私は経済評論家の山崎元氏の著作をよく読みます。
彼の投資哲学は明快で、私の投資手法(いわゆるインデックス投資)は
彼のアドバイスに強く影響されています。
そんな山崎氏は6年前のブログ記事で葬儀屋と僧侶について以下のように言及しています。
どちらの葬式についても、主催者に不満があるわけではないのだが、出席していて、違和感を覚えた。二つとも、仏教形式の葬式なのだが(宗派は異なる)、端的にいって、私は仏教を信仰していない。それなのに、仏教のセレモニーに従って式に参加している自分が不愉快だ。そして、信仰心なしで葬式を眺めると、奇妙な出で立ちで経を唱え、さらには下手な話の説教までする坊主と、あれこれいちいちカネを取る葬儀屋のサービス業としての姿勢と価格設定に納得が行かない。
目下、父は自分の葬儀は簡単にやって貰いたいというくらいに思っている公算が大きいが(改めて聞いてみないと分からないが、近年、軟化してきたようだ)、私は、できれば父の代から葬式抜きの形を確立したい。
当時コメント欄は賛否両論でした。
私も書きこんでいます。
そして先日「実際に」お父様の葬儀(直葬)を経験したようです。
「墓なし・坊主なし」の弔いをやってわかったこと|山崎元のマルチスコープ|ダイヤモンド・オンライン
今回のやり方だと、家族は故人との別れをゆっくり惜しむことができる。葬儀社が手際よく用意した枕元の小机に花を飾り、故人が好きだった珈琲や紅茶などを入れる度に声を掛ける。2日目の夜は、「そういえば、彼は、家族とすき焼きをするのが好きだった」と思い出したので、残った家族3人ですき焼きをしながら、故人の思い出話をした。
前日の夕方に、納棺師さん(若い女性で、希望してなったという。映画「おくりびと」でも観たのだろうか)が体を清めて、着替えを行ってくれた。遺体の肌を見せないように布を掛けたまま行うのだが、見事な手際で作業が進み、シャツにベストとジャケット、下はズボンという、妻が満足するお出かけスタイルの着替えが、短時間できちんとでき上がった。
「何よりも、家族でゆっくり、心のこもった別れができたのが良かった」というのが故人と長年連れ添った筆者の母の言であり、息子、娘も、100%同意するところだ。
僧侶無用論は相変わらずのようですが、
今回のお別れで葬儀社の必要性と重要性は分かっていただいたのではないでしょうか。
我々葬儀屋さんがいなかったら、満足のいくお別れが行えなかったはずです。
結局山崎さんほどの知性を持った人でも、
葬儀屋の必要性や重要性は実際に誰かを失ってみないと分からないということなのです。
今月のTHE21という雑誌の中でネスレ日本社長の高岡浩三氏が
「今後は、顧客がまだ気づいていない問題を解決する『イノベーション』が必要」
とおっしゃっています。
現在の葬儀はイノベーションからほど遠いかもしれませんが、
葬儀が生まれたときはおそらく素晴らしいイノベーションであったはずです。
死という人生最大のストレスを軽減するのですから。
葬儀を終えた遺族の賛辞の言葉を日々受けている葬儀屋さんはお分かりだと思いますが
誰かを失っていない人は
誰かを失ったときに発生する問題を解決する能力が
葬儀にあることをまだ知らないのです。
それを伝えることはリノベーション(renovation)とは言えないでしょうか。
もっともっと世間に訴えていきましょう。
実に短絡的な葬儀(社)擁護論であり、僧侶無用論ですね。
葬儀に限らずに言えることは「困ったときに必要な仕事」。
公益性の高い「110番や119番は無料」。(救急車が無料の国は珍しい)
医療は「国が管理」をした保険点数制度で、表参道でも波照間島でも同一料金。
弁護士も弁護士会が決めた料金体系があり、「ヤクザ弁護士」等以外はほとんど一律。
「士業」に関しては、価格差はほとんどありません。
しかし、葬儀での自称「士業や師業」は未だに「請求額は見積書の数倍」も見られ、
国民から見れば葬儀業は「必要だが、ブラックな仕事」と見られることは否めません。
言い換えれば、「まともにやっている者ほど、過小評価」をされるのが現状です。
葬儀や遺体に関する法令がない日本では、「各自、各社のモラルに頼る」以外の
術がないので、「悪貨が良貨を駆逐」しており、「口の大きな者、胃袋が巨きな者、
腕が長い者」ほど好評、高収益を上げますので、国民の拒絶は至極当然です。
「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」と同じく供養としての葬儀ではなく、「葬儀社が
行う葬儀」に対する嫌悪感が募った結果です。
「主体性を欠いた葬儀」、即ち「家族不在の葬儀」(葬儀社サイドがルーティンで進め、
家族の都合や意見を尊重しない)が未だに見られ、これらも「嫌悪材料の一環」です。
自浄機能がない業界ですので、「利益優先=国民との差異の拡大」になる可能性があり
、企業規模や売上高と相反する「二極化」が見えてきています。
大きな企業、売り上げが高い企業でも「素晴らしい葬儀屋」はいますが、業界全体の
過半数は「未だに問題あり」ですので、現状の葬儀や仏教、霊園や墓石のあり方に
ついては「違和感を覚えていると思います」。
大山様
山崎氏は仏教信仰がないので今回の形式でしたが
一般的に葬儀を通して仏教の必要性をアピールできるチャンスは多いのではないでしょうか。
prof様
山崎氏のことを
「葬儀業界は自由競争社会なので
消費者の中で利口で無い人が損をするのは当然」
と言ってくれる人だと私は思ってたんです。
葬儀業界は「自画自賛型QOS」の会社や人達が多いので難しいです。
客が好きなタイプの絵だと「下手でも満足で、好評化」ですが、嫌いなタイプだと、秀作であっても駄作扱いの評価が出ます。
明確な評価基準がないので「パフォーマンス優先やプライス優先」となり、クオリティーは置き去りです。
今回は「QOS」についても話して来ました。