今日ご紹介するのはこの本
男の死に支度 河村 幹夫 海竜社 2015-11
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(Amazonより)「生前葬」を実行してみたり、エンディングノートを買ってみたり。アクティブに生きる80歳が実践した「死に支度」。「カネ」と「墓」の心配なく、人生を楽しみ尽くす極意!リスクマネジメントのプロが具体的に伝授!納得して生き切るために、今すぐやるべきこと!
元商社マンで現在シャーロキアン(シャーロックホームズ研究家)である80才の男性が自分の死に支度のあれこれを語った本です。
私が不勉強なだけかもしれませんが、人生の終盤を迎えた男性が「死を語る」本はいろいろありますが、死に支度を思い立ってこういうことを行いましたという記録は意外と少ないのではないでしょうか。
物書きというのは定年が無いし、死ぬのは今日でなくて明日でいいと思っているうちに最期を迎えてしまう男性が多いのかもしれません・・・と思ったけど女性の場合は瀬戸内寂聴とか佐野洋子とか死に支度をした作家ぱっと思いつくのに(寂聴さんはまだ亡くなっていませんが(^^;))男性が思いつかないというのはやっぱり男はそのあたりダメなんでしょうか。
遠藤周作とか椎名誠とか死について語る(語った)人はいろいろいるんだけど、死に支度をした人って言うのは本居宣長くらいしか思い浮かばないんですが・・・
遠藤周作とか椎名誠とか死について語る(語った)人はいろいろいるんだけど、死に支度をした人って言うのは本居宣長くらいしか思い浮かばないんですが・・・
さてこの本を読んだ感想としては、
当たり前ですが、80年生きてきてもいろいろ迷うのだなぁ、ということ。
当たり前ですが、80年生きてきてもいろいろ迷うのだなぁ、ということ。
人生の最後になって「死に支度」まで真剣に考えるようになってもまだ死生哲学をきちんと持てないでいる自分がはがゆい、というのが本音である。
こんな情けない心的状況をあえて読者の目にさらすのは、人間は最期の瞬間に安らかに目を閉じようとすれば、やはり何か絶対的に信じるモノを持たなければならないと思うからだ。それは社会の通念としての宗教でなくてもよいだろう。しかし何か「絶対の存在」でなければならない。それをみつけるまでは私は死に支度はするが、目を閉じないつもりなのだ。
70才の時に自分の生前葬に友人300人を招き、自宅と、自分の分身とまで言う蔵書のほとんどを処分した人間でさえ生への執着を捨てられず迷うのです。
エンディングノートを買ったが3年間ほったらかしで、まずは自分史から、などと言う。
人生の先輩に対して失礼な言い方になりますが明日死んでも不思議はない年齢なんだからそんな悠長なこと言ってちゃダメですよ。
約40才年下の私はもう書きましたよ!と言いたいところですが、こうしてみるとエンディングノートってむしろ晩年に書く方が難しいのかもしれないですね。
若いうちに書いておくべきなのかも。
記述にはところどころ勝手だなぁと思うところもありますが、嫌味がなくほほえましいとすら感じるのは正直に内心を吐露しているからでしょう。
終活を「行動」に移すのは難しい、と知るだけでもこの本を読む価値があります。
(追記)
一点だけ指摘です。
著者はP125~で「ワンストップの葬儀関連サポートサービス」つまり葬儀だけでなく遺言やお墓や遺品処分などを「組織的」にやってくれるサービスがあったらいいのにとおっしゃっているのですが、
あります。
あります。
というかむしろちゃんとした葬儀社の戦略はそこに向っています。
死に支度をした人といえば、芥川龍之介ではないでしょうか。
「遺書」で出版権を新潮社から岩波に移すよう指示していたり、他にも借りたものや貸していたものの目録を作成しています。わが子へのメッセージも残していますね。
なお、「遺書」は青空文庫で読めます。
しばったくん 様
情報ありがとうございます。
「ぼんやりした不安」のイメージが強かったので意外でした。