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ボロボロになった、両親の写真を復元した話




亡くなった母のフォトブックを作ったり、二十数年前のマイクロカセットから父の声を取り出そうとしたりした顛末を、以前記事にしましたが
今回はボロボロになった、両親の写真の復元に挑戦した話です。

フォトブック(写真集)の作り方をていねいに解説してみました

父の声を探して

私と同じく、ボロボロになった写真の復元に挑戦しようとしている方にお役に立てればと思って、今回の記事を書きました。

写真復元のきっかけ

2023年10月のある日、妹からメールを受け取りました。
今は空き家になってる実家で、両親が一緒に写ってるボロボロになった写真が見つかったのだが復元できないか?という相談でした。

このブログでかつて触れましたが、私の両親は早くに亡くなっています。

実家に帰った話


私が子供の頃の1970年代のカメラといえば、一眼レフなどの専用機を使って撮るものでした。

そのためカメラマン役の父が、母と一緒に写っている写真というのはあまり残っていないのです。
数少ない一緒に写っている写真を復元したいという妹の気持ちはよくわかりました。

なんとかやってみるので原本送って、と返答して後日送られてきた写真がこれです。

大事な顔の部分に欠損と変色と汚れがあります。

現在の写真修復事情

私は葬儀社に勤めていて、祭壇に飾る遺影写真を制作会社に依頼するという業務も行っています。

そのため本題に入る前に、参考情報として、現在の「葬儀業界における写真修正の現状」について、解説しておきます。

遺影写真は、上場企業や大手フィルムメーカーの子会社が、葬儀社から制作を請け負っています。

遺影写真作成時は、葬儀社がお客様から実際の写真を預かってスキャニングすることもありますし、最近ではデジカメの画像をいただくこともあります。

遺影写真の3つの条件

30年近くこの業界にいますが、入社当時から比べると遺影写真修正の技術は徐々に向上していると感じます。
昔は本当に本人の画像だけを切りとって、ベタ塗りの背景と合成する程度のものでした。
最近は自然な姿が好まれるのであまりやりませんが、以前は首から下を喪服に合成するということもやっていました。

モノクロ写真に色を付けるというレベルは2000年代でも可能でした。
かつて遺影写真にモノクロ写真が多かったのは、もともと当時の写真素材にモノクロ写真が多かったためで、お葬式だから写真を白黒にしないといけないというわけではありません。
最近の、故人が団塊世代のお葬式の遺影写真は、ほとんどカラーです。

最近の修正は、

  • 一緒に写っている人を消去する
  • ショルダーバックの肩ヒモを消す
  • 合成した背景と境界をなじませる

というレベルの修正が多いです。

遺影写真はA3サイズよりもさらに拡大するので、元の写真原稿が免許証の写真レベルだと、仕上がりは結構ぼんやりしたものになります。
祭壇に飾った遺影写真と、焼香する参列者の距離は3~4mほど離れているので、葬儀式場ではそこまで気にならないのですが、自宅に飾った場合かなりクオリティが低いと感じるでしょう。
これを修正したいというニーズはあるのですが、ぼんやりした画像を、画素数を増やしてくっきりした画像に修正することは、少なくとも現在の大手製作ラボでもできていません。

復元方法を探してみた

ここまでの話は、ベストショットの写真を元に、2~3日という制作日程が限られるお葬式における修正方法の話であり、
ボロボロになった写真を時間をかけて修復するというのは、遺影写真の修正とはまた別の技術と言えるでしょう。

当然というか、日頃取引のある制作会社では引受を断られました。
なかなか厳しいスタートですが、
最近は画像処理に対するAIの性能が日進月歩なので、もしかしたらなんとかなるという一縷の望みはありました。

巷の写真修正サービスを色々調べてみました。
最近はAIが発達し安価に利用できるようになっており、ひび割れや変色などの修正の程度の低いものはアプリでも結構対応できそうです。
高画質化する写真アプリ、ピンボケ補正,写真修復,画質向上-GooglePlayのアプリ
VanceAI写真復元|AIで古い写真を復元

修正サービス会社でも、同程度の修正は数千円で対応可能のようです。
【カメラのキタムラ】写真修復・補正サービス(お店注文)|写真プリント・ネットプリントサービス
デジタル修復・修整-アジャストフォトサービス

最新のフォトショップにも古い写真の復元機能がついているようです。

ただ今回の写真のように変色・欠損・消失が発生している場合はどうなのか。

現在のAIは何もないところから適当な画像を作るということは、動画レベルでさえ可能にしていますが
かつて実際に存在したものを厳密に復元するということに関しては、まだ不十分なようです。

修正写真ができあがる

色々調べた結果、個人が人力で修正をやってくれるサービスを見つけました。
現状ここがベストのようです。

まず自分でスキャニングした写真を先方に送り、アドバイスを求めます。
今回は両親の、特に顔の修正が目的なので、背景は一部トリミング(切り取り)して修復の作業領域を減らすことにしました。
修正の度合いに応じて料金は当然異なるのですが、今回の修正に関しては最高難度に当たるということで料金も一番高いものでした。

高精度のスキャニングをしてもらうために写真の原本を、先方に送ります。
それから1ヶ月後、修正の写真のデータが送られてきました。

先ほど述べたように写真修正の限界を知る自分の正直な感想としては、ダメ元だったせいもありますが、まあこの程度が限界かなというものです。


それでも顔の色がまだらになっている箇所は気になったので、できるだけ修正するよう依頼しました。

写真修正後のサンプル写真を妹に転送して、意見を聞いてみました。
感想は..

「これはお父さんとお母さんじゃない。キャンセルできないの?」という返事でした。

妹の気持ちはよくわかります。
「うん、わかった。キャンセルしとく」
と嘘を言いました。この段階でもちろんキャンセルはできません。

制作会社にはOKを出して、今回の料金27,000円の支払いを済ませ、この写真はお蔵入りにしました。

今回の内容を鑑みて、依頼した先の業者さんの名前は控えます。
対応はとても丁寧で、修正リクエストにも答えていただき、技術的にできるだけのことはやっていただいたと、感謝しています。

失敗の原因

今回の「失敗の原因」を分析してみました。

もともと写真写りが普段の両親ではなかった

修正していないのに、写真写りが実物と違う、ということはたまにあります。
写真写りが悪いと言われたり、逆に奇跡の1枚が取れたり。
この写真がそうであった可能性は十分にあります。

きれいな昔の写真というものに脳が違和感を感じる

おそらく昔の写真はこういうもの、という我々の脳の思い込みがあると思います。
以前、ある戦時中の風景のカラー写真を観たときに、不自然だと感じました。元々モノクロ写真だったものに、Aiで色を付けたのだろうと思っていました。
しかし戦時中にもカラーフィルムは存在し、実際にそのカラーフィルムで撮影された本物のカラー写真だったのです。おそらく「昔の写真といえばモノクロ」という思い込みがあったせいで、「戦時中なのにカラー写真」を不自然と感じてしまったのでしょう。
今回修正してもらった写真も、変色や汚れを除去し「キレイ」に加工されていますが、これが逆に不自然さを感じさせてしまうのでしょう。

そもそもないものを、想像で修復するのは無理

そもそもないものを、他の情報がない状態で、つまり技術者の想像だけで修復するのは無理がありました。
両親と面識がない人なら、今回のクオリティで良かったかもしれませんが、我々兄弟は「正解」を知っています。
全くなにもないところに、まるごと新しいパーツを足すのはまだ可能ですが、欠損を埋めるのは、うまくいかないということなのでしょう。
まだ色情報の少ないモノクロかセピアだったら、違和感が少なくなったかもしれません。

「対象となる人物の他の写真を複数枚Aiに読み込ませて、自然に修正する」技術自体は、もう存在するはずです。
いずれ個人でも気軽に利用できる時代がやってくるでしょう。
時期尚早でした。

修正箇所のクリアさが、周辺の画質と異なっていた

十戒」という有名な映画があります。
旧約聖書に基づいたストーリーで、モーセが海を割るシーンが有名です。
1956年制作の映画で、特撮シーンは今見ると粗いはずなのですが、初見の際は違和感なく見ることができました。
おそらく、普通の日常のシーンでも背景は書き割りで、全編通して古いフィルムの質感のため、特撮も日常のシーンもシームレスに画質の雰囲気が統一されているせいだと思います。
この映画の1シーンだけに、現在のデジタル技術を使用した画面が紛れ込むと、全体のバランスが壊れるはずです。
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今回の写真も、部分的にクリアなデジタル修正が混じったことでバランスが崩れたのでしょう。

以上の分析から現在のところ、個人が利用できる技術で、古いボロボロの写真を元通りに修正するのは難しいという結論です。
しかしながら、画像の技術の進歩はブレークスルーが起きているので、もう少しでAiによる自動修正が可能可能になるでしょう。

お葬式の写真の撮り方

一方で↑この記事で書いたように

記録としての情報量の多さと正確性というのは
「思い込み」にとって邪魔な気がします。

技術でクリアに直したりせず、あいまいなものをそのままにしておいて、遺族の脳内において、想像で補うことにも意味はあるような気がします。

このあたりは個人の価値観が関係するので、正解はないのかもしれません。











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