葬儀屋さんが共感することの危険性




今回は演出家平田オリザ氏の著作を引用しつつ
遺族に対して葬儀屋さんが共感することの危険性について考えてみます。

平田氏はこの本の中でスタニスラフスキー・システムについてやや批判的に言及しています。
スタニスラフスキー・システムとはざっくり言うとその役柄になりきって演じるという方法です。
これを漫画という媒体で、文字通り漫画的にやっているのが、「ガラスの仮面」ですね。

ときにその行為は、私たち表現者自身の精神を追いつめます。実際に、演劇を続けていて、精神を病んでしまう人もたくさんいます

たとえば「ダークナイト」でジョーカーを演じたヒース・レジャーのように病んでしまう俳優の話をたまに聞きます。

ここで葬儀屋さんのケースを考えてみましょう。

遺族に対して共感性の高い、つまり遺族のことを思いやり遺族の気持ちに自然と同化してしまう葬儀屋さんであればあるほど
親身になってがんばろうとします。
葬儀屋さん本人にも喪失体験がある場合は特にそうです。

その結果、遺族の高い満足を得ることができます。

ただし、自分の心身を削ることと引き換えに、です。

不規則な長時間労働や失敗が許されないプレッシャーにさらされるだけでも大変なのにそれに加えて
大切な人を亡くすという人生で最もストレスを抱えている遺族に共感してしまうということは
かなり危険なことです。

共感性が高くてタフという葬儀屋さんとして理想的な人であれば大丈夫でしょう。
しかしそういう人材がごろごろいるわけではありません。

だったら次善の策として不感症ゆえにタフな奴がいいのかというとそうは思いません。
やっぱりある程度の共感性は持っていて欲しいのです。
この記事(コメント欄に質問をいただいたので・・・)でも書きましたが

「正しくて弱い人」は一番最初につぶれる可能性はありますが
同時に「正しくて弱い人」は「正しくて強い人」に成長できる可能性があると思っているので。
落ち込む
平田オリザ氏は演劇人に対してこのようなメッセージを送っています。
ブレーキだけは、最終的に自分で見つけなければならない

演劇は、一生をかけるに値する、素晴らしい仕事ですが、しかしそれは、身体や精神を病んでまでやるほどのことではない。その一歩手前で踏みとどまれるかどうかに、君たちの成功の鍵があります。

それは、人によって、様々です。  たいていの成功した劇作家、演出家は、脳天気なところがあって、忘れっぽいようです。人間の暗部を、とことん突き詰めるのだけれど、どこか脳細胞が抜けていて、それを表現し終わると、すっかりと忘れてしまう。そのようにして精神の均衡を保っているのだと思います。脳天気さ、大らかさは、芸術家にとって重要な資質です。あるいは、ブレーキは家族であったり、恋人であったり、友人であったりします。そういう人間関係を大切にしておくことも、いざというときのブレーキになります。

自分は両親が亡くなったことがきっかけで葬祭業を志した人間なので
遺族に対する共感性は高い方だと思います。
それでも潰れずにやってこれたのは
力になろうとするが同情はしないというスタンスであったから
だと考えています。

なぜそういうスタンスでいられたのかというと
今遺族の皆さんはこんなに悲惨な状況かもしれないけど、
私はいずれ遺族が自分と同じように立ち直ってくれるものと強く信じてこれたから
です。
その姿勢から生まれる適切な距離感が自分を守ってくれていたのだと思います。

日々自分を追い込んでいる葬儀屋さんの
参考になれば幸いです。











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