリスト教の部分について代わりにお答えします(イスラム教は経験がありません)。

    たけさんの言っているのは湯灌や清拭のことですね。現在一般に行われている、病院での死後処置に含まれる清拭は亡くなった人がキリスト教徒であっても普通に行われます。しかし、儀式としての湯灌や清拭が行われることはあまり多くありません。またここでいう清めるという言い方には少なからず宗教的な含みがあるため、行ったとしても「きれいにしてあげる」などというように意味付けを変えますね。

    こんなところでどうでしょう?

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