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新興宗教の葬儀からいろいろ考えてみる




仕事柄、新興宗教の方から、葬儀の依頼をお受けすることがあります。
(新興宗教ではなく新宗教という言い方を私はしていますが、ここでは新興宗教という呼び方で統一しますね)
私は、なぜか確率的には不自然なくらい、新興宗教のお葬式の担当を持つことが多いのです。

何か気味が悪い
と思っている一般の方は、多いと思います。
オウム以降、宗教といえば、
葬式仏教かカルトかの二者択一
みたいな風潮が出来てしまいましたからね。

新興宗教の依頼を受けた葬儀屋さんでもそう感じている人が多いようです。
加えて、どんな宗教儀式を行うのか情報が無いために、さらに腰が引け気味になるというか。

私は仕事レベルでは全然問題なくつきあえます。

私の経験から言うと、確かに新興宗教の方にはある傾向があります。
それはみんな素直だということです。
こんなにピュアで大丈夫かな、とこっちが心配するくらい。
でも自分たちの宗教の教義に対する軽蔑や嫌悪に対しては敏感。
それ以外は普通です。

多分、誰々が気持ち悪い、嫌だ、という感情は、
新興宗教だけではなく職場の同僚レベルでも有りうる話です。
その原因は「情報の不足」だと思います。
相手のことがよく分からないから、嫌ったり、不愉快に思う。
(葬儀屋が過剰に嫌われる一因も
「葬儀と葬儀屋に関する情報の不足」
にあると思います。)
(参照ページ:葬儀は高いという問題と葬儀屋は嫌われるという問題を深く考えてみる)

だからそんなときは、自分の感情はひとまずこっちへ置いといて、
とりあえずただ事務的に相手の情報を集めてみる。
そうして相手を「理解」すると感情も収まることが多い。
(参考書籍:不機嫌な職場~なぜ社員同士で協力できないのか
 (講談社現代新書))

もちろんこの作業は精神力や時間や手間がかかるので、
対象者にプライオリティ(優勢順位)をつけて行わないといけないと思いますが。

新興宗教の信者の方は、結構高学歴で、社会的地位もあったのだけど、
病気や挫折やとんでもなく不幸なことが、自分の身に起きて入信していることが
多いようです。
その構造や過程が理解できれば、
少々教義がヘンでも、自殺を回避することができて
それで本人が救われたなら、それでいいじゃないか、
と私は思ってしまうのです。
(もちろん社会性を逸脱しない範囲で、ですよ)

またその教義に違和感を感じるか感じないかは
マジョリティかマイノリティかだけの違いであることが多いと思います。
大体、キリスト教でもファンダメンタリスト(原理主義)は
日本人の感覚から見ると結構ヘンですよね。
聖書の一言一句が絶対正しいから、
進化論は学校で教えるなとかね。
(参考書籍:アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない (Bunshun Paperbacks))

でもこれも彼らと知り合いになってよく話してみると、
感情的には何とか受けいれられるかもしれない。
(そうしなければいけない状況にならないと、
やらないと思いますけど)

多分私の場合は、
比較的誰とでもうまくやる(協調性)点と
教義を知的興味の観点からをおもしろがる(収集性)点で
彼らとうまくいくのだと思います。
(参照:葬儀屋として自分の強みを知る方法

それから、宗教儀式の知識が無いから、
新興宗教の葬儀の依頼が来たらどうしようと思っている葬儀屋さんへ。

彼らは人が良くて、
自分たちの葬儀様式がマイノリティだと自覚しています。
そのため
「勉強不足で申し訳ありません。教えてください」
といえば、こころよく教えてくれますよ。

またお葬式は一般の方も参列することが多いので、
教義の宣伝になります。
そのため教団でも力をいれていることが多いので、
結構葬儀のマニュアルもしっかりしています。
ただし、たまにしか葬儀をしないらしく、先方の責任者の方が
「あれ、どうだったっけ?」
ということも多いですけど(^^;)

それから
新興宗教の葬儀って「良いお葬式」になることが多い
です。

おそらく
故人と遺族と宗教者と参列者がみんな
信じている」からだと思います。
(「あんたほんとは、仏なんか信じてないだろ」ってお坊さん、たまにいますよね。)

少なくともこの点に関して、伝統宗教は見習うべきなのかもしれませんね。











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