最近は初心者でもキレイに撮れるデジタルカメラが普及したこともあり
お葬式の光景を撮影して欲しい、と
喪主さんから頼まれる方もいらっしゃると思います。
そんな方のために
お葬式の写真の撮り方
というテーマで記事を書いてみました。
(と言っても私は撮影機器に詳しいわけではないので、
撮るタイミングやコツについての話がメインです)
さてその前に。
動画よりも写真
ムービーを使って動画で撮るか、
デジタルカメラを使って写真で撮るか、
という問題について考えてみたいと思います。
最近はデジタルカメラで動画が撮れますし
ムービーカメラには写真を撮るだけでなく、
動画から写真を取り出す機能までありますので
本格的なカメラをのぞいてムービーとカメラの機能的な違いはなくなりつつある印象です。
とはいえ、私は「写真」をおすすめします。
理由は以下の2つ。
お葬式の動画って(特に個人葬の場合)実際はあまり見返したりしない
というのが一つ目の理由。
二つ目の理由は
形而下の記録として考えるなら、
動画の情報量の多さと正確性というのは
葬儀の場合、余計な要素である気がするから。
残された人にとって大切なことは
故人の死から始まって、お葬式を経た現在までの心のあり様であると思うのです。
今の自分の心のあり様によって、
過去のお葬式の瞬間を自分の心の都合の良い形に思い込むというのは
残された人の特権ではないか、と
私は思うのです。
例えば
遺族の心の傷が癒えていない期間は、
あの葬儀は辛いだけのものだったと思って良いし
遺族が葬儀を好ましいものだったと思うのであれば
美化しても良い
ということです。
だから動画の
記録としての情報量の多さと正確性というのは
「思い込み」にとって邪魔な気がします。
というわけで
断片的に瞬間を切り取った写真の方が
お葬式の場合、好ましいのではないでしょうか。
ちょっとややこしいことを書きましたが、
もちろん最終的には好みの問題です。
祭壇の写真の撮り方
これからは技術的なお話しに移ります。
まずは
祭壇の写真の撮り方
についてです。
祭壇をいつ撮るか、
ということですが
これはもちろん
「必要なものがそろっていてきれいな状態」
で撮りたいですよね。
首都圏の場合通常通夜の開式2時間くらい前には
ほとんど祭壇が出来上がっていることが多いです。
ただしその後
・照明を調整する(←やっていない葬儀屋さん多いですけど)
・御棺を安置する
・位牌を置く(仏式の場合)
という段階があります。
位牌は(地方にもよりますが)
お寺さんが開式30分前くらいにもって来られることも多く
撮影の時間や、ポジションを充分に取れないことが多いです。
そのため
まず御棺を安置した段階(開式2時間ほど前)で撮っておく
↓
お通夜のお経が終わってお寺さんが退席した段階で撮る
という二段構えにしておくのが良いと思います。
さて祭壇がお花でできている場合
(いわゆる花祭壇というやつです)
通常のデジカメできれいに撮るのは
限界があります。
理由は2つ。
1つ目の理由は葬儀式場の光量が弱いから。
ホームページ掲載するために
花祭壇の写真をプロのカメラマンに撮ってもらったことがあります。
そのときはプロ用のストロボ(傘みたいなやつ)を使用していました。
そのカメラマン曰く
葬儀社の会館の照明でも
きれいに撮るための光量としては不十分らしく
寺院や公営の式場だとさらに難しいとのこと。
2つ目の理由は室内灯では花本来のきれいな色が出づらいから。
前述のカメラマンによると、室内で花の写真を撮った場合、
フォトショップ(画像加工ソフト)で修正を加えて使用するらしいです。
(余談ですが照明に少し青色を混ぜると、
花の色をよりきれいに見せることができるらしいです。)
というわけで実際にできる対策としては
式場備え付けの照明を最大限に当てている状態か、葬儀屋さんに確認してから
祭壇を撮影する様にしてください。
(もちろんデジカメ本体のフラッシュは強制発光させてください)
式中の写真の撮り方
次に
式中の写真の撮り方
についてです。
宗教者がいる場合は、葬儀屋さんを通して、
式中の撮影を行うことを事前に伝えておいた方が良いでしょう。
私の経験ではいままでに断られたことはありません。
ただお坊さんの前方に回り込むポジションは
失礼に当たるのでやめた方が良いでしょう。
また焼香を終えた方が退出する時間帯は、
その退出の動線の妨げになるポジションを取らない様に注意してください。
また
肖像権うんぬんを言う方はあまりいないと思いますが、
一般の参列者を撮る場合は、後方から撮った方が無難です。
故人を撮ることは許されるか
さて故人は撮ってもよいのかどうか、という問題です。
昔はとんでもない、という意見が多数でした。
確かに事故や長期の闘病生活で変わり果てた姿であったり、
遺族の望まないケースは論外です。
しかし最近は御遺族によっては、
特に気にせず撮っている方もいるようです。
私個人の考えとしては
遺族の考え方次第ではないか、
と思います。
あるご葬儀では
棺のお花入れが終わった後
カメラマンの息子さんが棺の中の故人の写真を
3分間の間に50枚くらい撮られたこともありました。
後でその写真を見せてもらいましたが、
お花に埋もれて安らかな表情で、
良い写真だと思いました。
とはいえ一般論としては、遺族がよくても
親族の中にはこころよく思わない方もいるかもしれません。
もし心配でしたら
式場内ではなく、式場に移動する前の段階で、霊安室や自宅でお撮りになるのが無難だと思います。
荒木経惟氏の場合
(後日書いた記事を付け加えました)
さて参考までに荒木経惟氏の写真から故人を撮ることの意味を考えてみました。
今週号の雑誌「pen」は
天才写真家アラーキーこと荒木経惟の特集でした。
Pen(ペン) 2015年 10/15 号 [天才写真家75年の軌跡。切なくて、アラーキー] CCCメディアハウス 2015-10-01
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(余談だがpenを読んでいる人ってどんな人なのだろう。
私の周りには全然居ない。けどコンビニではちゃんと売られている。)
さてアラーキーといえば奥さんを被写体とした写真でも有名ですが
今回の特集の中でも写真集「センチメンタルな旅」の中の一枚、
奥様が亡くなり
お葬式の最後で棺への花入れが終わって
棺のふたを閉める直前だと思われる奥様の写真が納められています。
最近故人の写真を撮る方は
相変わらず少ないながらもちょっとだけ増えてきました。
かつてはとんでもない、と言われた行為でしたし
いまでも嫌がる方はたくさんいますが。
嫌がる理由を突き詰めていくと
被写体である故人の撮影許可を得ていない
ということだと思います。
(それでももし撮る時は遺族全員の同意を得てからにしましょう)
故人を撮るケースが増えてきた原因としては
・エンバーミング技術の普及によりきれいな姿でお別れができるようになった
というのが一番大きいでしょう。
それ以外の理由としては
・スマホの写真機能が向上してカメラを持ち込まなくても手軽に撮れるようになった
・一方スマホでもきれいな写真が撮れるようになったことが認知されてきたので
片手間で取っている失礼さが薄らいできた
・写真を撮ることが日常化したのでみんなが被写体になることに慣れた
などが挙げられると思います。
とはいえ荒木氏の様に故人の配偶者がシャッターを押しているところは
まだ見たことがありません。
氏がこの写真を撮ったのは今から25年前。
愛する人との最後のお別れ、という
その瞬間においてもシャッターを押そうとするのは、やはり写真家の業なのでしょう。
(追記)
上記の写真を巡って篠山紀信と口論になったみたいです。
葬儀におけるお別れの現場を知る者としては
写真の評価や受け手の解釈を越えて、
ああいう状況でシャッターを押した行為そのものが彼の表現ではなかったか、
と思っています。
おつかれさまです
メール送ろうとしたら、ライブドアの
パス作らないとだめなんですね。
がんばります!
たけさん、
画面右上のプロフィールをクリックすると
メールアドレス公開しているのが見られます。
funeral_serviceあっとまーくlivedoor.com (あっとまーくを@に変更してください)
『今の自分の心のあり様によって、過去のお葬式の瞬間を自分の心の都合の良い形に思い込むというのは残された人の特権ではないか、と私は思うのです。例えば遺族の心の傷が癒えていない期間は、
あの葬儀は辛いだけのものだったと思って良いし
遺族が葬儀を好ましいものだったと思うのであれば
美化しても良いということです。だから動画の記録としての情報量の多さと正確性というのは「思い込み」にとって邪魔な気がします。』
物理学者さんの思いの深さに心底頭が下がる思いです。
言葉で表現しきれない感情を、なんてうまく表せるのですか?
尊敬してしまいますね…
Narcissus様、
返事が遅くなりまして申し訳ありません。
> 尊敬してしまいますね…
いえいえ、恐れ多いです(^^;)
> なんてうまく表せるのですか?
強いて言えば、喪主を経験してから葬儀業界に入ったからでしょうか。