インテリ文学系のおっさんはなぜ「葬式なんてどうでもいい」と言うのか

インテリ文学系のおっさんは
「葬式なんてどうでもいい」
となぜか 言いたがる、
ということを過去に述べてきました。

私が考えるその理由は
彼らは死ぬということにビビっているから。
ビビっているから
葬式なんてどうでもいい
って言うことによって思考停止状態に逃げ込めるし
ビビってなんかいねぇ、と言ってる気分になれる。

だから
「葬式なんてどうでもいい」
と必要以上に言いたがるのです。

Sakaguchi_ango
<Wikipediaより>

最近
坂口安吾の
私の葬式」を読みました。

居た、居た、70年前から(^^;)

私は家人(これは女房ではなくて、愛人である)に言い渡してあるのである。私が死んだら、あなた一人で私の葬式をやり骨の始末をつけなさい。そのあとに、知友に死去を披露して、ドンチャンのバカ騒ぎを一晩やりなさい。あとは誰かと恋をしてたのしく生きて下さい。遺産はみんな差しあげます。お墓なんか、いりません。

またこんなできもしないことを・・・
もうちょっとまじめに考えなさいな。

この当時坂口には妻子がいたわけで、愛人にしてみれば
「あなた一人で私の葬式をやり骨の始末をつけなさい」と言われたところで
いい迷惑だと思います。
言われたのが本妻だとしても、大変なことに変わりはありません。

もちろんどこまで本気でいっているのかは分かりませんが
少なくとも自分は作品を通してそういう考え方の人間であるという意思表明を
しているわけですよね。
(「 あとは誰かと恋をして~」はやさしさとも取れますが、
僕のことをかまって、という意思表示だと私は解釈しました) 

で、結局坂口が亡くなってどうなったかというと
 葬儀は2月21日に青山斎場で行われ、尾崎士郎、川端康成や佐藤春夫、青野季吉らが弔辞を読む。
 墓は故郷の新潟県新津市大安寺(現・新潟市秋葉区大安寺)の坂口家墓所に葬られた。
ウィキペディアより) 
ほらね。
(↑亡くなった方にこう言うのもちょっと失礼かも知れませんが)

実際はこのような豪華なお葬式になってしまうんです。

有名作家である自分が亡くなるとどうなるかということをリアルに考えていないから
一人で葬式やれ、というできもしないことを宣言したあげく
結局現実的な施策はなにもしないまま最期を迎えてしまうんです。

彼自身の実際の葬られ方は傍目には何の問題もありませんが
もし愛人や妻に上記のことを実生活で本当に言っていたとしたら
彼の言うことを守れなかった、という心の傷を彼女らに残しただけです。
だったら最初から何も言わない方がましだろう、と思うのです。

(その点、坂口同様に家族の迷惑のことはあんまり考えていなかったろうけど
自分の葬式をリアルに考えていたという点において本居宣長はエライなぁと思うのです。
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一方、女性の腹の据わり方は
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6件のコメント

残された家族の心情としては、故人の人となりや
家柄を重視しました。
簡単に言えば、当家はカモでやんす。
爺さんは地主で政治家。父は官僚でした。私は会社員ですが・・・
爺さんの葬式には1000人を超える弔問客、父で300人・・・
私が見栄を捨てれば捨てられたのでしょうが、
普通に弔問客を受け入れることが見栄ならば、それでいいのですね。
父を特別賓館で荼毘にふしましたが、それは見栄でなく親兄弟が
全員特別賓館なのに、父だけを最上等に落とすことができなかったのです。
それでも通常1000万円以上葬儀関係費を出す当家では346万円に
抑えたのですから、上出来でした。
本家は可哀想で、落とそうにも落とせないらしく、10年前の伯父のときでも
棺は無垢、会場は流石に自宅ではなく祥雲寺というお寺でした。
店子だけでも500人以上おりますので、料理代だけでも数百万円になってしまいます。
しかし、無垢の棺は重いですね。
父のときはフラッシュ棺でしたが、幾分軽かったです。
私は大した人間ではないので、密葬とお別れの会をお願いしておりますが
何なら家族葬一発でも、大丈夫です。貧相なことはいけません。
残した財産に応じた葬式はもらうものの義務ではないでしょうか。

愛人って寂しいものですね。

祖父は全葬連、父は互助会にお世話になりました。

前橋の釣りに行くような格好のオッサンには葬儀は依頼しません。

お金がない奴は直葬! 私に言ったら張り倒してやります(#^ω^)

相場が下がっても、ここぞというときには金を使うそんな世界ですね。

死ぬ人間は、生きている人間ももっと勉強して欲しいです。

最低限必要なことを割愛することは、恥ずかし過ぎることを。

酒飲む金があるなら、貯金しろ!

彼等はこういうポーズがかっこいいと思っているのでしょう。
実際付き合っている女性にしてみれば、その男性の実像は見えている訳で、
「はいはい、仰せのままに」と返事だけして現実には立派な葬儀を行うのですね。
「出来もしないこと言って、気楽なもんだ」とは思えども、遺志を守れなかったと
傷ついてはいなかったりして。

解決困難な問題です。

葬儀は死亡者のためなのか、残された者のためなのか?
このバランスが重用で、この考え方により「不要論」が生まれ、簡素化も。
更に複雑にしたのが、「葬儀社のための葬儀」。

LAW様
>爺さんの葬式には1000人を超える弔問客
これはすごいですね。
最近1,000人規模のお葬式も少なくなりました。

はっちゃん 様
たしかにそれはあり得ますね。
女性の方が100倍したたかですからね(^^;)

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