以下の話は私の断片的な知識をつないで
考えたことなので、いろいろ抜けが有るかもしれません。
もしくはすでに同じことを考えた方がいるかもしれません。
そもそもまだ結論に達していないのですが、
とりあえずリリースしてみました。
博識な方はコメントお願いします。
先日
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日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか
小室 直樹 徳間書店 2000-07
|
という本を読みました。
その中で、「えっ?」という衝撃の内容が・・・
「宗教」という言葉が生まれたのは実は明治時代になってから。
明治以前には、仏教、キリスト教という用語も使われておらず、仏教は「仏法」として、
キリスト教は「耶蘇」あるいは「伴天連」として、儒教は「儒学」という言葉で呼ばれていた。
今は亡き小室直樹氏ですが博覧強記な方で、かなり専門的な記述が目に着きます。
ただこの本には参考出典の表記がほとんど無く、
どこまでが氏の考えで、どこまでが客観的事実か分りません。
(そもそも宗教に客観的事実があるのかという議論は置いといて)
どこまでが氏の考えで、どこまでが客観的事実か分りません。
(そもそも宗教に客観的事実があるのかという議論は置いといて)
余談ながらこの出典を示さず言いっぱなしという傾向は
愛弟子の橋爪大三郎氏にも引き継がれており
愛弟子の橋爪大三郎氏にも引き継がれており
氏の本も面白いが、それぞれの宗教の中の人からは結構叩かれているみたいです。
そんなわけで上記の記述の真偽もちょっと調べてみたのですが
ウィキペディアの宗教のページ
うむ、どうも本当らしい。
明治になって 「religion」という英語の訳語として初めて
「宗教」という言葉が作られたらしい。
(ちなみにreligionの語源は「繰り返し読む」という意味。キリスト教は聖書を繰り返し読むから)
ソシュール的にいうと
モノや概念というのものは
名前を付けられて、初めてこの世に「存在」する。
言い替えると名前のないモノは、この世に存在しないということ。
(たとえば、同じ虹を見ているのに民族によって
虹の色の数が7色未満の場合があるのは
そもそもその色の名前(≒概念)が存在しないから。)
虹の色の数が7色未満の場合があるのは
そもそもその色の名前(≒概念)が存在しないから。)
現在は仏教、儒教、神道、キリスト教などを「宗教」という枠組みの中に入れて
認識していますが
認識していますが
江戸時代以前はそもそも「宗教」というカテゴリーは存在しなかった、
ということですよね。
なんか学問や思想と一緒のなにか、
という存在であったのでしょうか。
ということですよね。
なんか学問や思想と一緒のなにか、
という存在であったのでしょうか。
(ちなみに英語では仏教はBuddhism、マルクスの思想は Marxismというように
同じ思想=ismとして表現されているみたいです)
同じ思想=ismとして表現されているみたいです)
ということは現在の日本人に「無」宗教の人が増えている、
などと言われますが
などと言われますが
そもそも江戸時代以前の日本において
「宗教」など「無かった」ということにはなるまいか。
家父長制と同じく、
たかだか150年前の明治時代に生まれた概念に過ぎないと。
だから日本人が無宗教って、言われても、
ええ、そりゃそうでしょう、
ということになってしまうわけですよね。
「宗教」など「無かった」ということにはなるまいか。
家父長制と同じく、
たかだか150年前の明治時代に生まれた概念に過ぎないと。
だから日本人が無宗教って、言われても、
ええ、そりゃそうでしょう、
ということになってしまうわけですよね。
このあたりは面白そうなので、
ちょっと深く掘り下げたいところですが
ちょっと深く掘り下げたいところですが
今日はここまで。
葬儀の関係についていつも勉強させていただいています
また、最近の宗教の話題に踏み込んだ記事について、興味深く拝見しています。
無宗教のお話、お考えに同感です。
江戸時代のお寺の役割を考えると、檀家制度すなわち戸籍制度と地域共同体における教育機関、および調整機関というような、
現代で言えば行政機関の枠割を果たしているように思えます。
もっとも、現代の行政は国の権威をもとに地域に役割を果たしていますが、
当時のお寺は、宗教的いや先祖供養を司る権威をもとに地域に役割をはたしていたように思います。
このお寺が果たす役割を思うと、江戸時代に生きる人々には、
仏教を信仰しているという意識は無く、まさに無宗教であったのかもしれません。
私も日頃の仕事の中で感じており、大変興味を引くお話しなのでコメントさせていただきました。
仏教学部出身葬儀屋様、
コメントありがとうございます。
幕府による寺請制度→明治政府による国家神道
というお上による指導があったこと自体
もう宗教が機能してなかったのでは、
という説を複数の書籍で読みました。
このあたり、ちょっと興味があります。
はじめてコメントさせていただきます。十村井と申します。
大変刺激的なブログをいつも楽しませて、かつ勉強させていただいております。
ありがとうございます。
「博識な方はコメントを」ということで、全く博識なんかでないですが、僭越ながら、コメントです。
宗教という言葉が「religion」の和訳として明治に生まれたように、現在使用されている言葉で、明治の近代化に伴って作られているものは大変多いみたいです。
柄谷行人『日本近代文学の起源』という文学界における名著がありますが、ここで指摘されているのは「日本」「近代」「文学」「起源」これらすべての言葉も明治期に作られたものであるということです。
ですから、例えば、『源氏物語』は間違いなく平安時代に書かれたものではあるものの、前近代の人々はそれを「古典」「文学」とは捉えてなかったということですね。それこそ、「文学」ではなく「物語」だったのかな。
読まれ方もいまのような製本されたものではなく、絵巻物として書かれたらしいですね。
谷崎潤一郎の「細雪」も、そのような絵巻物としての物語を意識して書かれたというのを聞いたことがあります。
宗教に関しても、前近代の人々の生活の中に宗教的実践は間違いなくあったことでしょうが、それを現代のような「宗教」という概念で捉えていたかは不明ですよね。
日本人の死後のゆくえは自分たちが住み里山に居座り、祖霊(氏神)となって子孫の生活を見待ってくれているという、柳田国男的祖霊観がありますが、そんな中での、葬儀や、法要や、墓参りや、お寺での行事や、お祭りなどというのは、一つの歳時記のようなものだったのかもしれません。
ちなみに、民俗学者の五来重はこんなことを書いてます。
もとは念仏講が葬式をして、僧侶はあまり関与しませんでした。
もとは共同体に氏というものがありました。いわば血縁につながる者です。あるいは擬制血縁といって、実際には血縁はつながってはいないけれど、氏上なら氏上の支配を受けるような位置にあるものを古代社会では部民(かきのたみ)や部曲(かきべ)といいました。そういったものも1つの擬制血縁で、それ全体で葬式を行ったのです。(五来重『先祖供養と墓』
もちろん地域性もありますが、寺院の位置づけも今のようなものではなかったということの1つの論証になるかなと。密教寺院は権力側から作られたものが多いのに対し、真宗寺院は村人たちが輪番で運営する「道場」から寺院になっていったという説もあります。
半僧半俗の毛坊主が僧侶になり、道場が寺院になるというのが民間寺院の成立です。そういうところでは毛坊主の自葬ということが行われます。正式の僧を頼まない葬式が自葬です。(五来重『先祖供養と墓』)
前近代の人々にとっての宗教観は私も興味ありますが、まだまだ不勉強なので、もっともっと勉強していきます。
長々とすみません! ありがとうございます!
十村井満 様
丁重なコメントありがとうございます。
この記事のテーマをもっと深掘りしたいと思って
先日末木文美士の「日本宗教史」を読了したのですが
どうやら「宗教」という言葉は国家神道化への反対運動(信教の自由活動)のなかで
生まれて定着したらしいですね。
それにしてもこのブログはコメント欄のレベルが高くて
プレッシャー感じます(^^;)
物理教師様
貴ブログこそ、高いモチベーションとブレないスタンスを維持されていて、尊敬します。
また立ち寄らせていただきます。
ありがとうございます!
十村井満 様
ありがとうございます。
コメント失礼致します。
宗教の概念について、
そもそもヨーロッパでのReligionの語でさえ、
宗教という意味を持つようになったのは16世紀、大航海時代にはいってからです。
他の全く別の宗教的儀礼との出会いにより、キリスト教の存在が相対化されたからです。
また、Religionの語源はReligio、繰り返し読むことからと物理教師様も書かれているように、
もともとはキリスト教の「習慣」「儀礼」の意味から来ているものです。
ここから、もともと宗教とはキリスト教もそうであるように、
一人、または一つの集合の神を信仰する上での習慣の集まりのことだとわかります。
ですので、そういう意味では日本人は宗教というものを無自覚的にしろ少なからず持ち合わせていると感じます。
KK 様
コメントありがとうございます。
>キリスト教の存在が相対化されたからです。
この箇所、勉強になりました。