今回ご紹介する本はこちら。
ビジネスマンのための「行動観察」入門
(アマゾンの解説より引用)
日本の「行動観察」の第一人者として東奔西走している筆者が、
その手法と、サービス、マーケティング、営業、研修、書店など
多くの現場での実際の成果について紹介する。
〔行動観察とは?〕
人の行動を人間工学、心理学、表情分析などの知見を通じて観察・分析することで、
問題解決に役立てようとする手法。
従来のインタビューやアンケートなどではわからなかった潜在的なニーズ、
言語化しにくい知識を共有化する手法として、
欧米では多くの企業・組織で商品開発、生産性の向上、個人の能力開発などの分野で実践され、
効果をあげている。
葬儀屋目線で示唆があるのは
第2章の4「優秀な営業マンはここが違う」
でしょうか。
筆者は
飛び込み営業に張り付いて「行動」を「観察」し
以下の結論(一部私の言葉で補足)を導きます。
・営業スキルには
誰でもできる基礎的な方法と各人によって取り入れるべき(才能に依存した)応用的な方法がある。
・基礎的なスキルの一つは客の話を傾聴することである。
結論は当たり前、の内容です。
気になったのは、行動を観察するという行為そのものについて。
葬儀担当者の、特に顧客との打合せの内容って
上司からするとほぼ完全なブラックボックスなんですよね。
そりゃ、キャリアが浅いうちは、サポートのスタッフを付けますが
独り立ちすると完全に本人に任せっきりになってしまうので。
その結果レベルアップに関するチェック機能が
働かなくなるという問題が生じます。
その問題をどう解決するかが頭の痛いところ。
もちろん客観性と自己観察能力があるスタッフは、
メタ視点を取り入れて自分自身でちゃんと成長できるんでしょうけど
そんな人は10人に1人もいないんじゃないでしょうか。
まず思いつく対策としては担当者に録音機器を持たせて
後でチェックするという方法。
しかしこれは顧客の承諾を得なくていいのか、っていう問題があります。
何より担当者が嫌がるので、実現は難しい。
次にできることは
ミーティングを何度かやって、個々のノウハウをはき出させて統合しテキスト化して
全体にフィードバック(戻す)すること。
これはなかなか有効な方法です。
しかし2つの問題があります。
1つ目の問題点は、そもそも葬儀屋ってテキスト読まない(>_<)
直感や個人レベルの経験に頼る方がエライと思ってる人は多い。
2つ目の問題点は
前述したように基礎的な方法と、
才能に依存した応用的な方法が同じレベルでリリースされてしまうので
うまく個々人が受け取って使えないことが多々ある。
(例えば、担当の器量が良いときのみうまくいくノウハウとか(^^;))
そうなると
この本で述べられているように
行動観察専門のスタッフを入れるっていうのは
なかなか有効ではないか、
と思ったわけです。
ただ観察スタッフを誰にするかっていうのが
難しい。
仮に社内の誰かを使命する場合、
まず何より担当が嫌がる。特に中堅どころ。
改善のため、とは言ってみても
はなからいろいろ批判されると受け取られて
うまくいきません。
それから観察スタッフの分析に納得感を出すために
優秀な担当者(スタープレイヤー)を観察スタッフとして投入する、
という方法を取ったとしましょう。
その間、スタープレイヤーは担当を持てないので機会損失が発生している、
ということを置いておいても
スタープレイヤーの中には、意外と論理立てた他人の分析を苦手とする人が結構いるのです。
前述したように彼ら彼女らは才能に依存したノウハウを使いがちです。
才能というマネしづらい能力を持っているから上位をキープしている、
というタイプの場合
「俺と同じようなやり方」を押しつけて失敗する
ということも起こりえます。
となると外部からコンサルタント的な人を呼ぶという方法が
最後に残されるわけですが・・・
しかし葬儀に関する分析って特殊知識を必要とするので
コンサルタントがうまく機能しないことが多いのです。
実務に対してピントがずれるというか。
もう何回も現場入れてんのにこの程度のレポートなの?
的な結果になりがちです。
(ええ、経験済みなんです、実は(T_T))
だから葬儀現場経験者が、この辺りの分析のノウハウを身につけて
コンサルタントとして独立すれば
十分食べていけるんじゃないかと、
こっそり企んでます(^^;)
先日は、拙ブログにコメントありがとうございました。
今回のテーマも、なかなか難しいですね。
消費者としては、レベルの高い葬儀を求めているのか?
もちろん、求めているでしょう。
では、どんな葬儀ならば、レベルが高いと思うのか?
わたしには、レベルの低い葬儀、つまり、接客業としてのレベルの低さはわかりますが、葬儀としてレベルが高い、というのは多分わからないと思います。
という前提ですと、葬儀において、レベルの高さはそれほど重要なのか?
(消費者がわからないのであれば、という前提においてですが)
という疑問が出てきてしまいます。
もちろん、レベルアップは大切なのでしょう。
でも、同業者にしかわからないような高レベルのものでしたら、それに対して時間や費用をかける必要があるのか?と思ってしまいます。
うまくいえないのですが、つまり、高レベルの葬儀を求めているが、それが高レベルかどうかは消費者には判定できない、と思ってしまうのです。
う~ん、自分でも何を言いたいのか、よくわかりません…。
駄文を長々と失礼いたしました。
夢は作家の整体師様、
コメントありがとうございます。
> でも、同業者にしかわからないような高レベルのものでしたら、それに対して時間や費用をかける必要があるのか?
多分4Kテレビみたいなもんですね。作り手はすごくがんばってんだけど、消費者には伝わらないという・・・
それを裏返すと
>それが高レベルかどうかは消費者には判定できない
高レベルかどうか判断するのは「消費者にしか」判断できないのだと思います。
葬儀社側がどんなにいいサービスを思ったところで、遺族(消費者)に評価されなければ意味が無いと思います。おそらくどんなサービス業にも言えると思いますが・・・
葬儀が終わってから御礼の手紙をもらうと、おそらく遺族の方にレベルが高い(≒満足した)と思っていただいたのかなぁ、と考えています。
また求められるレベルの基準は時代とともに変わると思います。
多分今、10年前と同じレベルのサービスを行うところは生き残っていけないでしょう。
そうですね。
消費者がわからないから、などというわたしの発想自体おかしなことですね。
反省いたします。
夢は作家の整体師様、
いえいえあくまで私の個人的な意見ですので・・・
今後もお気軽に書き込みしてくださいませ(^_^)