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目隠しフェンス設置等請求事件から葬儀会館建設について考える




今回の記事はこの「目隠しフェンス設置等請求事件」の判決についてです。

葬儀場の「目隠しフェンス」が低く、出棺の様子などが道路を挟んだ住宅から見えることが平穏な生活を侵害するかどうかが争われた訴訟の上告審判決が 29日、最高裁第3小法廷(堀籠幸男裁判長)であった。同小法廷は「社会生活上、受忍すべき限度を超えて、平穏な生活を送る利益を侵害しているとはいえな い」と判断、原告側勝訴の2審判決を破棄し、住民側の請求を退けた。住民側の逆転敗訴が確定した。
訴訟は京都府宇治市の住民が葬儀会社に 対し、フェンスを1・5メートル高くすることや、損害賠償を求めて提訴。1審京都地裁は「棺の搬入と出棺の様子を観望できるのは受忍限度を超えている」と 認定し、フェンスを1・2メートルかさ上げし、20万円の損害賠償を葬儀会社に命じ、2審大阪高裁も支持していた。
しかし、同小法廷は、住宅と葬儀場の間には幅約15メートルの道路がある▽住宅から葬儀場の様子が見えるのは2階東側居室だけ▽告別式などが行われるのは月に20回程度▽出棺などはごく短時間-などと指摘。
その上で、「出棺の様子が見えることで強いストレスを感じているとしても、主観的な不快感にとどまる」と判示、葬儀会社は目隠しを高くする義務などは負わないと結論づけた。

参考までに住民がかつて勝訴した京都地裁の判決はこちら
看板
葬儀屋サイドの私から見ると、最高裁の判断は妥当だと思えます。
(「主観的な不快感」って、不快感てそもそも、主観的なものなんでは?
っていうツッコミはありますけど)

ただ、今回のトラブルに関しては裁判記録に現れない部分で、
いろいろ想像したくなります。

今回のケースは、
和解せずに最高裁まで持ち込んだという、(フェンス工事のコストと、裁判という長期のネガティブキャンペーン効果との損得勘定において)外部から見る限り
葬儀社・住民双方にとって合理的とは思えない解決方法のような気がします。
今回は、どちらか(もしくは双方)の感情的なもつれを解消できなかったことが背景にあったのではないかと思うのです。
(あくまで私の推測にしか過ぎませんが)

「葬儀会館建設反対」のノボリや看板が立ち並んでいるケースは
葬儀社サイドが「しくじった」場合が多いです。
葬儀社側の、建てちまえばこっちのもん、という態度は、必ず話をこじらせます。

そもそも、建設時には、葬儀社・住民双方とももっともらしいことを言いますが、
住民側の反対理由の根っこが「生理的嫌悪」であることが多いので、
葬儀社側が理詰めで反論してもうまくいかないのです。

以前近所に葬儀会館を建てようとした他社の現地住民説明会に
もぐりこんだことがあります。
今回のような報道があると、あのとき
「(葬儀会館は)子供の教育に悪い」
と、葬儀社の社長をなじっていたある若い奥さんのことを思い出します。

「あなたの隠蔽(いんぺい)体質の方が教育に悪いんでは?」、
とその時は人ごとながらちょっとムッとしました。
しかし相手の無知、もしくは感情的なもつれが原因なら、
むしろ時間をかければ、解決の糸口は見えてくるのではないでしょうか。

会館完成時には、近隣に受け入れてもらえていなくても
毎朝の近隣の清掃、地域イベントの協力、評判の良いお葬式の積み重ね
このあたりを愚直に繰り返せば必然的に良い結果になると思います。
姿勢としては以前書いた
この記事(「合わない」お客様に「会った」とき)の通りです。

もちろん、それでもなんだかんだと言ってくる、クレーマー体質の人は、
ごく一部ですがいます。
しかしそういうごく一部の人は、近 隣の住民ともうまくいっていないことが多く、
彼ら彼女らの言動が、一帯のムーブメントの中心になることはありません。

そして一度、地域住民の方と信頼関係ができると、
次の隣接地域で行われる葬儀会館のドミナント戦略は、
最初よりずっと楽になります。

会館建設のときは、「北風と太陽」の考え方が大切かと。











2 件のコメント

  • 今週、ある葬儀社の社長とお話をした時に、住民の反対運動に関する話題が出ました。
    この会社でも、近隣住民や議員が絡み反対運動をされている様です。
    しかし、国の法令や自治体の条例的には違法や違反の部分はなく、「精神論や住環境の悪化」が争点になっています。
    そのために、結果的には住民サイドの勝ちはありません。

    今から8年程前に、大手の会館施設開設にあたり住民と議員の反対運動が発生し、貼紙やのぼり旗が氾濫しました。
    そのために、この反対住民に対する説明会に出て現状の反対運動の結末や法的な問題を話してくれと、社長から頼まれて話した事がありました。
    その結果、住民サイドは「運動をしても阻止できない」事を理解し、反対運動は半減しました。
    顛末としては、反対運動を主導した住民と議員を会社が訴える(威力業務妨害や名誉毀損等)との結果となり、現在は問題なく稼動しています。

    確かに、斎場建設騒動を境に葬儀斎場建設に関する条例を制定した自治体(世田谷区等)もありますが、あくまでも自治体条例であり法令ではなく、小学校や幼稚園、病院の近くには作ってはダメ程度のあやふやな物です。
    住民や議会・議員も「火葬場、葬儀場、ゴミ処理場は社会的には必須」と認めていますが、「近くにはいらない、他所に作ってくれ」とのエゴが強い考えを持っています。
    そのために、住民反対運動で中止になった例は殆ど無く、
    施設が完成し稼動すると「反対運動と組織は自然消滅」しています。
    そのために、「作らせない事が目的」であり、作られてからも問題となった宇治事案は異例です。

  • prof 様、いつも有意義なコメントありがとうございます。

    > そのために、結果的には住民サイドの勝ちはありません。
    > そのために、住民反対運動で中止になった例は殆ど無く

    そうなんですね。
    この認識がちゃんと広まれば、お互い無駄なエネルギーを使わなくて済みそうですね。
    ということは、
    作っちまえばこっちのもん、という態度はある意味正しい(^_^;)
    とはいうものの、ハコをつくることと、運営を軌道に乗せることは、
    また別の話で、
    やっぱり近隣の方々にはこの仕事の意義を理解してもらえることを
    望みます。

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