今回紹介する本はこちら。
この間こんな文章を書きました。
(参照ページ:遺書)
死が間近に迫った方の手記は、何冊かよみましたけど、
この本の筆者の言葉は重く響きます。
おそらく筆者と私の経歴に、一部共通点があるからでしょう。
他人事っていう気がしないのです。
この本の最大のメッセージは
「いつ死ぬか分からないんだから、今やりたいことをやれ」
っていうことだと思います。
良く言われる言葉だけど、言うべき人が言うと、自分にとって重みが違いますね。
自分にとって今、やりたいこと。
うーん
やっぱり一度くらいは東京ディズニーランドに行っとこう
・・・ダメだ、スケール感小さすぎる(>_<)
でもやりたいことをやったから、もう死んでも大丈夫
なんて境地があるのでしょうか。
成功して長生きした松下幸之助ですら晩年は
若者の若さがうらやましいと言っています。
あらゆることをやり尽くしても、もう死んでいい、
という境地にはならないような気がします。
少なくとも現在の自分の死生観においては。
70才を超えてくると、そういうモードで達観できるのかもしれないですけど。
今、急に自分の眼前に死が迫ってきたら、ちょっとスマートに受け止められないな。
でも逆に
「やり尽くす」っていうレベルに達することはできないもんなんだ
と思えると
明日死ぬことになっても、
「やり残した」
っていうように後悔せずにすむ
・・・ような気がするのだけど。
ちょっとパラドックス気味
母、そして父が亡くなってからずっと「死」ついて考え続けてきたのですが
(もし両親が健在だったら、
自分は脳を何のために使っていただろうと思うときがあります)
途中で「死」について「考える」ことに疲れてしまいました。
自分なりの哲学ってものはありますけど
有史以来、死についてはさんざん語り尽くされているので
自分が改めて述べるような目新しい意見はないです。
食べたことのない料理のことを、ああだこうだって議論するのって、
実際に食べるっていう行為に比べると、あんまり意味無いですもんね。
議論自体を芸として成立させることができるんなら、
それはそれで意味のあるとは思いますけど。
そんなわけで死について考えることはちょっとお休みして
次は実際に自分が「死」を「経験」するまで待とう、
っていうのが現在のスタンスですね。
ということは、結局やってみたいことって
死ぬこと?
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