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お父さん、「葬式はいらない」って言わないで、を読んで




いろんなブロガーさんがおすすめしているので、今さらなのですが

お父さん、「葬式はいらない」って言わないで (小学館101新書)
橋爪 謙一郎

グリーフワークとしての葬儀の役割は
断片的に今まで何度も語られてきましたけど
ちゃんと真正面にすえて、1冊の本にしたという意義は大きいと思います。

ただこの本を読んで、
「さぁ、明日からグリーフワーク、がんばるぞ」
って思う葬儀屋さんは、ちょっと危なっかしい(^_^;)
グリーフワークに特効薬は別にないし、
葬儀屋としての「分」はわきまえておくべきだと思いますし。

お葬式が終わって、集金やら、お位牌の受注やらでお宅にうかがったとき、
お茶をいただきながら、御遺族が語る故人の話を聞く、
という時間が私は大好きです。

最期のお別れの時間を一緒に過ごしてはいるものの、赤の他人だから
話せる話というのもあると思いますし。

密葬が増えて、宗教が力を失っている現状では、
これは葬儀屋さんにできるグリーフワークの一環、
と言いたいところですが正直そんな気負いも別に、ないです。
ただ話を聞くのが、個人的に好きなだけ。

これから先、世帯人数の減少・遺族の孤独化にともない
このあたりの役割をちゃんと商品化できないかな、
とずーっと思ってました。
カウンセリングって1時間6,000円くらいかかりますし、
精神科医って薬を処方するって事以外はあんまり医学っていう感じがしない
という意見も良く目にしますし。

商品化=金儲けという図式で拒否反応を示す人もいるかとは思いますが、
必要としている人に必要とされるサービスを提供して対価を得る
のは別に間違ったことではないと思います。

著者の橋爪氏はこの点、新しい試みをされているようなので、
ビジネスモデルとして成功することをお祈りしています。

NO FUNERAL, NO LIFE.

 











13 件のコメント

  • 私も読みましたよ~。でもちょっと期待しすぎたのか、あんまり感慨はありませんでした。感想は物理教師さんと概ね似通っています。私も集金に行った時など2~3時間お話してくることもままあります。
    ビジネスとしては専門化していくのはいいでしょうけれど、葬儀社が業務の一環として押しつけるのはおっしゃるようにやはり分相応ではないでしょうね。むしろグリーフワークと言わなければご遺族の話も聞けないのでは、本当に寄り添っているとは言い難いと思います。
    「おしゃべりがカネになんのか」なんて言われることもありますけど、ご遺族との触れ合いが巡り巡って自分の糧になるんじゃないかと信じたいですね。

  • 私は葬儀社や看護師がグリーフ・ワークを行うのには反対です。
    これは今までに、不用意な声掛けやアシストが原因で自殺に追い込まれた人達を多く見て来たからです。
    大学で心理学を6~10年位学び、その後は臨床経験や優秀な指導者の元で指導を受けて症例(ケース)を積めば可能でしょうが、簡単な物ではありません。

    確かに最近では、こちらの講習会を修了した看護師が増えていますが、急性期のご遺族に対して話を聞くのは良いのですが、下手なケアはかえって増悪を招きます。
    http://www.grief-care.org/index.html(以前は鎌倉新書内にあったと思ったが、今は大学教室に移動した?)

    看護としてのアプローチもありますが、看護師でも難しい部分が多いグリーフ・ワークに関しては、法整備や資格がない以上は責任の所在が明確でなく、葬儀社員が話を聞く程度にした方が安全でしょう。

  • こんにちは。
    遺族にとって、「赤の他人に話を聞いてもらう」ことは、私はとてもいいことだと思います。
    それがお葬式を担当してくれて、信頼できる方ならば尚更です。
    私の場合は葬儀社の系列の仏壇屋さんですが、何かとお世話になっていて、その方とお話すると気持ちが穏やかになります。
    ただ話を聞いてもらうことって、とっても大事なことだと思います。

  • 高見 晴彦 様、
    > あんまり感慨はありませんでした。
    ええ、確かに、肉親を亡くす経験をした人、もしくはグリーフワーク系の文献を日頃読んでいる人にとっては、斬新な印象はないと思います。
    逆にそれ以外の多くの人に「飛び道具」は無いんだ、って認識してもらうには有用だと思います。
    > 「おしゃべりがカネになんのか」
    ああ、こういう考え方する人、うちの社内にもいます(^_^)

  • prof 様、
    本来ならここで、仏教界ががんばらなきゃいけないはずなんですけどねぇ。
    ここでがんばんなきゃ、どこでがんばんるんだよって、言う話で。
    まぁ確かに下手にがんばられると、遺族を悪化させそうな方も、良くお見受けするのですが・・・

  • さつき様、コメントありがとうございます。
    御遺族の方からそういっていただけると、
    我々葬儀屋さんも救われます。
    ありがとうございます(^_^)

  • 今から15年ほど前、神戸の精神科医師の行うグリーフ・ケアに参加させてもらい10名以上のケアを見て感じた事は、「私には出来ない」でした。
    1人の方に対して1回30分から1時間を要し、10~20回はカウンセリングが要ると言われました。
    時間的にも葬儀社や看護師では対応は非常に困難であり、一緒に参加した30歳代の僧侶でも難しいと言っていました。
    また、医療保険の適応外であり、国内の病院ではグリーフ・ケアを考えている所がないのも事実です。

    そのために、関東では上智大学のグリーフ・センターが武蔵野市にありましたが、尼崎列車事故以降は兵庫の聖トマス大学と共同で、グリーフ・ケア研究所を行っています。http://www.sophia.ac.jp/jpn/admissions/griefcare

    また、埼玉・上尾では聖学院大学が研究所内で、グリーフ・ケア・センターを開設しています。
    http://www.seigakuin-univ.ac.jp/souken/about/index.html
    特に聖学院大学の研究所では、毎月の様に講習会や講座、シンポジュウムを開催(ほとんどが無料)しており、誰でも参加できます。(勉強になる)
    上智、聖トマス、聖学院はキリスト教系の大学であり、仏教系の大学よりもグリーフには熱心。

  • あの~グリーフ・ワークってどういう意味なんですか?
    他の方のコメント読む限り精神科医みたいな、話を聞いてあげる行為(?)みたいな感じがします。

    最近某現場にて、すれ違う日常生活を送る他人(お客様)を見ていて『生きてる様に見えて魂のない死人みたいな人』をよくみかけます。あまりに『魂が抜けた人』が多いんですよね(笑)(あくまで比喩的表現ですが)

    せっかく僕も人間としてこの世にいるのだから 
    『イキイキと魂の入った人間てして人生全うしたい』って思いますm(__)m。

    物理教師さま
    『ハートロッカー』を明日友人が貸してくれる事になりました。楽しみにしています。

  • たけさん、物理教師さんがお忙しそうですので代わりで申し訳ありませんが簡単にお答えいたします。

     まずグリーフ(grief)というのは「親しい人との死別を体験した人の、深い悲嘆」のことです。グリーフには発生から心の平安を取り戻すまでの大まかな段階(グリーフ・プロセス)があると言われています。このプロセスを悲嘆にくれる人自身が追っていくことをグリーフ・ワーク(悲嘆の作業)と言います。またグリーフ・ワークの只中にある人を周囲の人々が支えることを、グリーフ・ケアやグリーフ・サポートとも言います。この記事やコメントでは本人のワークと周囲のケアやサポートを含めた全体をグリーフ・ワーク(に関する事柄)として括っていますけど。

     グリーフ・ケアを専門的に行おうという発想は近年のもの(もともとは社会共同体の中で自然に行われてきたと指摘されています)ですが、葬儀に関わる葬儀業・医療・宗教など各界で現在急激に関心が高まっています。しかし相手は「人の心」ですから、マニュアル通りにもいかず下手なことをすればかえって状態が悪化することもあります。需要の高まりに対して研究や教育が進んでいないために、安易なケア、サポート行為の危険性も指摘されています。
     特に近年の宗教界の不振なども受けて「グリーフ・ケアの役割が葬儀業界に求められるのではないか」と取り沙汰されつつもありますが、カウンセリングに類する専門教育を受けていない葬儀屋が商業主義的にグリーフ・ケア事業を展開することに懸念を抱く人も少なくありません。

     そこで「専門的なことは専門家の研究に期待するとして、私たちは堅苦しく考えずに自然にご遺族の話し相手になるだけでもいいんじゃないか」というのが今回のコメント一連の流れになったわけです。
     ガッ○ンしていただけましたでしょうか?

  • 高見さんへ

    ありがとうございます。こういうお話を聞かせていただくと、「葬儀業務」は奥が深いですね。
    以前書きましたが現在「警備屋」で不特定多数の人間を見ていると物凄い違和感を覚えます。

    身なりはキチッとしていて一見エリートビジネスマン風の人がブツクサ独り言言いながら歩いていたり(携帯電話で話してるのではなく)綺麗で美人なオーエルさんが突然キレたり・・・・・高級ブランドに身を包んだオバサンが200円のコストで店にぶち切れてクレームに来たり・・・・・・・
    理不尽な人間のエレクトロにカルオンパレードです。

    グリーフ(grief)というのは「親しい人との死別を体験した人の、深い悲嘆」のことです。

    までいかなくても社会全体にケアの必要性を物凄く感じ、警備屋としては「こいつら暴徒と化したら繁忙期になるな~」なんて自虐的になってしまう今日この頃です。この国は物凄い勢いでおかしくなって来ていて、ケアする人や事業が急速に必要になるのでは?と懸念してます。
    僕だって、稼いで結婚して幸せな人生を送りたいのですが・・・・社会がここまで不安定だと無理かな?とも思います。
    自分独り幸せになっても、人生や社会の一部に
    「僕個人」も入ってますから。

    高見さんのお話聞いて、改めて葬儀屋さんも介護事業と同じく「優しさ」が仕事の一部(ホスピタリティ)なんだと認識しました。

    有難うございます。

  • たけ 様、
    > 『ハートロッカー』を明日友人が貸してくれる事になりました。
    一応記事で取り上げたんですが、映画としてはそんなに面白いっていう感じではなかったので、ハードルは下げておいてください。

  • 高見 様、
    > 物理教師さんがお忙しそうですので
    すいません、勤務時間中はブログにアクセスしないようにしているので。助かります。

  • 物理教師 さま 

    ありがとうございます。
    『ハートロッカー』は娯楽として見るのではなく物理教師さんの解説からの葬儀社の共通点として見てみたいのです。『おくりびと』伊丹監督の『お葬式』(ってタイトルでしたか?)は観ました。両方とも、日本人らしい『死』がメインテーマで、確か『お葬式』は『葬儀屋』さんサイドからの視点ではなかった気がします(違ってたらすみません)。

    グリーフ・ワークって大事ですね~最愛の方を亡くした胸の痛みは、当人しか解らないけど・・・それで後追い自殺とかあるじゃないですか?

    葬儀屋さんと共に、社会的意義の高い仕事だと思います。

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