永平寺の修行の世界




今回紹介する本は
「食う寝る座る」

食う寝る坐る永平寺修行記 (新潮文庫)

野々村 馨 新潮社 2001-07-30
売り上げランキング : 70704

by ヨメレバ

自分を探すために、僕は自分を捨ててみた。30歳の時に突然出家し、曹洞宗大本山・永平寺に上山、雲水として一年間の修行生活をした著者が、社会復帰後に語る修行の日常と「捨てきれない僕」との闘いの日々。
この本を手に取った理由は
宗派内のヒエラルキーってどう決まっているか、
が分かるかもしれないと思ったから。
そりゃお坊さんの世界なんだから徳の高さできまるんでしょ、なんて
ご冗談を。
私は仕事柄僧侶と接する機会が多いので
致知の読者のように僧侶であるという理由だけでありがたがることはしません。
もっと正直に言うと、葬儀屋の方が僧侶より徳が高いと思ってしまっているのですが。

読了してみると
ヒエラルキーに関する記述は無かったです。
しかし僧侶になるまでの話でいうなら
寺の格式「寺格」によって住職になるための等級が定まっており
学歴が上がるほど修行期間が短くなるものらしいです。
つまりどの寺の子息として生まれたかという出自と、学歴
が影響するということは分かりました。
この辺りは一般社会と同じということなんでしょう。 

一般の読者の方にとって
この本のおもしろさ(と言ってしまっていいのかどうか)は
雲水を志願した若者の苦悩と曹洞宗大本山における修行の実態
にあると思います。
帯には「何が僕を「出家」に追いつめたのか」とありますが、
その理由はこの本を読んでもハッキリしません。
本には書けない心の闇があるかのかもしれないし、
言葉に出来ない漠然と不安であるのかもしれない。
そのため悟り的なテーマに興味がある人は肩すかしを食らうと思います。
しかし私が興味を持ったのは修行の実態のほう。

永平寺
そこは暴力と恐怖と飢えが支配する世界
道元の時代から伝わる作法をこなせなければ殴られ蹴られ突き落とされる。
食べ物が足りず残飯を奪い合う。

著者も言うとおり
「なぜ」そうするのか、という考えは意味をなさない。
ただ厳格なルールに従い、それを寸分の狂いもなく行う。

元トラック運転手の男の話は読んでいて本当に辛いです。
彼は妻が寺の跡取り娘だったばっかりに
40過ぎでトラック運転手から僧侶に転身せざるを得なくなるのです。
修行時間が短期で済むため永平寺に入ったものの、
物覚えが悪く年下の僧侶に殴られ蹴られ、周りから疎(うと)んじられ
食事を与えられず、ずっと正座を強制され
それでも「負けるもんか」と拳を握りしめる。
しかし結局彼は体を壊し山を下りる。

さてこの本を読んでいて浮かび上がる

著者のパーソナリティは病的と言っていいくらい素直です。
(だから生きる意味とか考えて出家してしまうのだろうけど。) 

新参者を殴らなければいけない時(新参者の分際で先輩と目を合わせた者は殴られる)に
殴れなかった自分を責める。
新参者を殴る古参を見て、偉いなぁと純粋に尊敬する。
でも私が連想したのは映画「es」とスタンフォード監獄実験
です。

著者は高僧のたたずまいを仏陀やキリストに例えます。
しかし私には「洗脳」されているように見えるのです。

著者の殊勝な日々の思いに対して
ひねくれている私は、いや、本当にそうか?
と問い続けながら読み進みました。

著者は結局1年で山を下りて、一般企業に就職します。
あとがきで「あの永平寺の一年は何だったのか」と書いているように
結局何だったのか、その答えは最後まで出ていません。
この本を読めば著者は分析力、表現力のある人間であることが分かります。
だから答えが出ていないのは著者の力不足ってことではないはず。
ということは、つまり、
何もなかった
ってことじゃないのかな。
「無意味」ってことが禅宗の場合は必ずしも否定的な意味では使われていないとは思うのだけれど・・・
一方で同じ曹洞宗大本山の総持寺がやっていることって

 曹洞宗大本山総持寺が告発された件

↑こんなことだったり
↓こんなことだったりすると

我逢麺

結局本当に文字通り「無意味」なのかもしれないと思ってしまうのだけれど、
ただそうだと言いきることができないのは、
今も永平寺ではトラック運転手の彼みたいな人が耐えているのだと
想像してしまうからなんだと思う。
そんな私は凡夫なのだろうか 。











6 件のコメント

  • その教育課程(?)で人格者が育まれるとは、とうてい思えませんね永平寺。
    新聞に、檀家制度をやめお布施を定額制にし、境内に掲示した住職が紹介されていました。他の寺からは総スカンを喰ったそうです。
    僧侶の育成過程は、閉鎖的な社会を創設するのには役立っていそうです。

  • ほとんどのブロガーがおちいるパターン
    1)ネタが尽きるので、確証もない他人の意見を拝借して口添えをする。
    2)自分や自分の書いた文章を、他人から褒めてもらおうと文化人のふりをしだす。
    3)自分以外の何者かになろうとしている自分に気が付かない。

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