今回の内容は読んだ方によっては不快に思われるかもしれない。
もちろん自分の考えに同意すべきと主張しているわけではなく、一つの考え方として提示してみた。
目次
2000万円問題の無意味さ
マスコミは2000万円問題で騒がしい。
この件に関して私は橘玲氏と同意見だ(「老後2000万円不足」問題からわかる日本の2つの選択 週刊プレイボーイ連載(389) – 橘玲 公式BLOG)2000万円ないと生きていけないなどとは、どこにも書いていない。
1次資料を確認することなく数字だけが一人歩きしているところは葬儀の平均費用に似ている。(日本消費者協会の「第10回葬儀のアンケート調査」が相変わらずいい加減な件 | 考える葬儀屋さんのブログ)
そもそも年金だけで食べていけると本気で信じていた人って本当にいるのか、と疑問に思って調べてみると13.9%もいたようだ。
【産経・FNN合同世論調査】 – 産経ニュース
逆に言うと、9割近い人は年金だけでは食べていけないことをちゃんと理解している。
私の老後の生活設計
私は結婚する時、妻が90歳まで生きることを前提に、エクセルでシュミレーションして妻にプレゼンしたことがある。
- 二人の収入から生活費を引いて残りを国債と株式で運用する。
- 主に国債とインデックスファンドで年間の平均リターンは4%に設定
- 年金制度は最悪のパターン(基礎年金はもらえるが厚生年金はもらえない)を想定する。
- リスクを増大させる持ち家を持たない(自分たちが老人になった時には空き家が増えているはずなので、場合によっては購入する可能性がある)
- 子供ができた場合の変化もシミュレートした(現在のところ子供はいない)
知人からは身も蓋もないことをすると言われたが、せっかく一緒になってもらうのだから、経済的に不自由はさせたくない。
お金があるからと言って必ずしも幸福になれるわけではないが(収入と幸福感が比例するのは600~700万円くらいまでらしい)、貧困は不幸になる確率を上げてしまう。
かなり計画的に生きてきた方だと思うが、仮に二人とも90歳まで生きてしまったときの資産形成は今なおできていない。
いろいろやっても自分はこの程度だった。
もしこのまま目標貯蓄額に達しなかったら・・・
自分が自決するということを考えている。
もちろん妻には言っていない。
自決というと言い方が激しいが、そもそも自分は長生きできないのではないか、という気持ちもある。
自分が現役を引退した頃には年金制度はあてにできない。
その状況で妻が平均寿命を迎える前に資産がショートしそうなら、そして消費額が自分の収入を大きく上回ってしまうのであれば、自分が死んで資産の目減りを防がなければならない。
もちろん私だって死にたくはない。
だから今は必死に生き延びる方法、つまり金を稼いだり、高齢でも働ける方法を考えている。
LIFE SHIFT(ライフ・シフト)から自分の将来を読み解く | 考える葬儀屋さんのブログ
日本の平均寿命は他人の金で支えられている
さてみんな老後のことを考えるときには、自分が何歳まで生きられそうか、平均寿命を頭の隅に置いて考えていると思う。
でもその平均寿命って下駄を履かせた幻想ではないのか、という話をこれからしたい。
年金制度がズレ始めた理由
ほとんどすべての日本人は、日本人の平均寿命がだいたいどれくらいかを知っている、(2017年で男性が81.09歳、女性が87.26歳)
老後は年金だけで食べていけると勘違いしているレベルの人でさえ、およその平均寿命は知っているだろう。
しかし現在の年金制度ができた1961年当時の男性の平均寿命は65歳、女性の平均寿命は70歳であったことを知る人は少ない。
そもそもの年金の制度設計は、退職してから5~10年間くらいサポートできればいいということを前提にしていた。
ところが不況や少子化や、そしてなにより平均寿命が世界トップクラスにまで延びたことによって、当初の機能が果たせなくなってきているというのが現在の状況である。
本来現実を見据えた制度改革が必要なのだが、年金を受け取っている高齢者の票田が大きくなったため、政治は年金を減らす制度改革ができなかった。
日本は団塊世代とともに発展し団塊世代と心中することを選択した。
日本の平均寿命は他人の金で支えられている
そもそも人間の生理的構造は現在も100年前もほとんど変わっていないにも関わらず、平均寿命が伸びたのはなぜか。
それは食生活などの生活環境と医療技術の発達が大きい。
生活環境だけでなく医療技術も金によって支えられている。
もちろん技術革新によって医療コストが下がることはあるが、その技術革新を起こすためにも研究費という金がかかる。
キムリアやオプジーボなどの超高額医薬品の保険適応の例でもわかるように、これらの高額の薬が使える使えないで寿命は数年変わってくるだろう。
誰だって長生きしたい。
そのためにあらゆる策を講じたい。
その気持ちはよく分かる。
ユヴァル・ノア・ハラリによると世界最高クラスの金持ちにいたっては不老不死さえ考えているらしい。
しかし現在の日本では他人の金によって長生きが成立しているのが問題だ。
年金は賦課方式で、今の生産年齢者から徴税された分が高齢者に与えられて、歳入の不足分は国債の発行(≒国の借金)で賄われている。
もし年金や医療サービスなどの老後の社会保障制度が、自分が過去に支払った保険料に年利6%程の利息をつけた金額分しか与えられず、残りは全部自費で賄わねばならないとなったら、多分今の平均寿命は5歳ほど下がってしまうのではないか。
言い換えるならみんなが思っている今の平均寿命は、実際の「実力」より5歳ほど上振れしている、ということになる。
自分は平均寿命より長生きするはずというバイアス
平均寿命より早く死ぬのは嫌だと多くの人が言うだろう。
それは報道されている平均寿命が自分にも与えられて当然だと思っているからだ。
行動経済学でいうところのアンカリングだ。
平均寿命が85歳と聞いたら、自分も85歳まで生きられる(人によっては生きる権利がある)と思っている。
1960年代の日本人であれば70歳で死んだら、まぁしょうがないと思ったはずだ。
でも現代の日本人は、「70歳だって?あと15年は生きられるはずなのに」と思ってしまう。
他人の金をつぎ込んで下駄を履かせた平均寿命を、与えられるのが当たり前の事だと思い込んでしまった。
それから当たり前のことだが統計的に半分の人間は平均年齢に達する前に死ぬ。
私の両親にいたっては年金をもらう前に亡くなってしまった。
愚かな人は他人より自分は運が良いはず、と思ってしまう。
寒空の下、宝くじ売り場に並ぶ人のように。
長寿は、他人の収める保険料によって生み出された平均寿命と、自分は他人よりツイているはずというバイアスが生み出した幻想だ。
誤りは正せない
他人の金を使わずに平均寿命を「本来の姿」にすることは、少なくとも今の老人は同意しないだろう。
いずれ日本のこの仕組みは崩壊する。
崩壊すると分かっていても、政治は動かないだろう。
認知症の老人が徘徊し、看病疲れによる親殺しが頻発し、いたるところで餓死した変死体が発見される世界まで、あともう少しだ。
ならば個人にできることは、
金を稼ぐか、
他人の金に支えられている人生のアディショナルタイム(おまけの時間)が与えられないことを受け入れるしかない。
97歳の伯母に会う
先日大阪に住む97歳の伯母のもとに親族が集まった。
伯母は私の父の姉で、彼女の兄弟の中で唯一生存している。
高齢なので去年から特別養護老人ホームに入居しているが
足下はおぼつかないものの、多少同じことを何度か聞くくらいで論理的なコミュニケーションをする上では何の問題もない。
ちゃんとコミュニケーションを取れるうちにみんなで集まろうということになって、祖母から見て子供や甥や姪やらそのパートナーやら9名の親族が、私の音頭で集まった。
「みんなに集まってもろうてほんま嬉しい。もういつ死んでもいい」と2時間の間に20回以上伯母は言った。
天真爛漫な性格で、亡くなった私の父の面影を宿している。
元気な彼女を見ているとなぜだか泣きそうになる。
59歳で亡くなった父の分も長生きしてほしいと思う。
伯母が入居している介護施設は民営ではなく公的施設だが設備もスタッフも申し分ない。
長い人生色々あったと思うが穏やかな晩年を迎えていると言っていいだろう。
おそらく彼女は国民年金の保険料しか納めて来ていないはずだ。
そして自分に問う。
「もし社会保障制度が無かったら、彼女の晩年のために、はたしてお前は自分の金を差し出したか?」
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