建築家 隈 研吾が自爆している件(おまけ)

前回の記事
建築家 隈 研吾が自爆している件
に書ききれなかったのでおまけとして追加。
パッケージ

冠婚葬祭が、自分の役目を果たす場ではなくなっています。

 

隈:あと今の人って、「個人的にあなたのために特別な葬儀をやって差し上げます」というのは、あんまり望まないで、人と同じようなパッケージの方にかえって安心するんじゃないでしょうか。

 

隣人と同じような家、同じような持ち物、同じような人生、そして同じような葬儀。

隈:例えば親が亡くなった時に、世間に流布するパッケージでちゃんと処理できれば、誰からも文句を
言われないだろうし、安心する。

これも間違い。

隣人と同じ葬儀だったのはむしろ昔の方。

現在は
・経済格差(≒葬儀にかける費用が各家庭によって異なる)
・信仰心の希薄化(宗教的束縛を受けない)
・地縁関係の希薄化(地元の共同体のしきたりの束縛を受けない)
等の理由により、葬儀は多様化しています。

大衆はバカだと思っているインテリが専門外のことを上から目線で言ってしまって
間違える、というのはよくある光景ですがちょっとイタいと思います。




10件のコメント

噛み付き(--)b  人並みにという安心感は確かに、まだまだ見られますけど
葬儀社が気をつけているのは多様化の方ですよね。

私の住んでいる田舎でも、葬儀は変化してきていると感じます。
この方は異質なものを排除する、いじめ等と混同されているのかも。
従来型の葬儀の減少で、返礼品・仕出しなどの業者さんの仕事が無くなってきて
いるんですよね。。。
我が家も全く貢献できませんでした、関連業者の皆様すみません。

この本は読んでいませんので記事から受ける印象のみで語りますが、隈氏の言い分には納得できます。
確かに葬儀も昔に比べ、多様化しているとは思いますが、ホール葬儀が定着して以降は、規模が小さくなっただけで今でも6割以上は本質的には同じ様な形式ではないでしょうか?
せいぜい祭壇が花祭壇に変わった等の、言うなればマイナーチェンジでしかないように感じます。
でなければ他者を意識する必要の無い直葬の様な形式が増えただけ。
かってこのブログでも紹介されていた岡本敏子さんの葬儀の様に遺族側が主体性を持って自身の望むことを意思表示され、結果今までとは違った葬儀になった方って圧倒的に少数ではないでしょうか?
首都圏と地方都市では事情が違うと思いますが、私自身が葬儀に参列した経験からの実感では9割以上が同じ様な葬儀という印象です。
よく分かりませんが、結婚式や隈氏の関係する仕事の領域での変化に比較した場合、(喪主の方の年齢等を考えれば当然だとは思いますが)葬儀の変化は緩やかという印象を隈氏は持たれているのではないでしょうか?

かかし様、
>噛み付き(--)b
ええ、今年もかみついていきますよー

はっちゃん 様、
>関連業者の皆様すみません。
いや、あの、はっちゃん様が謝らなくても

ななし様、
コメントありがとうございます。
確かに岡本敏子さんのような強烈な創造性を発揮するのはまれですが
>直葬の様な形式が増えただけ。
仮にたとえこれだけだとしても、大きな変化だと思うのですね。
昔は直葬でいいと思っても、なかなかできなかった人も多かったようですから。

いつも拝見しております。
お金持ちが直葬にしたり、社会的な地位があっても人数を制限する葬儀を行う人が出てきたり…、それぞれの価値観で葬儀を行うことが出来る用になってきたのは大きな変化だと思います。文句言ううるさ型の親戚は年々減ってきていると感じています。
ただ、自宅で葬儀施行すると、仮に同じ飾りでも家が違うから会葬者には全く違うように見えるのかもしれません。同じホール使っていたら会葬人数が違くても、宗教者がいなくても同じホール=同じ内容と感じる方が多いのかもしれません。
田舎でやっとこさ最近自宅葬が少なくなってきました。自宅で施行したいと言われるとワクワクします。

それぞれの目線での感じ方の違いなのでしょうか
実際に現場で担当している立場ですと年々多様化していると感じます
もちろん本質的なところでは変わっていない部分が多いとは思いますが
担当としての考え方や葬家様に提供できるものも日々多様化していますので
同じパッケージと括られることに対して抵抗を持ってしまいます

平社員5年目様
>同じホール使っていたら会葬人数が違くても、宗教者がいなくても同じホール=同じ内容と感じる方が多いのかもしれません。
なるほど、言われてみれば確かにそうかも知れませんね!

担当5年目様
>実際に現場で担当している立場ですと年々多様化していると感じます
ですよね-。
多分30年前を同じことをしている葬儀社さんは
生き残ってないと思います。

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