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父の葬儀の思い出とその周辺の記憶




葬儀屋になる前、自分が喪主をやったときの話です。

私の父は私が大学3年生のときに、亡くなりました。
59才でした。

突如意識不明になって2ヶ月ほど寝たきりの後、亡くなりました。
母はその10年前に亡くなっていたので、父の葬儀の際、私が喪主を務めました。
父の最期の頃は、多分心の準備は私自身していたはずなのですが、
事前相談を始めとして葬儀の準備は一切していませんでした。
もし葬儀の話を口にしたら
1%以下の回復の可能性さえ摘み取ってしまうような気がしたので。
今はお客様に事前相談を勧めていますが、
その難しさは十分理解しているつもりです。

父が妹の結婚用に入会しておいた互助会に葬儀を依頼しました。
病院から電話をしたとき

「御社は安いんですか?」
↑高いって言うわけないよ!

「今から通夜ですか」
↑そんな急にできるわけないよ!

という無知な発言を連発していました。
だから、お客さんが葬儀の情報に疎いってことはよく分かります。

父の遺体を搬送する寝台車の車中で、
葬儀屋さんに「お母さんは?」と聞かれ、
「いません」と答えると
「じゃ、がんばらないといけないね」と言われました。
遺族に「がんばれ」はタブーのはずですが、全く傷つきませんでした。
本当にがんばらなきゃと思っていたからだと思います。

通夜の開式1時間ほど前に、父の取引先の男がやってきて
「商売ができなくなった。おまえら兄弟飢え死にさせたろか!」
と私を怒鳴りつけました。
その男の秘書みたいな奴の薄ら笑いは今でも覚えています。
怒りが限度を超えると、人間は逆に冷静になるのだと、
自分でも不思議な感じでした。

葬儀は総額で180万円ほどでした。学生には大金です。
母の葬儀のとき、「葬儀屋にぼったくられた」と嘆いていた父の葬儀は、
正直なところあまりお金をかけたくありませんでした。
なにぶん父は地元の名士的な立場だったので、
自分としては「派手に葬式をやらされた」という印象です。
妹が「つぎはぎだらけの服着て、近所歩いたろか!」と吐き捨てていたのを思い出します。
売れない畑など資産はあったけど、手持ち現金が不足している状態になりました。
最終的には畑が1枚売れたことで何とかしのぎました。
お金のことで人に頭を下げるのはあまり気持ちのいいものではないですね。

葬儀費用に対しては自分自身そんな思い出があるので、
私は葬儀の担当者としての売り上げはホントにぱっとしません。
まぁ、能力がないだけなんですけどね(^^;)

余談ですが、通夜の日に私を怒鳴りつけた男は、2年後ガンで亡くなりました。
復讐と言ったら大げさですけど、取引の事後処理に絡んで、
弁護士立てて書類作って内容証明送ってと、
追い詰めている最中に亡くなってしまいました。
訃報を聞いたときは、正直、逃げ切りやがったと思いました。
事後処理はその男の奥さんを相手に粛々と進めました。
その男の死後、一度男の自宅に電話をしたことがあります。
娘さんが出て、私が名前を名乗ると凄くおびえた声で対応されました。
苦い思い出です。
人が亡くなっていいことなど一つもない。

社会人になった頃、私に両親がいないことを知った人からは
「大変だったでしょう」とか「ご苦労されたでしょう」とか言われました。
しかし別にそんなことはありません。
両親がいなくなった時点で、気持ちが「そういう人生モード」に切り替わるので、
多少苦労するのは当たり前と感じられます。
冬なんだから寒いのは当たり前、みたいに。

だから自分と同じ境遇のご遺族がいたときも、心の中で
「孫も抱けずに亡くなった君の親御さんは本当に気の毒だけど、
生きてる君らは気の毒ではない」と思っています。
「自分のこと思ってくれる人が2,3人いたら十分それでやっていける。
人生はちょろいで」とも。