『「死」とはなにか』はなぜおもしろくないのか

今回紹介するのはこの本。

Amazonの解説より

イェール大学で23年連続の人気講義が、ついに日本上陸!
――人は必ず死ぬ。だからこそ、どう生きるべきか――
(中略)
なぜ、余命宣告をされた学生は、
最後に”命をかけて”、
この講義を受けたのか!?
死を通すことでますます「生」が輝きを増す、世界的名著!

最初に出た日本版(形而上学の箇所がカットされている)は20万部以上売れたそうです。
これを受けて完全版も販売されることに。

死を扱う葬祭業という仕事をしている自分にとっては必読と思って、手に取りました。
しかし冒頭で数ページで

葬儀業界について論じることもない

と宣言されてしまうのですが(笑)

さてこの本の感想ですが「私にとって」おもしろくありません。

なぜおもしろくないのか、その理由を考えてみると、
・哲学的アプローチがおもしろくない
・役にたたない
からだと思うのです。

人が本を読むのは「おもしろい」か「役に立つ」からで、この本は私にとってこのどちらも満たしていません。

哲学的アプローチがおもしろくない

哲学の入門書はたまに読みますが、哲学に詳しいわけではありません。

私の哲学のイメージは
帰納法の限界を示すために昨日まで太陽が東から上っていたとしても明日はそうだと限らない、だとか
現在の自分は培養液に浮かぶ脳ではないことを否定できない
だとかで、よくこんなことずっと考えてられるなと。
近くにこんな奴いたら、絶対コイツめんどくさいって思う(笑)

この本のなかではこのように「こんな考え方もあるよね」という哲学的思考実験が繰り返されます。
直感的に死には恐怖と嫌悪感を感じるけど、たとえばこんなケースはどう?ってな具合に。

私にしてみれば「死にたいする直感的判断の矛盾を暴いたところで、だからどうだというのだ」という感想しかありません。

役に立たない

葬儀屋さんという人の死が常にある状況で日々働いている人間、言い換えるなら遺族の心の救済を考えている人間にとっては「役に立たない」のです。

私がこの本を読む前に期待した役に立つとは「死の恐怖や悲しみとどう付き合うか」の指針となるということです。
ところがこの本の読後感は、「いや、結局だからどうなんだ」でした。

この本で行われている思考実験を重ねた結果導き出される結論も、常日頃死を考えている葬儀屋さんにとっては、「その程度?」と感じる人も多いでしょう。
結構分厚い本にもかかわらず、アンダーラインを引く箇所は驚くほど少なかったです。

出版社は宣伝文句に

「余命宣告をされた学生は、最後になぜ命をかけてこの講義を受けたのか!?」

というエピソードを使用していますが、おそらくその学生には役に立たなかっただろうと思います。

もちろん哲学的アプローチが、常にこんな結果になるというわけではないでしょう。
たとえば仏教哲学はちゃんと自分の役に立っています。

終盤にさしかかった第8講で

「何を目指すべきなのか?  申し訳ないが、ここでその疑問に答えようとするつもりはない」

と言われてしまいます。
ここまで引っぱってこれ?と思いました。

そう、前述したように「死ぬのだから、こう生きるべき」という回答は用意されていないのです。

結局どうなんだの答えは好意的に解釈すれば
「自分で考えろ」なのです。

だってそれが哲学的姿勢だから。

誰かを救うことができる納得のいく結論は出ないのです。

残念なことになった理由

こんな残念なことになった原因はおそらく2つ。

学生相手の授業だから

一つは学生相手の授業が書籍化されたものだということ。

学生は「人が死ぬ」ということを知りません。

いや、いくらなんでもそれはないだろと言われるかもしれません。
しかし彼ら彼女らのほとんどは死の観念を知っているかもしれませんが、死のリアリティを持っていません。
葬儀屋さんである私の死のリアリティとは、亡くなった老女の枯木のような指の冷たさであったり、火葬炉から取り出されたばかりの遺骨の熱さであったりします。

エロスとタナトスの関連性で例えると
性欲が発現していない年齢の子供に、性と愛をああだこうだと理屈で教えているもどかしさがあります。

どうしてもロゴス(言葉の持つ情念)が宿らないのです。

宗教を使わなかったから

もう一つは
宗教にできるだけ頼らないというアプローチによる限界。その一方で宗教を完全に排除できなかったところ。

宗教を切り離そうとしている記述箇所は、私が日本人だからかもしれませんが、まどろっこしいです。
リチャードドーキンスの「神は幻想である」を読んだときにも感じましたが、
神の存在を無いことにする、つまり欧米のキリスト教原理主義をひとまず横に置いておく、
という作業は欧米の書き手にとって結構大変なのでしょう。

そういいつつも、後半では仏教の死に対するアプローチを賞賛しています。
またキリスト教の自殺の禁忌(死ぬタイミングは神が決めるのだから、人間が自分で決めてしまう自殺はだめ)への反論も扱っています。
つまり完全に宗教の束縛から脱しているとは言いがたいのです。

死をどうするかが、宗教の最大命題であると私は考えています。
その前提からいくとこの本で行われているアプローチは、宗教を語らずに死を語る手法の限界を露呈しているとも言えますし、その限界の中ではかなりがんばってはいるとも言えます。

というわけで
死を考えたい学生さんが読むのはいいと思いますが
人生の終盤にさしかかっている人が、自分の人生に役に立つことを期待して読むと肩すかしをくらう可能性が高いです。