もう10年ほど前の話になると思います。
お客様からの電話を受けた部下が不安そうな顔で
「ちょっと変な電話なんですけど、代わってもらえますか?」
と聞いてきました。
代わりに私が電話に出てみると
女性の声で
「私の友人が自殺したがっているのだが、もし亡くなったときはどうなるのか教えて欲しい」
との質問でした。
警察の検視があって、場合によっては解剖されて・・・という説明をしていたのですが
どうも様子がおかしい。
思い切って
「大変失礼かとは思うのですが、そのご友人というのはお客様ご自身のことではないですか?」
と聞いてみたところ、泣きながら認めました。
それからバブルがはじけて資産がマイナスになっていること、
家族に分かってもらえなくていきづまっていることなどを話し始めました。
グリーフワークの場合も同じ事が言えると思いますが、
「何か気の利いた一言」
で相手の思考や状況を劇的に変えるなど、
実際はほとんど不可能です。
相談される方は
「なにか上手いアドバイスをしなきゃ」
と思いがちですが、まずは相談者の
「話を聞いて欲しい」
という要求を満たせばいいのだと、
割り切って傾聴するだけで良い場合も多いと思います。
結局相手がもう何も言うことが無くなるまで30分くらい話を聞きました。
最後に私の名前と携帯電話の番号を教えて
「いつでもいいから、電話ください」
と伝えました。
それ以降連絡はありません。
昔、「自殺」がテーマの討論番組で、タレントの鈴木紗理奈が
「死にたいっていうような(弱い)奴は勝手に死んだらええねん」
と言ってました。
あと
「死ぬ気になれば、なんでもできる」
という人もいますね。
間違っていると非難する気はないです。
十代のころは自分もこの考えに近かったです。
ただこの葬祭業という仕事に就いてみると、現実はそんなに単純ではなかったってことです。
仕事柄、自殺をされた方のお葬儀は何度も担当しました。
心の病(やまい)の方も多く、それまで何度も未遂を繰り返しているケースもあります。
故人が横たわっていて
遺族の激しい悲しみも怒りもなく
「ただ終わった」という状況。
ある遺族の方が
「自殺って言うけど、心の病気になってしまって自殺してしまうのと、癌になって死ぬのとどこが違うの?」
とおっしゃっているのを聞いたことがあります。
自殺した娘の頭をなでながら
「やっと楽になれたわね」
とつぶやく母親もいらっしゃいました。
そんな故人や遺族に向かって
「自殺はいけない」
と言えるほどの確信は自分の中には無いです。
物理教師さんの『「自殺はいけない」と言えるほどの確信は自分の中には無いです』は、考えさせられます。確かに、死生に良い悪いは無い。というより、判断できるものでも、すべきものでもありません。
あるのは、生きている側の故人への想い。「どう受け止めるか」だけなのでしょう。
生禿 様、コメントありがとうございます。
>「どう受け止めるか」だけなのでしょう。
ほんとにほんのわずかですが、「どう受け止めるか」に、我々葬儀屋も微力ながら、関係しているのだと思います、いや、思いたい、ですかね。