本日ご紹介する本はこちら。
音のない花火 砂田麻美 (著)
音のない花火 | |
砂田麻美 ポプラ社 2011-09-16 |
以前紹介したドキュメンタリー映画
「エンディングノート」
の監督さんが書いた小説です。
(参考記事:映画「エンディングノート」の衝撃)
昨年(2011年10月)映画公開と同時に出版されていたのですが、
先日「エンディングノート」のDVDが発売されたので
それを機にこの本の感想を書いてみることにしました。
映画と同じく末期癌の父親とそれを見守る家族の話で
やはりどうしても
映画「エンディングノート」では描かれなかった部分を補完するルポ
として読んでしまいます。
映画では砂田監督自身は、
お父さんの内面を代弁する役回りだったので
この小説では、彼女自身が自分の内面を語っているんだろうなぁ、というふうに。
しかしこの物語はあくまで「私小説」の形を取っています。
どこまでが事実でどこまでが創作か判断がつきにくいところです。
読み進めていくと
お姉系の登場人物など
なんか吉本ばななの「キッチン」を連想させます。
といっても「キッチン」の内容を私ほとんど忘れておりますが(^^;)
深刻な状況をどこかコミカルに描くという点は
映画と共通するセンスですね。
さて葬儀屋である私としてはどうしても
自分の「専門分野」が気になるのですが
映画「エンディングノート」のレビューでも述べたように
やっぱり主人公を含めた遺族の気持ちの中で
葬儀と葬儀屋はちゃんと機能していないようです。
長期間故人を冷凍庫(という表現を文中では使っていますが、遺体を0度以下に下げることは通常ありません。遺体の状態を悪化させるので。正確には冷蔵庫です)に安置することで家族がもめるくだりで
「葬儀屋がお正月にドライアイス持ってきたくないから(冷凍しようとしている)」
という発言が出てくるあたり
担当葬儀社は砂田家に十分な説明を行わず
信頼関係を築くことに失敗しているようです。
(補足すると葬儀屋さんは盆正月関係なく出社するので、
正月だからうんぬん、という考えは間違いです)
何十体も安置しているようなところに面会に行く気になれない
と言っているところを見ると、
(遺族の同意を十分に得ないまま)火葬場の安置所に安置したのでしょう。
私は日頃からちゃんとした霊安室(付き添いの遺族が快適に過ごせる個室であることが必須条件)
を持っている葬儀屋さんは
良い葬儀社であると申し上げていますが
その点でもこの葬儀屋さんはダメだったのではないでしょうか。
ただ少し厳しい言い方をすれば、
故人は事前の「段取り」を重視していたのだから、
葬儀屋選びも、葬儀の事前相談も
もう少しうまくできなかったかなという気もします。
あ、でも実際に葬儀を行ったイグナチオ教会は
葬儀屋さんを指定しているのかな?
というかそれ以前にこれ小説なので、事実ではないのでしたね。
どうしてもこの小説って、ノンフィクションと混同してしまいますね。
ということは、
死亡届けを家族が役所に持っていくくだりを最初読んだときに
そこは葬儀屋が代行してやれよ、
と私は思ってしまったのですが
この部分が結末への伏線になっているところをみると
これも創作の可能性がある、ということでしょうか。
総評として
あまりに映画エンディングノートの完成度(というか衝撃度)が高いため
この小説「音のない花火」はあまり話題になっていないような気がしますが
小説単体として見ても良くできていると思います。
あの映画はお父さんのキャラをはじめとして、
いくつかの要素によって奇跡的に成立している映画だと思うので
監督としての砂田さんの技術というものが私にはよく分かりませんでした。
しかしこの小説を読むと、砂田さんの小説家としての確かな技術を感じます。
あの傑作映画を作り出した時点で、
ビジネスとしてはこの本を出す必要があったとも思えず
(執筆の大変さと印税収入の厳しさを考えるとあまり割に合うとは思えない)
そのあたりの動機が謎なのですがもしかすると、
この小説を書くという行為を通して自分の内面を描くことで
砂田さんは自分自身のグリーフワークをしたかったのではないか
と私は勝手にそう思っているのですが、
どうでしょうか?
「小説を書くという行為を通して自分の内面を描くことで砂田さんは自分自身のグリーフワークをしたかったのではないか」
私も、そうではないかと思います。
私が、このブログを読むようになり、
お邪魔させていただくようになったのも、
同じ理由だということに今気が付きました。
Narcissuss様、
> 同じ理由だということに今気が付きました。
私のブログがこんな役目を果たしているというのは思ってもいませんでした。
お読みいただいてありがとうございます。
ご遺体を4℃以下にすることは、デメリットが増加しますので、「科学的には4℃まで」と考えた方が良いでしょう。(0℃は氷点でありご遺体は別の基準で)
中国やROC、その他の国では「ご遺体冷凍がほぼ全て」であり、医学的には「4℃まで」が国際的な基準ですが、葬儀分野では基準がなく国や企業によりまちまちです。
ご遺体の冷凍も、「CAS冷凍ならば問題なし」と考えますが、CAS冷凍機での実験が出来ないために証明はしていません。
少々関連しますが東日本大震災に際し、外務省大臣官房総務課長から厚生労働省健康局生活衛生課長あてに「事務連絡」が3月29日付けで出されました。
これを受けて、厚生労働省健康局生活衛生課長から青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県衛生主管部(局)あてに「事務連絡」が3月31日付けで出されています。
共に「通知ではなく事務連絡」ですので、一般の閲覧は出来まいかも知れませんが、「ご遺体の処理方法(処置法ではない?)」として書かれています。
また、原子力安全委員会からも3月30日付けで「ご遺体の取り扱いについて」が出されています。
こちらも見れないかも知れませんが、私の「報告書にはその他も含めて政府関連資料」とし見れます。
prof様、コメントありがとうございます。
> 医学的には「4℃まで」が国際的な基準ですが
「4℃」というジュエリーショップがありますが、まさか・・・(^^;)
厚生労働省は分かるんですが、外務省や原子力安全委員会が出てくるのがよく分かりません。
霞ヶ関の事情でしょうか。
日本の問題点は、「現場には伝わらない事」です。
実際に被災地や現場で遺体を担当する葬儀業者等には、政府関係の「通知や通達、連絡事項」は知らされません。
医療関係者や司法・行政関係者にはこれらは伝わりますが、「現場作業員(原発も同様)やボランティア」には、伝える必要がないと考えられています。
実際に、3月30日になってから出された対策も遅すぎです。(30日には殆どが撤収していた)
大宮の化学部隊では「NBC対応」を持っており、各医学会でもNBC対策を基に動いていましたが、出て来た指針を見て「何を今さら」と感じました。
全葬連、全霊柩、全日本トラック協会には3月22日付けで健康局長より、「ご遺体関連通知」が出されましたが、これも謝辞と協力要請であり具体策に欠けています。(全葬連には3月12日付けで、棺とドライアイス確保要請が出されている)
学者と専門家(学識経験者)、役人が作った作文を議員が認めて決めるシステムですので、「現場軽視や現場を知らない」となってしまいます。
ちなみに、現場で働いている者は「業界関係者」であり、専門家(学識経験者)とはされないために、「現実と異なる、現実に即さない結果」です。
「阪神・淡路の教訓」は活かされませんでした。
prof様、
> ちなみに、現場で働いている者は「業界関係者」であり、専門家(学識経験者)とはされないために、
うーん、葬儀屋だからって馬鹿にして・・・と言いたいところですが、教育現場でも同様の悩みはあるみたいなので、普遍的な官僚機構の問題なんですかねぇ。
全てのルールや法令は、学者と学識経験者、役人が作っていますので、「現場は度外視」です。
これは、葬儀屋や葬儀業界だけではありません。
例えば学部建築学科を卒業して、建設会社に入り1級設計士を取得して多くの建物を設計、または1級建築士を取得して多くの建物を建築しても、「業界関係者」。(安藤氏クラスは別格で、学識経験者)
一方では、学部を卒業からそのまま院に進み、実務経験無くてペーパーだけで修士や博士を取り、そのまま大学等に残った者は「学識経験者」。
学部を出て公務員試験に受かり、事務仕事だけをしている者は「役人」。
誰が「本当に実態や実務を知っているかは明確」ですが、省庁の研究会や検討会には業界関係者は入ることは稀で(ITや医療ではある)、せいぜい「意見を聞く」程度です。
実は、中国の大学(専門大学ですが)の葬儀学部の学部長や教授、准教授、講師でも「葬儀実務経験者はいない」のが現状です。(高等教育が始まり十数年ですので、仕方がないが)
韓国の大学でも同様で、アメリカの葬儀学校を出てSCIに努めていた者もいますが、まだまだ評価が高くはありません。
ROCの大学でも、実務経験のある者はいなかったと思います。
教育は「実務を教える場所ではない」との考えが強く、「現場では使えない学問と研究を行う場」(実体や収支度外視で実験)とも言えます。
こういうヒト達で作るルールですので、我慢して下さい。
prof様、
知人の葬儀屋で修士持っている奴ならいるんですけど・・
あとは社会人の大学院編入制度を使うか、ですね。
でも葬儀屋の仕事と両立はきっと無理だから、休職させてもらって・・・
やっぱり無理ですね。
日本では葬儀が「学問でない」ことと、法令がないことが問題です。
国内私大の葬儀が専門と言う教授(海外の葬儀関連大会や会議に出ては、日本の葬儀について語っている)は、農学部出身で工学博士だったはず。
当然ながら葬儀従事や研修経験はゼロ。
しかし、研究課題に「日本における葬儀」があり、日本を代表する(?)葬儀の専門家。
後は、葬儀の専門家と言われる学者には社会学博士や文学博士等もいます。
現場の者しかいないために、学者が「食いもの」にしている部分は否定できません。
院に入っても、「何を研究するの(葬儀史?)、誰に指導を受けるの」となります。
prof様、
> 院に入っても、「何を研究するの(葬儀史?)、誰に指導を受けるの」となります。
確かに言われてみればそうですね・・・