中島京子「冠・婚・葬・祭」のここがおかしい




今回ご紹介するのはこの本。

「冠・婚・葬・祭」中島京子

 

著者は2010年に直木賞を受賞されているらしい。
失礼ながら全然存じ上げませんでした。

 

「文学賞メッタ斬り」シリーズを読んでしまうと
○○賞受賞作家っていうのは
もうどうでも良くなってしまいます(^^;)
あ、ちなみにこの「冠・婚・葬・祭」は吉川英治新人文学賞候補作です。

 

感想を先に言ってしまうと・・・
そんなに良くなかったです(^^;)

 

私の専門の葬送儀礼に関する短編は

「葬式ドライブ」と「最後のお盆」の二作です。

「最後のお盆」は大林宣彦作品にありそうな筋仕立て
(あの世とこの世の境目があやふやになって・・・)なのが
新鮮さがなくてちょっと評価できないです。

 

続いて
まず「葬式ドライブ」の間違い探し。

 

・「普通は家族葬と社葬と、二度に分けるわよねえ」
→正しくは密葬と社葬

 

・弔辞者が参列者に向かってながながと挨拶をする
→それは弔辞ではなく葬儀委員長や遺族代表の挨拶では?
キリスト教でない限り、弔辞は祭壇に向かって行う。
・司会者が弔辞者に耳打ちしてせかす
→そんな失礼なことするわけないだろう

 

・霊柩車が出棺時間に到着しないので時間稼ぎため、
(式場から玄関までの)出棺の途中で葬儀屋が黙祷と弔電の代読をしようとする
→もし霊柩車が遅れているなら棺への花入れの段階で時間調整する。
こんな訳の分からんことするわけがない。葬儀屋なめてんの?

 

・「司会の男は(中略)内ポケットから弔電を取り出し」
→どんだけ内ポケットでかいんだよ(^^;)
弔電
火葬場に同行した「おばあちゃん」の正体ははっきりしないまま
→火葬場の同行するのはほとんど親族だから、
いくらなんでもこの人誰?って話に絶対なるだろう
こういう細かい間違い探しは無粋だなと自分でも思うのですが
吉川英治新人文学賞の選評で大沢在昌氏がこう述べているのを発見。
「ああ、もう、また! とくやしくなった。
中島さんにはよく知らないことを書く際に、
不用意な描写をしてしまう悪い癖があり、
それがいつも“あと一歩”の場面で足を引っぱる。」
「もっとワキを締めて下さい、としかいいようがない。」

 

なるほど、そういう方なのね(^^;)

 

以上のディティールの間違いを差し引いても
この話の登場人物はなんか嘘っぽいというか、リアリティを感じないので、
物語に入っていけなかったのが低評価の理由の一つ。
それから
一番不満なのは「葬式ドライブ」の最後の一文。

 

「その煙とともに彼女の生きた時間は消え、記憶も消え、
後には何も残らないのだ、と直之は思った」

 

いや、違う。

 

直之(主人公)の心の中には、故人を弔い続ける気持ちが残ってるよね。

葬式を経験することによって・・・

っていう私の感じたようなメッセージを次の短編でフォローしてくれるのかな
思ったんですが、残念ながらそれはナシ。

 

やっぱり、葬儀小説は本物を超えることはできないのでしょうか。
(参考記事:葬儀屋さんの現実











8 件のコメント

  • 「どんだけ内ポケットでかいんだよ」
    物理学者さんの、このパターンのつっこみが、好きです。
    読んでて、人目も憚らず、また大笑いしてしまいました(^o^)/

  • ちょっと読んで爆笑してみたい作品ですね。

    内ポケットどんだけデカいんでしょうホントに┐(´ー`)┌それとも弔電ミニマムサイズ?
    事実は小説より奇なりです。
    てか、こんな葬儀屋は嫌だ(-“-;)

  • locomaco 様、
    > てか、こんな葬儀屋は嫌だ(-“-;)
    どうも葬儀のグダグダ感を出したかったようなんですが
    著者の描写がグダグダという・・・・

  • 未だに国内には色々な葬儀屋さんは居ますよ。
    先週末、1週間を要してご遺体を引き渡しましたが、家族と一緒に来た葬儀屋さんがすごかった。
    黒色のTシャツに、白の上下のジャージ、白のスニーカー。(名刺を見ると都内葬儀屋の社長さん)
    どこから見ても「木更津人的ファッション」。
    昔は、この手の葬儀屋さんもいたが、都内の葬儀屋さんでは絶滅危惧種的存在。
    そのままご遺体と家族を車に乗せて走り去り、夜には「土葬終了と連絡があったので」、あのジャージ姿(ベルサーチじゃなかった)で葬儀や埋葬を行ったのでしょうが、強者存在。

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