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自殺者の葬儀について葬儀屋さんの立場から




今回は
「自殺をされた方とその遺族に対し、葬儀社のスタッフは何ができるのか?」
というテーマで、自殺をされた方の葬儀について考えます。

(心情的には「自殺」ではなく「自死」という表現を使いたいところですが、
まだまだ「自死」という言葉の認知度が低いと思われるので「自殺」という言葉を使います。
また私の考え方や方法論が正しいと主張しているわけではなく、
自分の方法論を公開することが、どなたかの役に立つかも知れない、
くらいの認識で述べております。)

自殺はいけないのか

自殺について葬儀社のスタッフの中にも
こういうことを言う人がいます。

「自殺をする人は心が弱い」
「死ぬ気になれば、なんでもできる」

この考え方は、知識不足による誤解だと思いますし、
発言すること自体無意味です。
正論ぽいことを吐いて気持ちよくなりたい、というのが目的でないならば。

かつてロックバンドサンボマスターの山口氏はインタビューでこう発言していました。
「死にたいって言うってことは、つまり死にたくないってことなんですよ」
この考え方の方が本質的を突いている気がします。

以前「自殺志願者の事前相談 」という記事を書きました。

別に自殺をされた方を無条件に擁護(ようご)する気はありません。

しかし、かつての私は自殺をされた方の実態に極めて疎(うと)く、基本的な情報と経験を得てから、自分の不明を恥じたことがあります。

自殺をされた方個々のケースはそれぞれ異なるはずです。
自殺という結果だけを見て、断片的な情報しか持たない第三者が故人を軽々しく断じるのは、(葬儀屋という他者の気持ちを慮(おもんばか)る仕事に就く者としては)乱暴すぎると思うのです。

次回は葬儀屋さんが、
自殺者の葬儀を苦手とする理由について
考えてみます。

自殺者の葬儀が難しい理由

葬儀屋さんは自殺者の葬儀を苦手にしています。

理由は3つ

自殺者の葬儀の経験が少ないので、ノウハウを持っていない。

まず自殺者に関するデータです。
こちらが一番詳しいでしょう。
平成23年版 自殺対策白書(PDF形式)
(全部印刷するとコピー用紙が厚さ1㎝以上になるボリュームです)

またこちらのデータも。
自殺率の国際比較

バブル崩壊後、自殺者が増え始め
このところずっと毎年3万人を超える自殺者を記録しています。
今年(2011年)の自殺者数も昨年を上回りそうです。

しかし日本全体の年間死亡者は119万人です。
3万人を超える自殺者といえども、全死亡者の比率で見ると全体の3%なのです。
ということは一人の葬儀担当者が自殺者の葬儀を担当するのは
年間でも1~3件ほどに過ぎません。
つまり個々の葬儀屋さんの自殺者の葬儀経験値はそれほど高くないのです。
(それが今回自殺者の葬儀について考えてみようと思ったきっかけです)

ごく短期(葬儀の前後数日)かつ混乱した状態での活動のため、成果を出すことが難しい

我々葬儀社が活動できるのは主に自殺発見直後から、数日間に過ぎません。
後述しますが、グリーフワークのお手伝いをするというよりは、遺族のダメージを最小限に抑えるためにあがく
という感じです。

そこまでがんばっても
遺族から感謝されることはありません。
遺族にそんな余裕がないのは当然のことです。

最終的に遺族からの客観的な評価が行われないことが多いので
自分の行ったことが正しかったのかどうかが判断できません。

強烈な実体験とそこから生じるストレスにさらされれて、冷静に分析することができない。

さきほど葬儀屋の活動期間は数日間に過ぎないという話をしました。

しかし葬儀担当者にとって心理的には大変インパクトがあるため、非常に濃密な時間でもあります。

自殺者の葬儀は、葬儀社のスタッフも強いストレスにさらされるので正直申し上げてもっとも担当したくない葬儀です。
私の場合、なんとか自分を鼓舞して、誰かがやらないとと思いつつ
「立ち向かう」という表現が、自分の心情に近いと思います。

我々葬儀社がスタッフができることといえば、これ以上遺族が心の傷を追わないよう細心の注意を払って努力することだけです。

担当者にとっては「減点法」評価の葬儀といえるでしょう。

そして葬儀が終わります。

葬儀が終わって数年経っても、あの御遺族はどうしているだろう、とふと思い出すことがあります。
心のどこかにくさびを打ち込まれている状態です。

イヤでも思い出しはするものの、日々それでなくてもストレスがたまりやすい労働環境なので
(一方でそれ以上の喜びがあるのでこの仕事を続けているわけですが)
あえて辛かった自殺者の葬儀のことを、深く考えることを避けようとする葬儀屋さんもいらっしゃると思います。

そのため冷静な振り返りと分析が行えないため、スキルアップも行えません。

そして忘れた頃に、ある日突然、自殺者の葬儀が飛び込んできて
またストレスレベルが上がる、そしてますます苦手意識が増大する
ということを繰り返します。

以上3つの理由で葬儀屋さんは自殺者の葬儀に苦手意識を持つのだと思います。

では次回から、(私の考える)
自殺者とその遺族に対し、葬儀社のスタッフはどうすればよいのか?
について
時系列に沿って具体的に
述べていきます。

自殺者の葬儀の流れ

(葬儀に完全な正解などないと思います。
以下は、あくまで「私の考える」一つの方法論としてとらえてください)

これからは時系列にそって
①遺体発見
②遺体処置
③打合せ
④通夜・葬儀・火葬
⑤葬儀後
の各シーンに分けて
自殺者の葬儀で葬儀屋さんにできること
を考えたいと思います。

遺体発見

自殺者が発見されると、通常警察が遺体を検(あらた)める検視が行われます。
詳しくは

死因不明社会

自殺者の叫び

が参考になります。
後者はテレビコメンテーター的コメントは玉に瑕(きず)ですが、自殺の原因に関する調査が実態を反映していないという話など現場の人間にしか分からない話が豊富です。

そして、この状況のさなか、遺族や警察から葬儀社に連絡が入ります。

そして死因(自殺)が確定するまで葬儀屋さんは遺体の処置を行うことができません。

死因が確定するまでの時間を使って
3.打合せ
を行うケースもありますが、
死因が確定して遺体をお預かりした後の3.「遺体処置の話」を先にします。

遺体処置

自殺者の葬儀を扱う葬儀屋さんにとって最も重要なテーマは
遺族にいかに贖罪(しょくざい)を行ったと思ってもらえるか
ということではないでしょうか。
(贖罪は元々キリスト教において使われている言葉ですが、ここでは故人を救えなかったという自分の罪の意識を軽減すること、と解釈してください)

葬儀屋である自分としては葬儀に関する部分だけでも
「故人に対して、できるだけのことはしてあげられた」という意識を遺族の方に持っていただければ、と考えています。

たとえ葬儀の最中はそう思えなくても、後日振り返ることができるようになったときに少しでもそう思っていただくことができれば、その後のグリーフワークも違ってくるのではないでしょうか。

そのためにも「遺体の処置」は重要です。

なぜなら、自殺遺体は何らかの損壊を起こしているケースが多いので
その損壊をいかに修復したかも贖罪になりうると思うからです。

遺体の修復に一番効果的なのは、エンバーミングだと思います。

一例をあげます。

日本における自殺の手段で最も多いのが首吊りです。
(参考ページ自殺の手段

首吊りの場合、顔面の鬱血(うっけつ)と首のロープ跡をいかに消すか、が問題となります。
エンバーミングはそれらに対し「ある程度」効果的です。
「ある程度」と申し上げたのは、生前と全く同じようにとはなかなかいかないからです。
実際はさらにタートルネックの服をお着せしたり、スカーフをまいたりと、首元を覆い隠さないといけないこともあります。

ただその「ある程度」でも先程述べた遺族の贖罪の意識にたいして、有効なことが多いと思います。
「少しでも生前の姿に戻してあげることができた」という気持ちですね。

同様に 練炭使用による変色、飛び降りの損壊、飛び込みの膨張、刃物の傷などにもエンバーミングは効果があります。
(ただ農薬系の自殺の場合、エンバーミングの施術者に危険が及ぶのでエンバーミングは難しいそうです)

また検死をうけるまで、遺体は処置を施すことが禁止されているので、腐敗が進行することが多々あります。
それに対してもエンバーミングは有効です。

葬儀屋さんは日頃エンバーミングの委託先を見つけておくべきだと思います。

打合わせ

打合せの段階での初期のテーマは
「隠す」
です。

故人が自殺でなくなったということを外部に対し隠そうとするかどうか、遺族と話し合うということです。

関係者の心ない発言が遺族の心情と故人の尊厳を傷つけるケースを、葬儀の現場で多く見てきました。

想像以上に周囲の「制裁」は激しいです。
このあたりの実態はこの本をお読みいただければと思います。

日本は恥の文化です。
第1回目の冒頭で述べたように「自殺者は弱い」「人生の敗北者」という人がいるのも事実なのです。

また、悪意ではなく無知が原因で遺族を傷つけるケースも多々あります。
むしろそちらの方が、悪意が無い分、問題の根が深いと言えるかもしれません。

そのため
自殺ということを隠すことができないか、
という可能性を私は探ります。
エンバーミングには、贖罪以外に自殺であることを「隠す」という機能もあります。

「いやいや、故人の自殺という手段も故人のメッセージの一つであると解釈すれば、真実を公開し参列者を含めてその意味をみんなで考えるべき」
という意見もあるかもしれません。

理想としてはその選択肢はあるでしょう。

しかし自殺者の葬儀の現場は、救いのない現実と絶望に覆われています。
当事者へ負荷をかけてしまう可能性がある以上、残念ながら理想ではなく現実を見るべきだと私は思います。

自殺と分かってしまうのは、情報漏洩(ろうえい)と遺体の状態からです。
具体的に隠す対策としては、先ほどのエンバーミングの他に
・部外者を呼ばないで葬儀を行い、後日報告だけ行う
・火葬を済ましてから骨葬をする
という選択肢があると思います。

とはいえ実際には完全に隠しきるのは難しいというのも、もう一つの現実です。
完全に成功するケースの方がまれと言えるでしょう。
表だって口に出さないものの、関係者は気づいているというケースも多々あります。

しかし、それでも、葬儀担当者は遺族に対して不完全ながらも隠すという選択肢があると言うことを説明し、努力しなければならないときがあります。

また同時に打合せ時に葬儀屋さんがやらなければならないことは、(大変難しいことですが)できだけ故人とその周辺の情報を集めることです。
例えば、遺族が一般の参列者の参列を認めるケースであっても自殺の原因が職場環境にあった場合、遺族感情を考慮して会社関係の参列を抑えなければいけないこともあるでしょう。

できるだけ、情報を集めてください。

それから打合せの段階では、自殺者の遺族は「穏やか」に見えることが多いことにも注意が必要です。

考えられる理由としては
・呆然としている
・怒りの対象は、命を絶った故人か、それを止めることのできなかった自分自身かであり、どちらも攻撃するわけにも行かず、感情が抑圧されている
・未遂を何度か繰り返していたケースの場合は覚悟ができている
などが挙げられると思います。

当然のことながら遺族の外見の様子だけを判断して、「大丈夫」と話を進めるのは危険です。
目を見てうなずいていても葬儀屋さんの言葉は届いていません。
対策は、遺族が信頼を置いている第三者を同席させる
ということだと思います。

次に、打合せの内容をできるだけ文書化する
ことが重要だと思います。
打合せが終わった後も、追加や変更の内容もできるだけ文書化します。

こうするのは言った言わないの、売り手の責任回避ということが主な目的ではありません。
後日遺族が落ち着きはじめてグリーフワークを行いだしたときに
お葬式という故人を弔う行為に遺族自身が関わったと振り返ることができるように
というのが目的です。

お葬式の日程の決め方ですが、(菩提寺の都合を考えなくて良い場合ですが)
「故人を見ているのが辛いので早く火葬してくれ」
という方と
「故人の死をある程度受け入れるため、日程を空けた方がよい」
という方の両方がいらっしゃるようです。
(日程を空けた方がよいという方は、打合せのとき「空けたい」とおっしゃるのではなく、他の条件が原因で日にちが空いてしまい、後日振り返ってみると結果的に日にちが空いていてよかった、
という感想をおっしゃることが多いようです)

また一般の参列の方を招くケースはお葬式の時間に十分余裕を持った方がよいと思います。
・故人が若いことが多く参列者が多い
・若い方は当然お葬式の参列に慣れていないので受付・焼香に時間がかかる
・通夜の場合、閉式後も帰らない
・出棺前のお別れに時間が必要
という理由からです。

通夜・葬儀・火葬


・一般葬の場合、
故人と遺族だけの時間を確保する
ことも重要だと思います。
参列者の対応で遺族が十分お別れの時間が取れない可能性があります。
出棺前の花入れの直前に、数分だけでも故人と遺族だけのお別れの時間を取ってもいいのではないでしょうか。

・宗教者には死因を事前に伝えておく。
これもケースバイケースなのですが、宗教者といえども直接死因を聞かれたくない遺族もいるだろうし、的外れの法話をされて困るケースもあると思います。
常識のある宗教者が相手なら、事前に死因を伝えておく、という方法もあると思います。

・遺族に判断を求める状況では常に複数名に確認を取る。
これは3.の打ち合わせで述べた
「遺族が信頼を置いている第三者を同席させる」
と同じ理屈です。
「~でいいですよね?」と尋ねた時にうなずいていたとしても言葉が届いていないことが多々ありますから。

・心ない人から遺族をプロテクト(保護)する。
デリカシーが無いからか、何か言わなきゃというプレッシャーからか
「そんなこと言っちゃダメだろう」ということを言う人がいるのです。
(参照:お葬式で使ってはいけない言葉
一度「お話し中、まことの申し訳ないのですが、すぐにご確認したいことがございまして・・・」といって会話に割って入ったことがあります。

・参列者のグリーフケアも必要です。
遺族対応で手一杯なのでとても参列者には気が回らない、とおっしゃる葬儀屋さんもいるでしょう。

ええ、私も葬儀担当者のはしくれですから、その気持ちはよく分かります。

でも我々葬儀屋は、血縁関係以外の社会的なつながりも大切にしようと、安易に家族葬を選択することに警鐘を鳴らしてきたのではなかったですか。

そうであるならば意地でもギリギリの所までがんばって、参列者が故人とお別れをした、見送ったと思えるような気配りを行うべきだと思います。

・遺族代表挨拶の時のバックアップをする。
これは自死者のケースに限らないのですが、遺族の挨拶の際、泣き崩れたり、挨拶不能状態になることが予想されます。
念のため常に手を伸ばせば届く距離に立っておきます。

あとは可能な範囲で後で振り返ってお葬式に参加したという意識を持てるような行為(BGMやディスプレイや棺の副葬品のチョイス)をおこなってもらうのが理想です。

葬儀後

自殺者のお葬式が終わった後です。

お葬式が終わった後も法事、位牌作り、香典返しの準備、公的な手続きなど遺族がやるべきことはいろいろあります。

葬儀屋さんはこれらのことを相談するために葬儀後引きこもりがちな遺族に対して会う、という大義名分(役割?)を持っています。

もし遺族が故人のことを語る機会があれば、ただひたすら傾聴します。

これは一見、遺族に対するグリーフケアのように見えて実は葬儀屋さん自身のためでもあります。

会話の中に少しでも、遺族から回復の兆しが感じ取ることが出来れば、葬儀屋さんは自分の努力が報われた気持ちになって、救われるからです。

そうはいかないケースも多々あるのですが・・・

以上が現時点の自殺者の葬儀のおける私のノウハウです。
前述しましたとおり、これらが正解というわけではなくて
一つの方法であると思っていただければ幸いです。

参考書籍

最後に今回の記事を書くときに参考にした書籍とサイトをご紹介しておきます。

自殺に関する書籍を20冊ほど購入したのですが予想通りというか、どうしても半分しか読めませんでした。

その程度の読書量ではありますが葬儀社のスタッフにとって参考になる書籍はこれだと思います。

自殺そして遺された人々

この本では自殺に対するケアを
・予防(自殺をしないようにする教育)
・介入(自殺行為に対する救命医療行為)
・事後対応(遺族へのケア)
の3つの段階に分けています。

我々葬儀社は介入の段階で活動するので、時間のない方は自殺発生以後の遺族のメンタル面に触れている1章と2章だけでも読んでおいてはいかがでしょうか。

サイトでは
自殺/自死で遺された遺族の為に

妻の自殺と向き合おうとする夫のブログ日記
が参考になると思いました。

 











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