今回ご紹介するのはこの本。
真相—マイク・タイソン自伝
不世出の天才ボクサー、マイクタイソンの自伝です。
この本、各方面で絶賛されていますが、確かに「すごい」としか形容しようがない本です。
人生を形容するのに「波瀾万丈」という言葉があります。これまでの私の人生も平均的な日本人からすると波瀾万丈だと思うのですが、タイソンの1日分にも相当しません。
なにしろ東京ドームでKO負けを喫した時点で、まだこの本の半分も終わっていません。
まだ波乱に満ちた人生が続くのです。
ここは絶対世間に誤解されているところですが、タイソンは凶獣などではなく、実は読書家です。
おそらく歴代ボクサーの中で読書量は一番で、ボクシングの歴史に関して言えば知識量は世界一でしょう。
それゆえ、共著がいるものの、ニーチェを引用するなど語り口がおもしろいのです。
この本のテーマをむりやりまとめると「栄光と転落と再生」ということになるのでしょう。
いや「無茶苦茶」という表現の方が適切かもしれません。
なにしろ道を歩いている女、全員とヤレたとか。(事前に断っておくと、下品な表現が所々出てくるので電車の中で読むのがはばかれれます)
なんと服役中も、刑務所の中で麻薬のカウンセリングプログラムの女性講師と何度も肉体関係を持っています。
ドラッグ漬けの状態で防衛記録を重ねていくのもデタラメだし、それで圧勝し続ける能力もおかしい。
https://uk.wikipedia.org/wiki/%D0%A4%D0%B0%D0%B9%D0%BB:Mike_Tyson_2019_by_Glenn_Francis.jpg
アルコールや薬物依存からの脱却の困難、黒人最下層の人生の絶望、師匠カスダマトの無償の愛、ケタ外れの才能、「最強」の称号と莫大なファイトマネーを手に入れた享楽的な日々、そんなタイソンを陥れようとする他人の悪意、埋められない孤独。
読み取れるテーマがあまりに多すぎて全部書き出すとキリがありません。
そこで葬儀屋さんである私は死と「葬儀」という切り口でタイソンを語りたいと思います。
タイソンは黒人のスラム街出身だったこともあって 身内や仲間がどんどん死んでいきます。
スラムを懐かしんで、成功後も度々戻ってくるタイソンに「ここにもどってきちゃダメだ」と諭した友人が死んでいく描写はすごく切ないです。
彼女(タイソンの姉)が死んだときは悲しかったが、あのころにはもう人が死ぬのに慣れていたし、死は暗黙の了解だった。
そのせいか、タイソンは人一倍葬儀と墓にこだわっているようにみえます。
掘り起こして、それぞれ立派な青銅の棺に入れ、おふくろには高さ七フィートの大きな墓石を買ってやった。人が墓地に来るたび、あのマイク・タイソンの母親の墓だってわかるように。
彼の才能を見いだし掃きだめから華やかな世界に引きずり出したトレーナー、カス・ダマトの死と、 愛娘の死がそれぞれタイソンの人生の転機となっています。
カス・ダマトの死で彼の人生の転落が始まり、愛娘の死によって再生が始まるのです。
「もう長くはない」と語るカス・ダマトの枕元で「あんたなしで、こんな苦しいことには耐えられない」と泣くタイソン。
カス・ダマトの死後、世界チャンピオンになったタイソンはリムジンに乗って真っ先に彼の墓参りに向かいます。 途中でドンペリを買って墓石にふりかけるところなんかいかにもタイソンらしいです。
その後、周りの人間がみんなタイソンの才能と、持ち金を食い物にします。そんなとき、カス・ダマトが生前タイソンのために貯金をしていたことをタイソンが知るところが、私はこの本の中で一番好きです。
カスがキャッツキルに俺の口座を開設してくれていたんだ。この話を聞いて、俺は赤ん坊のように泣いた。生まれて初めて、〝大切なのは思いやり〟だと理解した。俺がカネでしくじることをカスは見抜いていたにちがいない。あれで人間に対する信頼をいくらか取り戻すことができた。
結局タイソンは経済的に破綻するのですが、そんな中でも大切な人の葬儀は、大切にします。
ショーティの葬儀代は俺が払った。あいつに敬意を払おうと大人数が駆けつけてきたから、ブルックリンの豪奢なイタリア式の葬儀場を貸し切りにして、さらに部屋を三つ付け足した
全てを失ってから新しい奥さんとの生活が始まる。
「結婚や子育てには、華やかな栄光なんてないのよ。カメラが回されるのは葬儀のときだけ。あるがままの現実を受け入れて、地味に生きていかなくちゃいけないのよ。その覚悟があるのなら、うまくいくかもしれない。」
そして愛娘を事故で失う。
何を読めば救われるのか教えてほしい。あれから四年が経つが、どうやったら乗り越えられるのか、いまだにわからない
タイソンがイスラム教に改宗したことは有名です。しかしリアリストの覚めた視点を持っているため、宗教に救いを求めることもできません。
宗教は人の中にあるもので、人は宗教の中にいられない。
しかし、タイソンの苦しみを和らげる役割を葬儀はたしかに果たしています。以下は娘の葬儀の描写です。
「足を運んでいただいて、ありがとうございます」と、なんとか声を絞り出した。その後の言葉が見つからず、それだけ言って座った。そしたら、そこで息子のアミールが立ち上がって話し始めた。妹の話を語りだしたんだ。とてもおだやかに彼女の思い出を語った。兄が妹のために最後にしてやれることだ。あいつはすばらしい仕事をしてくれた。アミールの話が終わったとき、俺の心も少し軽くなった気がした。 あのときはみんなが支えてくれた。
ロベルトの息子が連絡を取ってくれ、ニッガがやってきて、すばらしい歌と演奏を披露してくれた。俺の娘に歌と演奏を捧げてほしいとニッガに働きかけてくれた恩には報いるすべがない。デュランとニッガの思いやりは一生忘れない。彼らのためならどんなことでもするだろう
物語の最後の方で タイソンの自分自身の葬儀に対する思いが語られます。
死んだら空前絶後の安い葬式をやってほしい。棺に入れる必要もない。土の中に埋めて放置してくれれば充分だ。墓参りだのなんだの、来てくれなくていい。
ここまで読むと供養には全く重きを置いていないのかと思われるかもしれませんが、この後こう続きます
それでも、俺が英雄たちにしたように、未来のボクサーがきっと俺の墓を探し出す。俺が英雄たちにしたのと同じことをしてくれたら、それで満足だ。彼らが迷わないように墓石くらいはあったほうがいいかもしれないな。〈安らかに眠る〉なんて墓碑つきで。
私は常日頃、仏壇と墓石は故人とのコミュニケーションデバイスであると申し上げていますが、きっとタイソンにとってもそうなのでしょう。
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