現代仏教は間違っている?

今回紹介する本はこちら。

へーっ、そうなんだ、と思わされる記述がたくさんあり、
面白く読めました。
ただ残念なのは、紹介している学説の出典が全く示されていない点でしょう。
出典がないと、せっかくおもしろい説を紹介しているのに、
本当なのかどうか鵜呑(うの)みにできないストレスがたまります。

確かに論文ではなくて新書なので、読みやすさを重視したのかもしれません。
でも最後に参考文献目録くらいあってもよかったんじゃないでしょうか。

ところでこの本のテーマであり、読みどころは
「現代の日本の仏教の教義は、お釈迦様が説いた仏教本来の主旨とかなりずれている」
という部分だと思います。

現代仏教界へのアンチテーゼという意味なら
私もこのような記事を書いているので(参照ページ:お坊さんについて
共感できる部分もあります。

でも
現代の仏教が、お釈迦様が説いた教えとずれてったっていいじゃん
というのが私の意見です。

釈迦

学生時代インドに滞在していたとき、政治家の秘書をやっている方と
「非暴力主義」について話したことがあります。

そのとき彼がこんなことを言いました。

「確かにガンジーは神だ。
(余談ですがヒンドゥー教には何度か生まれ変わる神様がいて、
その一形態がガンジーあるとする説がある・・・らしい。
インドの古本屋で手に入れた宗教学の本に書いてました)
でも非暴力主義っていうのは元々インド人が代々持っていた思想なんだ。
そうでなきゃいくら偉大な人間に言われたからって、民衆は従えるもんじゃないよ」

(お互い英語がセカンドランゲージ同士での、流暢とは言い難い会話でしたが、
まあ大体こんな内容)

つまりですね
ガンジーがいきなり非暴力主義という斬新でオリジナリティあふれる思想を生み出したんではなくて
民衆の間で長い歴史を経て、徐々に変化して、結実して生み出されたのが、
非暴力主義なんだという考え方なんですね。
ガンジーは外部にそれを発信した存在なのだと。

ということは
「悟り」って言葉のせいで、
釈迦がいきなり斬新でオリジナリティあふれる思想を生み出したって思われていますけど、
釈迦の教え(つまり仏教)って言うのも
それまでのインドの思想が徐々に変化して
その延長線上に結実して生まれたものでは
なかろうかと。

であるならば、
釈迦以降も仏教が徐々に変化していって、その結果、
2500年後の日本の仏教が、釈迦の説いた仏教とずれていたって
もちろん「有り」だと思うのですよ。

結局
原理主義的で厳密な宗教観よりも
故人が生前信じていたものに対するコンセンサス(合意)が
遺族との間にあればいいんじゃないかな

と葬儀屋さんである私は思うのです。

ただ最近はこのコンセンサスすらなくなってきている点が、重大な問題なのですが・・・
この話はまた後日<(_ _)>