日本語の作文技術
今回ご紹介するのはこの本。
たしか最初に読んだのは大学生の頃だから20年以上前になります。
 当時感銘を受けて、思想的にちょっと本多氏の影響を受けてた時期があったのは、私の黒歴史。
今回なんで改めて読み直そうかと思ったかと言いますと、
 話は数ヶ月前著書の原稿を書いていたころにさかのぼります。
 推敲を何度も繰り返していたのですが、推敲をしすぎて自分の文章が読者にとってわかりやすいのかどうか分からなくなってきてしまったのです。
 漢字のゲシュタルト崩壊に似た現象です。
 そこで執筆を一時休止してこの本を再購入。
今回はKindle版を購入しましたが、2年ほど前に改訂されていたようです。
 久しぶりに読んでみると
「ああ、俺この原則守っているわ」
本の内容はすっかり忘れてたはずなのに、
 述べられている原則は身についていたようです。
 それほどボリュームはありませんので、未読の方はどうぞ。
理科系の作文技術
↓文章の書き方に関して、もう一冊。これも古典的名著で、おすすめです。
読者が悪意をもって誤読しようとしているつもりで文章を書け、という箇所は
 送り手と受け手の情報格差の大きい、葬儀関係の情報発信時に必要な考え方だと思います。
論理トレーニング101題
東大の論理学の教授が教科書を一般読者向けに書き直した本です。
受験生時代は国立志望だったこともあり、
 現代文や小論文が得点源でした。
 余談ですが、その当時愛用していた参考書(今でも持っています)の著者の方が
 遺族の中にいらっしゃったことがありました。
 その著書の方は親族の中ではただの塾講師という扱いだったらしく、初対面でその方を褒めちぎる私を周りは不思議そうに見ていました。
さて何の話でしたっけ。
 そうそう「論理トレーニング101題」についてでした。
そんな過去もあり自分ではそこそこ論理的な文章が書けているつもりでした。
 しかし今回著書のゲラに入れられた校正者の書き込みで、接続詞の使い方の誤りを数カ所指摘されたのです。
 あ、これはまずい、ということで数年前に読んだこの本を引っ張り出して再読することになりました。
タイトルだけ見るとロジカルライティング系の本と思われるかもしれませんが
 考えの正しさというより一つのパラグラフ(段落)内の論理的な整合性について書かれています。
日々の空いた時間に読み流してもらうブログの文章の場合、
 あえて接続詞を抜いた方が文章のテンポが良くなることもある、というのが文章の難しいところなのですが・・・
巻末で、この本の成果を配偶者に対して使ってはいけない、と冗談半分で釘を刺しているところでニヤリとします。
 私の配偶者は論理的なのですが、同僚にはいますね。
 なんでそういう結論になるの、っていう人。
今回の私の文章も論理的ではないですけどね(^^;)
職業としての「編集者」
子供の頃って、読んだ本の後書きで著者が編集者に対する謝辞を述べているのって
 不思議じゃなかったですか?
 文章書いているのは筆者なのに、なんで出版社の人への御礼をわざわざ書くのだろうと。
 実際出版を経験してみると編集者のありがたみを実感するわけですが。
そこで今回ご紹介するのはこの本。
 『職業としての「編集者」』
出版となると筆者から見てクライアントは出版社の編集者になるわけで
 クライアント側の視点をもっておいた方が良いだろうということで購入しました。
 感想としては、ある程度のクオリティまでは持って行ける基本原則はあるものの
 ベテラン編集者をもってしても「当てる」のは難しいのだなと。
 売れた本に関して後付けで理由を分析するのはたやすいのだけれど。
以前紀伊國屋や三省堂の本店を訪れて膨大な量の本を見たときに
 「この瞬間だけでもこれだけいっぱい本が出てるんだから、俺でも著者の1人になれるんじゃね?
 おまけに葬儀の実用本で実用的なのってないじゃん」
 と思い始めて、たしかに本を出すことができたのですが
 そこで思うのは強い意志さえあれば誰でも、
 (いや、誰でもは言い過ぎか、でも)
 一冊は出せるのだなと。
 ただ当てるのと出し続けるのは難しいってことですね。
(追記)
 下記の本は売れっ子小説家が「モノを書く」というテーマで書いた本です。
 小説に限らずモノを書く人全てに役に立つ内容です。
 共通する主張はとにかく書け。
















 
 









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