先日の通夜の時、入社3年目のスタッフが
「今日のお寺様、すごく人間ができているんですよー」
と真顔で話しかけてきたのには、ちょっと苦笑してしまいました。
まぁ、彼女も就職した頃は、
お寺さん=人格者
だと考えていたんでしょうが、
次第にそうでないことがわかり始めてしまったというか。
もちろん、人格者のお寺さんもたくさんいるわけですが、
結局「徳」の有無に関しては、お寺さんも葬儀屋もそんなに変わらない、
って言ったら怒られますかね?
ちょっと規格外でダメっていうお寺さんは、若い頃から実家を継いでずっとお坊さんだった人に多いような気がします。
勤め人の経験があるお寺さんには、そんなにダメな人はいないような気がします
(あくまで私の主観的な意見です)
ということは、若いころから「先生、先生」って呼んで
世間が甘やかす環境を与えてしまうのが原因なのかなとも思います。
医者や弁護士の方にも若干その傾向がありますが、
彼らの仕事は結果を求められますから
(普通仕事ってそういうもんですけど)
ダメな人には若干の矯正作用は働いてると思うのです。
お寺さんは故人が成仏したかどうか結果は判定されないですし、
代々続くお墓があれば檀家も他のお墓に移ろうとは思いませんし。
最近「葬式仏教」を何とかしよう、という意見が仏教界の若手を中心にあるようです。
もし本当にお葬式の場において、仏教の力で遺族の悲しみが癒せるなら
「葬式仏教」で上等!
と思うのですが。
まぁ葬式の場でいきなり教義を上手く理解してもらうのも無理な話なので
日頃の布教活動を行おうという主旨なら十分理解できます。
最近お寺の経営が苦しいという話を聞きます。
私も寺院経営の仕組みを十分理解しているとは言えないのですが、
農業と一緒で従来のビジネスモデル
(という言い方はお叱りを受けるかもしれませんが、お金のやりとりが発生しているならビジネスでしょう)
の転換期かもしれませんね。
今後、カウンセラーと一緒で
グリーフワークを行うサービス業の論理
みたいなものが必要なのかもしれません。
いろいろ仏教界の批判を述べていると受け取られるかもしれませんが、
直葬の増加など葬儀単価下落の背景には宗教の影響力の衰退も関係しているわけで、
仏教界にがんばってもらわないと、っていう思いもあります。
ただお互い消費者に必要とされないというのであれば
最終的に消えてしまう結果でもしょうがないかなぁという
「達観」も私の中にはあるんですけどね。
今回は、がんばれ仏教界!というエールだと思ってください。
「達観」ですか?
死を忌避するからこそ、その時になって、何も考えていないから「普通の」葬儀をする方が多いのでは?と感じます。
確かに、生前予約をする方が増えたら、殆どのご住職は役割を終えるのかも。
でも、施主のご供養を一緒に考える葬儀屋さんが消えることはないと思います。今のやり方とは変わるのかも知れませんが。
とはいえ、きっと、当分の間、少なくとも数十年は、きっと今のままではないでしょうか。
生禿様、たびたびコメントありがとうございます。
<(_ _)>
「普通の」葬儀ならまだいいんですが、最近はあまり生や死の意味を考えることなく、火葬だけしちゃえばいい、という方もごくわずかですがいらっしゃいます。(火葬のみだからダメというわけでもないのですが)
葬儀屋という職業は無くなってもいいから
故人を慈しむ気持ちは無くなってほしくないと思います。
と言ったら優等生すぎますかね(^^;)